新連載!

文●テメル華代 KayoTemel 画家

第二回 (2005年12月7日)
第三回 (2006年 3月2日)
第四回 (2006年5月16日)
 第五回(2006年8月3日)

アメリカ、イギリス、フランスなどに隠れて、いまひとつ見えてこないイタリアの現在の美術状況。
ローマ帝国の遺跡からルネサンス美術までは常に大きく取り上げられるのだが、やはり“現在”はその陰に隠れてしまっている。

今回の連載は、そんなイタリア美術の現在の状況がテーマ。
筆者はオランダに長く滞在し、今年イタリアへと移った画家の テメル華代。
画家として視点を織り込みながら、単なるレポートではないイタリアの美術状況を伝える。
 (編集部)


第一回
〈Antonio Corpora回顧展〉
Museo del Corso
Via del Corso 320, Rome, Italy

9月17日〜10月22日


テメル華代
1977年山形県生。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。2001年渡蘭、アムステルダムの美術アカデミーで油彩、ドローイングを学び2005年に卒業。絵画(油彩、インク画、ドローイング)、イラストレーション、絵本制作、美術批評を手がける。2005年6月よりローマに滞在。
第1回 (2005年) 10月11日


画家の描くローマ
文●テメル華代 KayoTemel画家




図1: 「Pomeriggio」 1957年、油彩




図2: 「Sicilia」 1979年、水彩





図3: 「Il castello nell'acqua」 1986年、
油彩





図4: 「Il sipario」 1998年、水彩





図5: 「Come una finestra」 1990年、
アクリル



   Antonio Corporaと光の都

 待ちに待ったローマの「10月(オットプレ)」は秋雨に始まった。夏の火照りを冷ますように、音の無い霧雨が、ローマじゅうの敷石に染みこんでいく。アムステルダムでの暮らしに慣れた私にとって、この光の国での夏は耐えがたいものだった。乾いた陽射、焼けるような暑さ、目を眩ませる地面からの照り返し、家の中でも粉塵や騒音に悩まされ、そこここの通りに群がるビチクレッタ・マッキナ(バイク)の騒々しさには苦笑するより為す術がない。ハイネもその旅行記で綴っている、「8月はイタリアを旅するなかれ。日中は太陽に照らされ、夜は蚤に悩まさる」ドールハウスのような細々(こまごま)とした町並みを、一年中暗鬱の雨雲が覆いつくすアムステルダム、あえてその貧弱な太陽を好んだ青白い「もやしっ子画家」の私に、ローマという巨大で雄渾な大都市を一日にして享受できるはずがない。ローマに越してきた6月初旬から4ヶ月間、仕上げた油彩はたったの一枚、訪れた教会や美術館もまだ20件を数えない。

 気候のほかにも、ローマの美術的風土における居心地の悪さは、想像以上のものだった。「ローマは街全体が芸術だ」人々が褒め称えるように、なるほど、どこに目をむけても「芸術」が映らない場所はない。ローマ時代の巨大な遺跡、教会建築、ギリシア彫刻、ルネッサンス絵画や街角のイコン、噴泉の響きわたる広場や空高くそびえる記念碑など、各時代の巨匠の技が調和をなして、信仰の首都たるローマに錦上花を添えている。しかし、私が求める近・現代絵画となると、ローマのアートシーンは突然、お得意の客引きを止めて黙り込んでしまうのだ。この街で絵を描くための居場所を探さなくてはならない、「生きた」絵画や画家に会いたい、画家としての基本的な欲求を満たそうとすればするほど、古代ローマの城壁が目の前に高く立ちはだかる。視覚芸術の様式や在り方が多様化し、モダニズムの流れを汲む純粋な平面芸術としての絵画、しかも自らの好む絵画に出会うのがただでさえ難しい今日、二重のハンディキャップを負って古の都を歩き回る。ローマ市の発行する美術館ガイドによれば、イタリア現代美術に焦点をおく公立美術館は、The Galleria Nazionale d'Arte Moderna (G.N.A.M.)の一館のみ、Associazione Romana Gallerie Arte Moderna (A.R.G.A.M.)に加盟するギャラリーの並びを見ても、Piazza del Popolo周辺やTermini駅近辺まで中心街の広範囲に散らばっており、アムステルダムでいうNieuwe Spiegel Straatのような、ギャラリーのひしめく「美術特区」はなさそうだ。

 これまで唯一目を引かれたギャラリーGiovanni di Summaは、Piazza del Popoloのすぐ傍、Via Fiumeに軒を構える。この通りにあると聞いた画材店を探すために運良く足を踏み入れたが、そうでなければ平時は見過ごしてしまいそうな静かな小路である。ローマの色褪せた風景と対照をなして新鮮に私の目に飛び込んできたのは、色鮮やかな表現主義絵画や抽象絵画だった。ようやく言葉の通じる者に巡り会えたかのような安堵感を覚え、Corpora、Drazio、Valentini、Salvoといった作家の名前をカンヴァスや冊子に読み取っていく。なかでも強く惹かれたのは、Antonio Corporaの描いた港の絵だった。晩年は、より抽象的な色彩や形象の組合せによる自由な再現を追究したCorporaの、初期(1950年代前後)の作品であろうか。表現主義的に描かれた帆柱や水面のリズム、遠景の空の淡いカドミウムイエローが何とも美しい。幾度かこの絵を眺めに足を運ぶうち、64年間に渡るCorporaの制作活動を振り返る回顧展が、別の美術館で開催されていることを知った。

 回顧展に並べられた作品は、1938年から2002年までに制作された油絵や水彩画など100点以上。2004年9月6日にローマで逝去したCorporaの一回忌と時を合わせるように、9月17日をオープニングとしてMuseo del Corsoでの展示が約1ヶ月間続く。数もさることながら、圧倒されるのはその表現様式の多様さだ。チュニジアの美術アカデミーで絵画を学んだCorporaは、1930年代のパリ滞在時にはセザンヌやピカソ、マティスらの前衛的絵画を吸収し、イタリアに渡った後もキュビズムや抽象表現主義といったさまざまな再現様式を試みた。卓越した幾何学的形象化で脚光を浴び、1945年にはGuttusoやFazziniと共にNeo-Cubistaを結成している。展示された絵画のうち、船というモチーフ一つに限定してみても、画材(油彩、水彩、アクリル、テンペラ)、様式、色調、筆致に至るまで、各々が全く別の意志に貫かれて制作されたものであることが伝わってくる[図1]。ヨーロッパ各都市やニューヨークで名声を博した後もCorporaの美的探究心は尽きず、70年代後半以降の表現は、激しく叩きつけられたような細片や、色鮮やかな形象の組合せを特徴とする独自の抽象的表現へと昇華する[図2〜5]。100点以上の作品のうち、数点はひどく気に入ったが、全く解せないような作品も数多くあった、そういう感想を抱かせるほどにCorporaは、一作品ごとに別々の魂を吹き込む意欲を欠かなかったのだと思う。

 回顧展など一人の画家を扱う展覧会で興味深いのは、鑑賞しているうちに、その画家の眼差しやパースペクティヴが目の前に浮遊しはじめることである。大きく軽快な筆捌きで抽象化されていく対象(オブジェクト)、詩情豊かな色彩に染められていく風景、その振動が次第に目に吸収され、Corporaの眼差しが主体的に体験され始める。水彩で描かれた、光溢れる一連の風景画などを見ていると、Corporaの暮らしたチュニジアやイタリアの陽射しを窓越しに浴びているかのような臨場感さえ味わえた[図6]。美術館を出ると、Via del Corsoの雑踏がいつもより色鮮やかに目に映る。Corporaも幾度となく訪れたであろうその目抜き通りを歩き、彼の浴びたのと同じ陽射しに目を細め、この古の都で感性を高め果敢に絵筆を揮った画家の生涯に思いを馳せた。この烈しい光を、色褪せた街並みを、いかにしてあの鮮やかな色彩へと翻訳したのだろう。Corporaの独特の眼差しに関心が高まるとともに、焦りにも似た憧憬を覚える。イタリアの季節のなかで最も美しいと言われる「10月(オットプレ)」、近・現代絵画といったタブロー探しにこだわらず、まっさらな気持ちと素直な目でローマの風土や文化を吸収してみようと思った。




図6: 水彩画



Antonio Corpora 略歴

1909年8月15日チュニジアで生まれる。首都チュニスの美術アカデミーに学び1931年に渡仏、モネ、セザンヌ、ピカソ、マティスといった現代絵画の風土で絵画を学ぶ。1939年よりイタリアでNon-figurativeの表現を追究、1945年にはGuttusoやFazziniらとNeo-Cubistaを結成する。晩年は立体主義的な作風を離れ、より自由なフォームでの抽象絵画を制作する。1951年のParis Prize受賞を初めとして、ベニスビエンナーレ、ローマビエンナーレ等での受賞多数。2003年にはイタリア大統領賞を受賞し、San Luca Academyのメンバーとなる。2004年9月6日、ローマで逝去。



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