文●テメル華代 KayoTemel 画家   第四回

                               第一回 10月11日

                               第二回 12月 7日
                                第三回  3月 2日
                                第五回  8月 3日
ゲーテのイタリア紀行と色彩論

ゲーテ博物館 (Casa di Goethe)
Via del Corso 18, Rome.
Tel: +39 06 3265 0412
http://www.casadigoethe.it


テメル華代
1977年山形県生。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。2001年渡蘭、アムステルダムの美術アカデミーで油彩、ドローイングを学び2005年に卒業。絵画(油彩、インク画、ドローイング)、イラストレーション、絵本制作、美術批評を手がける。2005年6月よりローマに滞在。
第4回 (2006年) 5月16日



画家の描くローマ
文●テメル華代 KayoTemel画家




















画家の描くローマ
文●テメル華代 KayoTemel画家



  テヴェレ川に浮かぶティヴェリーナ島の眺めはまるで、大らかな流れをくだる船のようだ。医術の神アエスクラピウスが住まうというその幻想的な島をこえていくと、向こう岸にはトラステヴェレの下町風景が広がっている。共同アトリエに空きがあると聞きつけ、地図を片手にこの昔ながらの職人街を訪れた。

 大通りの喧騒を離れたトラステヴェレには、歴史的な趣のある家屋が立ち並び、入りくんだ小路の様子はアムステルダムのヨルダン地区を思い起こさせる。サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会のファサードには12世紀のモザイクがほどこされ、今なお色鮮やかな天使たちが、広場の古本市を穏やかに見下ろしていた。

 教会の裏手まで辿りつくと、彼女自身もまたアーティストだというフランス人の家主が出迎えてくれた。80平米を4人でシェアしているというアトリエには、高い位置に据えられた窓から十分な光が射しこんでいる。「昔のトラステヴェレにはもっと地元の人が暮らしていて、家賃も安かったからアトリエもたくさんあった。今ではすっかり観光地になってしまって、どこもかしこも外国人向けのピッツェリアばかり」そう言って地区の商業化を嘆いているようだったが、じっくり話をしてみればやはり彼女もまた、ローマの虜になったアーティストの一人だった。

 「最近のローマは空っぽになってしまったけれど、それでもなぜか離れられない」この土地に暮らして20年になる彼女の言葉は、ローマという都市の魅力をうまく体現しているように思われた。物質的な条件ではない、都市そのもののアウラとでも言うべき美的な雰囲気、それは世紀を越えて多くの芸術家を魅了し、彼らの創造に影響を与えてきた。

 形ではない何かがある、と、私もまたローマ滞在数ヶ月目にして、その掴み所のない魅力について考えるようになった。遺跡や芸術作品、あるいは同時代を生きる芸術家といった物的証拠以上に、包みこむような存在感で人々に迫るローマのアウラ、それはおそらく、「光」として体験されるのではないだろうか。

 ドイツの文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749〜1832)もまた、18世紀末のローマを訪れ『イタリア紀行』を著している。
 



ゲーテの潜ったローマの北の玄関、ポポロ門










画家の描くローマ
文●テメル華代 KayoTemel画家






















画家の描くローマ
文●テメル華代 KayoTemel画家







 「チロールの峠はいわば飛び越してきた。ヴェロナ、ヴィチェンツア、パドヴァ、ヴェネツィアなどはよく見たが、フェララ、チェント、ボローニャは駆け足で通り過ぎ、フィレンツェはほとんど見学しなかった。つまりローマへ行こうという欲求が余りに強く、しかも瞬間毎に高まって足を留める気にならず、フィレンツェには僅々三時間いたばかりだ。今やここに到着して心もしずまり、これで一生涯気も落ち着いたかに見える。なぜならば部分的に熟知していたものを眼のあたりに全体としてながめるとき、そこには新しい生活が始まるものだ。青春時代のなべての夢はいま眼の前に生きている」


 1786年10月29日、当時すでに『若きヴェルテルの悩み』などでヨーロッパ的名声を得ていたゲーテが、かねてからの憧れの地ローマに辿りついた。古代ローマの遺跡や彫刻、ルネサンス美術に圧倒されたゲーテの感動は、日記や書簡に克明に綴られ、後にこれらを資料として『イタリア紀行』が刊行される。滞在中は、ティッシュバインや八ケルト、マイヤーなどの画家たちと交際したというゲーテは美術への造詣も深く、ことにルネサンス期のイタリア美術に関しては、臨場感溢れる絵画鑑賞の記録を残している。ティツィアーノの『二ッコロ・デイ・フラーリのマドンナ』や、ラファエロの『キリストの変容』などの名画が、細やかな画像解釈とともに紹介されるなか、やはり最も情熱的な語りはミケランジェロに捧げられた件ではないだろうか。

 「この幸福な日の思い出を、私はほんの数行の文章で生き生きととどめなければならない。私が味わったものを、少なくともありのまま報告しなければならない。非常に美しい静かな天気で、空は晴れわたり、太陽は暖かかった。私はティッシュバインと共にサン・ピエトロ広場に出かけた。そこで私たちは最初あちこち散歩し、暑くなると、ちょうど二人が入る広さの日影を投げかける大きなオベリスクの影の中を歩き回り、近くで買い求めた葡萄を食べた。それから私たちはシスティーナ礼拝堂へ入った。そこは明るく晴れやかで、絵もよく照明されていた。ミケランジェロの『最後の審判』や様々な天井画は私たちを感嘆させた。私はただ眺めては驚くだけだった。巨匠の内的な確かさと男性らしさ、彼の偉大さはあらゆる表現を超えていた。すべてを繰り返し眺めた後、私たちはこの聖堂を去り、サン・ピエトロ教会へ向かった。教会は明るい空からこの上なく美しい光を受けて、あらゆる部分が明るく澄みきって見えた。私たちは享受する人間として、偉大さと華麗さとを楽しんだ。この度は深いで分別じみた趣味に惑わされることもなく、より鋭い判断もすべて控えた。私たちは喜ばしきものを喜んだのである」

 「ついに私たちは寺院の屋根に登った。そこからはよく整った市街が仔細に点検される。家並、倉庫、泉、教会や大殿堂。すべて空中に浮き上がり、そのあいだに美しい散歩道が通じている。さらに円蓋に登ると、アペニン山脈の明媚な地方やソラクテ山が見えティヴォリの方面に当っては火山丘、フラスカティ、カステル・ガンドルフォそれにつづいて平原、そのまた向こうには海が眺められる。すぐ眼の前にはローマ全市が、例の山上宮殿や円頂閣などを擁して、全幅のひろがりを見せている。風はそよがず、この銅の円蓋のなかはまるで温室のように暑い」

 「11月28日、私たちはシスティーナ礼拝堂に戻り、天井がより近くに見える回廊を開けてもらった。回廊はとても狭いので、人々は少々困難を覚え、見たところ危険を伴ったが、鉄の手摺につかまりながら押し合って進んで行った。それ故、眩暈を起こしやすい人は取り残されてしまった。しかし、最高に偉大な巨匠の作品を眺めることで、すべては償われた。そしてこの瞬間、私はミケランジェロにあまりに心を奪われていたので、自然の味わいさえも私には二次的なものに思われるくらいであった。私が自然をミケランジェロほど偉大な目で眺めることはできないからである。このような絵を心の中にまさしく刻み込んでおく手段があればいいのだが!少なくとも彼の絵の銅版画や模写で入手できるものは持って帰ることにしよう」














画家の描くローマ
文●テメル華代 KayoTemel画家












 
 晴れ渡る空、温室のような円蓋、そして手摺につかまりながらの天井画鑑賞と、興奮に汗ばむ感じさえもが伝わってくるゲーテの文章には、単なる画像解釈を超えた絵画論の魅力がある。ゲーテの語る絵画は、コンテクストから切り抜かれた自律的な平面ではない。彼の目に映るのは、ローマの陽射しのなかで有機的に存在する絵画である。

 『イタリア紀行』における絵画論が、ルネサンス美術への賛辞であるならば、ゲーテの『色彩論』は、イタリアに注ぐ光への賛辞と言えるのではないだろうか。植物学や地質学をはじめとする広範な自然研究に従事したゲーテは、イタリアの地形や気象など自然科学の分野についても研究を進めていた。南部へ旅をすれば植物や鉱物の採集に明け暮れ、ローマの遺跡ではドローイングにいそしみ素描の腕を発揮したという。

 イタリアの光に照らされる豊かな色彩を目の当たりにしたゲーテが、光学や色彩学に関心を高めたことは、ごく自然な流れだった。自然科学者の目、そして芸術家の目から観察された色彩は、当時自明の理として捉えられていたニュートンの色彩学に疑問を投げかけるほど斬新なもので、それはまさに「体験される光」であった。

 17世紀半ばにニュートンによって提唱された色彩論が、きわめて数学的論理に基づいているのに対し、ゲーテの色彩論は、心理学的・生理学的側面からのアプローチを試みている。可能な限り均質化された「理想的」実験状態で七色のスペクトルを発見し、物理的次元にのみ色彩の本性を求めたニュートン、その見方をゲーテは批判し、むしろ感覚的・精神的な見方から色彩の本性を説明した。人間の視覚が色彩をどのように感じているか、という素朴な問いかけから出発する色彩論には、残像や補色などの例とともに、光線・環境・知覚者の相互作用によって生じる多様な色彩現象が綴られている。その非科学的な記述ゆえに、必ずしも高い評価を得られなかったゲーテの色彩論ではあるが、科学的実験では捉えることのできない光、そして人間の眼と身体で多種多様に体験される色彩というものに、まるで躊躇することなく研究の情熱を傾けたという点で示唆に富んでいる。

















画家の描くローマ
文●テメル華代 KayoTemel画家


 
 
「われわれは、不断に創造する自然を直観することによって、その生産の営みに精神的に参加するのにふさわしい者となるべきである。私は最初は無意識のうちに、内的衝動に駆られてかの現像的なもの、原型的なものをひたすら追求し、自然に即した叙述を築き上げることにさえ成功したので、ケーニヒスベルクの老碩学[カント]がみずからそう呼んでいる「理性の冒険」を敢行するのを妨げるものはなにもなかった」

 ゲーテは自然科学の枠や数学的世界観にとらわれることなく、人間味溢れる絵画論や色彩論を繰りひろげた。絶えず変化する自然現象に、柔軟な感受性をもって呼応する彼を知れば知るほど、その『色彩論』はイタリアの光のなかで生まれたものに違いない、という確信が強まった。

  ローマ滞在中、ゲーテが画家のティッシュバインと過ごした家が『ゲーテ博物館(Casa di Goethe)』として公開されている。ゲーテの日記や書簡とともに、交流のあった芸術家たちの作品も数多く展示され、遊学の地で希望に胸を膨らませた若者たちの志が偲ばれる。ローマの光とゲーテの色彩論の関係について考え始めたのは、この博物館の一室に展示された、色あせた小さな色相環がきっかけだった。

 ニュートンの考案した色彩論の誤りを確信したゲーテが、独自の構想を練りながら作成したものであろうか。日記を埋める彼の美しい筆跡と同じように、几帳面に彩色された色相環が、なぜか強く印象に残った。どの美術書にも科学史にも述べられていなかったローマの光に感銘をうけ、自らの直感を信じて新たな学説を打ちたてようとした真摯な態度が伝わってくる。「この国の自然も美術も、この光によって一段の魅力と光輝さを放つ」と、シャーロッテ夫人に宛てた手紙の一節にも、ローマの色彩を愛でるゲーテの眼差しがうかがえる。




ティッシュバイン『カンパーニャのゲーテ』1876/88年、油彩
 Johann Heinrich Wilhelm Tischbein "Goethe in der Campagna" 1787,
Städelsches Kunstinstitut (Frankfurt a.M.)










画家の描くローマ
文●テメル華代 KayoTemel画家


 
 「最近のお手紙にはこの地の風景の色彩について御質問これあり候が、快晴の日、わけても秋はまことに色彩に富み、これを写さば余りに華麗に見ゆるべしと思わるるほどに候。・・・・・・ここに最も美しと思わるるは、活々たる色彩が、さまで遠からぬ距離においても空気の調和によりて柔らげられ、また寒色と暖色との対照が截然たる事にこれあり候。青く澄める蔭影は緑、紅、赭等のすべて輝けるものより麗しく分離し、遠く碧く模糊たる中に融合致し候」

 ローマの美的な雰囲気をかもし出しているのは、古代の遺跡やルネサンスの遺産以上に、それを照らしだす光であり色彩である、と述べるゲーテもまた、ローマという都市のアウラを実感していたのではないだろうか。

 最近ではアーティスト・イン・レジデンスという場所特定性を重視する制度もあるが、ローマと芸術家たちの歴史を顧みれば、その光は否応なく多くの作品に都市の記憶を刻みこんでいる。「暑い」、「眩しい」などと不満をもらしながら、私もまた知らず知らずのうちに、ローマの持つ不思議な雰囲気を経験するようになっていった。一日と言わず一時間、一分の間に刻一刻と変化する色彩のなかに身を置いてみて初めて、その美しい光の抱擁を享受することができる。



移ろいゆくローマの色彩(サン・ピエトロ寺院を望む)








画家の描くローマ
文●テメル華代 KayoTemel画家



 
オランダを去る際、「ローマは街全体がアートだ」といってイタリア遊学を喜んでくれた知人の言葉の意味も、今になってようやく分かりはじめた気がする。それはローマ全体に残る美術作品のことではなくて、ローマ全体に溢れる光のアウラのことだったに違いない。多くの芸術家が憧れを抱いて止まないローマの魅力が、またひとつ見えてきた。

「ローマはローマ人だけでなく、数多くの彫像も住まうように、そこには現実の世界だけでなく、より人を魅了するといっていい幻想の世界も存在する。人はたいていその幻想の世界に生きている」 ゲーテ


■ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe)
ドイツの詩人、文学者。1749年8月28日、フランクフルト市に生まれる。父は神聖ローマ皇帝閣下正顧問官、母はフランクフルト市長・帝国裁判所長の娘。ライプツィヒ大学、シュトラースブルク大学で法律学を学ぶ傍ら詩や戯曲を執筆、また素描の技術を習得するなど、創作活動を行う。1774年に発表した『若きヴェルテルの悩み』で名声を得て以降、『エグモント』『ローマ悲歌』『タッソー』『植物変態論』『親和力』『色彩論』『イタリア紀行』『ウィルヘルム・マイスターの遍歴時代』『ファウスト』など、多くの小説、戯曲、紀行文、論文を刊行。また、色彩学、動物学、植物学、地質学など、多方面の自然科学研究にも携わった。1779年に枢密顧問官、1782年には宰相に任命され、1806年にクリスティアーネと結婚。イタリアには1786年から1789年にかけて滞在している。『ファウスト』第二部の清書を完成させた翌年、1832年3月22日に永眠。棺はワイマールの大公家の墓地に、親友シラーと並んで安置されている。


ゲーテ博物館 Casa di Goethe
1786年から1789年に及ぶイタリア旅行において、ゲーテが最も長く滞在したローマの家が『ゲーテ博物館』として公開されている。ドイツ人画家ティッシュバインとともに暮らしたとされるアパートメントで、当時は芸術家たちの交流の場所だった。ゲーテのイタリア旅行とその後の作品への影響をテーマとし、ゲーテの作品や同時代の画家たちによる絵画・ドローイングが展示されている。ドイツ、イタリア間の文化交流の架け橋として設立され、ボンのAsKI(Arbeitskreis Selbstandiger Kultur-Institute)により運営されている。常設展のほか、企画展や講習会、コンサートや上映会などのイベントも開催され、とくに企画展ではローマと芸術家たちとの関わりに焦点が当てられるなど興味深い。



Copyright (c) 2006 Art Village All rights reserved.