宮田徹也氏による新連載 
  
      第五回
  ー猛暑が似合う高年齢になった作家達―

 宮田徹也(日本近代美術思想史研究)


第一回  第二回  第三回 第四回 第六回
第5回 (2007年)10月15日










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猛暑が似合う高年齢になった作家達
宮田徹也















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●虹の美術館コレクションが見せる敗戦後美術
 まず、前回報告が間に合わなかった〈虹の美術館の奇跡〉展(2007年5月23日〜7月8日静岡県立美術館)について記す。
 静岡県美の収蔵展の一環ということもあり、「虹の美術館」の2000年から2005年に5年間における活動内容は、常設室という限られた空間に展開した。敗戦後前衞美術を主体にしているのではなく、4つのセクションに分けていた。

・靉嘔とその時代(13点)
・環境芸術の模索(6点)
・グループ幻触ともの派(14点)
・名品コーナー(3点ずつ前期後期で展示替え)
〈虹の美術館の軌跡〉展の靉嘔作品展示風景 
撮影:本阿弥 清
 会場に入ると靉嘔のインスタレーション、『虹の橋』(1966年)と『レインボー北斎』(1970年)が展示されている。靉嘔の鮮烈な色彩に「古さ」を感じない。時代性を背負わないタイプで、池田満寿夫や磯辺行久の作品にも共通している。
 それに対してグループ幻触は、コンピュータ映像が主体となりつつある現代に通用する「新しさ」はないが、翻って新たな「発見」をすることができる。1968年に東京画廊+村松画廊で開催された〈トリック&ヴィジョン〉展にも出品された数々の作品が並んでいる。時代性を背負っているからこそ、見ることとはモニターから映し出される情報を汲み取るのではなく「想像=創造」することであることをそれらは教えてくれる。私はここで河口龍夫を想起した。
 もの派の展示はさほど巨大な作品が設置されることはなかったが、大阪・国立国際美術館での〈もの派―再考〉展(2006年10月25日〜12月18日)に較べてゆったりと見ることができた。名品コーナーに李禹煥の『照応』(2005年)という平面があったことも、そう感じさせる機運があるのかも知れない。
 環境芸術の模索のコーナーは、作品数が少なくともサイズが大きかったので、一室総てを使用していた。瑛九が1937年に制作した『樹』から、1970年前後のグループ幻触ともの派を経て、太田三郎が2003年にプロジェクトした環境芸術に至る。
 虹の美術館前館長・本阿弥清氏によると、今回の展示は、本阿弥氏のコレクションと静岡県美のコレクションと他のコレクターの寄託作品のコラボレーションだという。これにより虹の美術館の活動は、未だ終っていないことを示す。虹の美術館の軌跡から、敗戦後美術の位相を読み取ることが可能であろう。再度の詳細な記録展が待たれる。歴史は強者によって書かれてはならない。













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●猛暑に奮闘する高年齢の作家達
 この2ヶ月、多くの敗戦後前衛美術家達の展示が行なわれた。高年齢になった作家達には、猛暑が似合う。それ程、どの作家も元気だ。
〈ギャラリーコレクション―谷川晃一版画・ポスター展〉2007年5月30日(水)〜6月9日(土)銀座・スパンアートギャラリー
〈池田龍雄個展〉2007年6月12日(火)〜24日(日)福岡・ギャラリーとわーる
〈宇宙御絵図〉2007年6月19日(火)〜9月24日(月)豊田市美術館【安斎重男、金山明、河原温、北山善夫、佐倉密、鷲見和紀郎、田中信行、長沼宏昌、毛利武士郎、野村仁、松澤宥、ZAPPA】
〈池田龍雄個展―遊空間〉2007年7月2日(月)〜14日(土)銀座・ギャラリー58
〈吉野辰海個展〉2007年7月2日(月)〜21日(土)京橋・東邦画廊
〈谷川晃一新作展〉7月2日(月)〜12日(木)京橋・ART SPACE MAYU
〈篠原有司男・堀浩哉ドローイング展〉2007年7月2日(月)〜14日(土)京橋・ギャラリー山口
〈秋山祐徳太子・美濃瓢吾展―ブリキ男と招き男〉2007年7月3日(火)〜22日(日)根津・ギャラリーKingyo
〈池田龍雄展―BOX ART・オブジェを中心に―〉2007年8月4日(土)〜9日(木)軽井沢・ぎゃらりい一色
〈実験公房とAPN展〉2007年7月21日(土)〜9月30日(日)六本木・Fuji Xerox Art Space
〈磯辺行久―Landscape〉2007年7月28日(土)〜9月30日(日)東京都現代美術館
〈稲木秀臣個展〉2007年9月3日(月)〜8日(土)横浜・Galerie Paris
〈加納光於個展―止まれ、フィボナッチの兎〉2007年9月10日(月)〜29日(土)京橋・ギャルリー東京ユマニテ
〈桂川寛 絵と資料展〉資料展示2007年9月22日(土)〜24日(月)〈アトリエ村〉資料室作品展示2007年9月21日(金)〜29日(土)三愚舎ギャラリー
 池田龍雄が精力的に活動している。ギャラリー58においては、一万円程度の立体とも平面とも尽かない小品を並べ、正に遊びの空間を実践した。同じモチーフによる絵画と立体を並べた作品群も、似ているようで似ていない点が面白かった。「芸術は自由である」という池田の主張が、会場の隅々まで行き渡っている。堅苦しさや息苦しさが一切なく、「芸術」という海を自由に泳いでいる。
ギャラリー58での池田龍雄個展個展風景
 池田は、トークも二回行なった。「松澤宥と概念としての芸術」(7月6日(金)/聞き手:光田由里)。「私にとって絵とは何か」7月13日(金)。6日のトークは、松涛美術館学芸員光田のコメントも光った。「コンセプチュアルアートを【概念芸術】と訳すのはおかしい。何故ならコンセプチュアルアートは【概念】を疑い、転覆させ、そこに新しい価値観を見出すからである」。それに対して池田は、当時の日本の様子を詳細に語った。
 13日は「描く」ことの喜びと難しさについて独白した。池田にとって1950年代のペン画の時代も今も作品を制作することに変わりがなく、常に芸術と戦っているその姿に感銘を受ける。権威に対して冗談を交えながらも厳しく言及し切ることができるのは、もはや池田しか居ないのかも知れない。
ぎゃらりい一色での池田龍雄個展風景

 軽井沢は、全く異なる空間に仕上がった。立体のみということ、会場がホワイトキューブではないこともあるのだろうが、一つ一つの作品が精緻に作りこまれている点が目立った。しかし作品にじっくりと触れると、やはり遊びが吹き込まれていることに気づかされる。優れた芸術は、作品自身が見るものに語りかけてくれるのだ。
池田はこの勢いで〈軽井沢アート・コントラーダビエンナーレ〉(2007年9月8日〜30日までの土日祝10回 軽井沢離山公園「あめみや邸」一帯)に参加する。ここではどのような作品を見せてくれるのか、楽しみだ。
 なお、ぎゃらりい一色では2007年9月21日から30日まで、飯田クラウス太郎氏の個展が開催される。クラウス氏は、連載4回目で取り上げた飯田善國氏のご子息である。こちらも併せ注目したい。










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●谷川晃一の思考の深さ
 谷川晃一の作品にも、池田と同様の感触を受ける。スパンアートギャラリーでの展覧は旧作ということもあり、1980年代という時代に対する気負いと挑戦が前面に出てくる作品が目立った。
谷川晃一 
「海辺のジャズ《バリトンサックス》」
 (c)谷川晃一

 それに対してART SPACE MAYUの展覧では総てが新作だ。「JAZZ」というテーマであれば、真っ先にマチスを思い浮かべることができるであろう。確かに谷川の作品はマチスに似ているようにも見える。しかし谷川の絵画を、単なる海外からの影響と見限ることはできない。谷川はマチスそのものというよりも、マチスを受容した日本の空気を敏感に感じ取り、自己のものにし、さらに自由で浮遊的な作品に仕上げている。過去の作品に較べて、動きが多く含まれている。それは色、形、配置のみならず、「音」が聴こえてくるというよりもむしろ画面全体がスクリーンのように数々のシーンを生み出していく。JAZZが持つポリリズムの特性を十分に知り尽くし、受け入れ、絵画として創出した作品群である。
 谷川といえば『アール・ポップ』が有名であり、それは作品を仕上げる画家のみならず、批評としても重要な位置を占めている。『アール・ポップ』を読むと、アメリカ文化受容の指摘だけではなく、芸術の前衛性、生活における芸術の役割といった、1950年代に多くの議論を重ねられた問題について独自の見解を明確に示していることが分かる。
 『アール・ポップ』以前の谷川の活動に眼を移せば、派閥的美術大学には一切関知せずに仕事をしながら制作を続け、1963年の読売アンデパンダンに出品し、土方巽とも関わりを持つという経歴がある。谷川は常に自己の芸術を信じて研究し、制作し、批評を書き続けている。それだけ谷川の思考は深い。谷川に対する研究と考察は、敗戦後前衛美術を理解する上で必要不可欠であることに、改めて気づいたのであった。






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●ユーモアと鋭さの共存
 吉野辰海の展示空間も、楽しさに満ち溢れながらも厳しさが混在する。連載4回目で、ギャラリー58における吉野の展示を紹介した。その際、写真掲載したドローイング『Pepper dog(bucket)』が、今回、実際に立体となって展示された。連載3回目で紹介した名古屋の展示では、暗い色彩を用いていたが、今回は鮮やかな暖系の着色が目立った。どの作品もユーモラスであると同時に、空間を切り裂くような鋭さを持つ。作品と周りを取り囲む空間が拮抗するさまに、吉野作品の特性があるのだろう。この鋭さは、名古屋の旧作よりも今回の新作に多く見受けられた。
東邦画廊での吉野辰海個展風景  撮影:銭谷均

 今回のカタログに、吉野は次のように記している。「ねじれ(screw)犬達は、回転という運動の中で、男性器を見せながら、再生する力、女性性を与えられ中性化し、終りのない捩り運動をやってきた。(中略)塑像という美術用語も脱ぎ捨てた。美術用語の代わりにまとったバナナの皮を剥かれて立ち上がった。そしてスパイシーな植物、唐辛子の辛い力を借りて、死んだはずの捩れ犬も動き始める(後略)」。「運動」という言葉に注意を払うことは当然だが、ここに吉野のこれまでの自己の作品からの脱却と飛躍の宣言を読み取ることができる。作家はいつまでも、挑発と挑戦を繰り返す。六本木ヒルズ53Fギャラリーで行われる〈六本木クロッシング 日本美術の新しい展望〉(10月13日〜2008年1月14日)も楽しみだ。






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●真に注目すべき稲木秀臣と故・奈良達雄
 
ギャルリーパリでの稲木秀臣個展風景
稲木秀臣の3年ぶりの個展は、見応えがあった。1960年から活動の拠点を横浜に定めているが、ギャルリーパリでの個展は初だという。明治44年に建てられた三井物産横浜ビルという独特の雰囲気がある会場に入ると、滲みを生かした色鮮やかな水彩の小品が出迎える。ホワイトキューブというよりも清潔感が先行する会場に、発色の良いアクリルで描かれた50号から80号の作品がずらりと並ぶ。描かれている世界は、人体が踊る様にも新鮮な果実が揺れるようにも見えて新鮮だ。とても75歳の作家が描いた作品とは思えない。
 稲木は1932年、京都に生まれ、高校終了時から行動美術展出品、京都教育大学特修美術科四年中退し、1956年、京都アンデパンダン展設立に参加、初代運営委員となる。1957年、岡本太郎の招きで二科展に出品するが、二度程出展した後、フリーとなる。1958年、東京に上京。1960年、横浜に引っ越しその後、活動の拠点を横浜に定める。横浜で稲木のことを知らない作家は居ないといって過言はない。
 稲木はフリーの作家のみならず、団体展に属する作家とも多く付き合っている。それどころか1962年、第1回集団α展(市村司、稲木秀臣、末松正樹、高森茂夫、飛永頼節、中井勝郎、早川昌、村上善男、吉仲太造。新宿第一画廊にて。馬場彬は二回目から)に参加しているにもかかわらず、その名を美術資料検索サイトにかけても出てこない。稲木は過去に大きな実績を持ち、現在でも果敢に制作を続けている、知られざる最後の大物である。私は稲木の研究を今後、進めていこうと思っている。
 池田、稲木はその活動の当初から現在に至るまで「無所属」を一貫して守り続け、現在では次のような展示に参加している。
〈2007ノーウォー横浜展〉2007年8月6日(月)〜12日(日)神奈川県民ホールギャラリー
〈今日の反核・反戦展2007〉9月15日(土)〜10月30日(土)丸木美術館
このような姿勢から学ぶべきものは多いだろう。
また、次の遺作展には大いに注目した。
〈マクロタイム―奈良達雄没後10年展〉 2007年7月4日(水)〜8日(日)府中美術館市民ギャラリー。
 
府中美術館市民ギャラリーでの奈良達雄展会場風景
奈良は1950年東京都目黒区に生まれる。1973年、独立展初入選、75年創形美術学校造形科卒業、76年ヨーロッパ留学、その後数々のグループ展と個展を開催し、1997年永眠した。今回展示された作品は油絵ではなく、主にアクリルだった。そのテクニックと想像力は、類型を一切持たない。70年代の作品には吉仲太造、タイガー立石、中村宏に通じるイラスト的感覚をもち、90年代の作品は、現在の池田龍雄や谷川晃一のような、ヨーロッパの絵画思想を独自に昇華した自身の作品として形成している。

 このように、60年代以降、活動を続けても既に亡くなってしまった作家に眼を向けなければならない。九州派の働正氏の作品を見た時にも、同様のことを思った。
















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●中村宏と河口龍夫に見る共通意識とは
 ここからは、連載1回目に予告した中村宏と、会期を昨年にした河口龍夫の展覧会について考察する。
〈中村宏展―図画事件1953〜2007〉2007年1月20日(土)〜4月1日(日)東京都現代美術館 2007年7月21日(土)〜9月17日(月)名古屋市立美術館
〈河口龍夫展―地下時間〉2006年9月29日(金)〜11月5日(日)【金・土・日・祝日のみ開廊】下北沢・MACA GALLERY
 中村宏と河口龍夫。年齢も活動場所も制作方法も異なる二人に、「見ること」への探究、連作の意識、時間と動作に対する考察という、共通の意識を私は三つ発見した。無論それだけではない。中村は〈青年美術家連合〉、河口は〈グループ位〉から出発するが二人ともすぐに独立、自己の道に進む。西洋には、これに類似する例がない。この二点は谷川晃一にも言える。池田龍雄も同様ではあるのだが、作品には現れない精神面に、瀧口修造への思いがある。まず中村について考察する。
中村宏展展示風景 撮影:岩野亮介

 絵画199点、立体17点、印刷物141点という、正に中村の画家としての生き様が展示されていた。年代別に四つの章に分かれ、グラフィックの展示が独立する。ルポルタージュ絵画の脇に当時の写真を飾る、といった概略を提示する配慮はなされず、1953年の『自画像(A)』から始まり、星条旗の星と頭部のないセーラー服の少女が重なる『図鑑2・背後』まで、「作品」を一気に展示する方法は見応えがあった。
中村宏展展示風景 撮影:岩野亮介

 素晴らしいのは展示のみならずカタログの出来栄えにも言える。中原祐介の評論はもちろん、2006年6月から10月に繰り返されたインタビューにも、この展覧会に対する学芸員の意気込みを感じさせる。ここで中村は、「ひとつの通した自分の絵画史みたいなことを考えてみようと思った時期があります」と、自己の制作が連続していることを告白している。
 学芸員山田論、藤井亜紀、鎮西芳美による各章の解説も鋭い指摘が続出している。『砂川五番』のモンタージュの技法に対するディスクリプション(35頁)も見事だが、特に中村のルポルタージュ絵画の特徴が「……私的な事件を描いた作品でありながら、主観的な事実に基づいた描写を積み重ねることで、『ルポルタージュ絵画』として完成されている」(62頁)という指摘はこれまでに考察されたことはないだろう。この指摘は1970年代の中村の作品に対して「複数の制作時期をもつ作品が生まれるのも、中村が出来上がった作品を『見る』という体験を制作プロセスのなかで重視している」(95〜96頁)こととも重なる。中村は「描写を積み重ね」ながら、自己の作品を「見」ながら、絵画の表層に現れないヴィジョンを「想起」しているのである。だからこそ中村は、「絵を動かしたい」(118頁)と考えているのではないだろうか。
MACA GALLERYでの河口龍夫個展風景

 河口龍夫の展示空間も充実していた。下北沢の駅を降りて雑踏を横目にひたすら郊外に進むと、閑静な住宅地にMACA GALLERYがある。玄関を入ると左側に『COSMOS - Orion』(1974年)が展示されている。右側の階段を降りると半月状のギャラリーに到達する。その階段の壁面に、『関係―花園』1996年)が展示されている。淡い色彩は「降りる」というネガティヴな発想を優しく包み込んでくれる。下にある作品は新作であるため、三〇年の時を経た連作の意識が伺える。
 階段を降り切ると、鉛によって封印された1400粒の蓮の種子が皿に盛られて椅子に置かれている。壁面には、河口がコレクションした化石を淡い色彩の色鉛筆でフロッタージュした『関係―無関係・石になった生命』が並ぶ。その技法を知らずに見ると想像得難い形に戸惑うが、化石としてみたとしても、その思いに変化は訪れない。莫大な時間を経たとしても、この形が実在することに驚きを感じる。
 それは、丁寧なフロッタージュという過程を経て化石が作品へと変化するというよりも、河口が「見ること」によってイメージが変革しその視線を取り込んだ作品を私達が見るという工程に意味が発生しているのであろう。つまり、ここには「動作」が内在化されているのだ。
銅線が一粒の蓮の種を支える『一粒の種子から(地下から空間へ)』は、ここが地下であることを気づかせてくれる。それ程この静謐な展示は、地獄・煉獄・天国といったヒエラルキーを喪失し、「場所」という概念を削ぎ落とし、ただ一つの「空間」として存在しているのだった。
 それは床に北斗七星のリズムで配置されている、六つのステンレスボールと一つのMACA GALLERYの模型による、計七つの物質によるインスタレーション『関係―地下時間・地下の北斗七星』も大きく作用しているのであった。天空が床に置かれている。今、自分がいる空間の模型が眼の前にある。自分が何処に居るのか、わからなくなる。蜜蝋によって黄色く塗られたステンレスボールにはMACA GALLRY付近の地下水が張られ、胴によって封印された蓮の種が乗る銅製の皿が浮かんでいる。蓮が持つ時間、星の光が届く時間、地下水が持つ生命の時間、自分が生きている時間。そういったあらゆる時間が途方もないものに感じてくる。
 階段を昇り再び『COSMOS - Orion』に眼を投じると、この空間との別れが名残惜しくなるよりも、この空間が「在った」喜びが生れる。MACA GALLRYから時間も空間も遠く隔たったとしても、河口の作品を「想起」することができるのであった。
 MACA GALLERYはこの展示に対して、河口の制作ノートと画廊主増田常吉のエッセイを基にカタログを作成した。展示記録ではなく、制作のプロセスを知ることができて興味深い。河口は増田との出会いを語り、今回の展示を「MACA GALLERYと河口龍夫のコラボレーション」と位置づけ、さまざまに派生するイメージを書き付ける。増田は自己の「思念」を、簡潔でありながらも力強い言葉で刻み込む。今後の河口の研究をする上で、重要な位置を占める開かれた書物である。
 河口龍夫には以下の予定がある。
〈河口龍夫展〉2007年10月27日(土)〜12月16日(日)兵庫県立美術館
〈河口龍夫展《関係―質》〉2007年11月3日(土)〜12月24日(月)名古屋市美術館







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●「戦後美術」という独特の括りへの疑問
 ここで連載当初の5つの問題について、中村と河口を当てはめる。
@「日本戦後前衛美術」の名称
二者の作品を追うと、「敗戦後」というよりもその都度時代に対応し、さらにそれぞれの生き様に反映する制作をしていることが理解できる。もはや時代を限定する発想自体が、発展史観に繋がってしまうのではないかと危惧する。
A戦後前衛美術の日本的特徴
二者とも余りにも他に類がない作品を制作している。「日本的」どころが「個人」としての眼差しを向ける必要があるのではないだろうか。
B西洋近代との関わり
中村はシュールレアリズム、河口はインスタレーションという「様式」をとってはいるものの、この枠では捉えきれない独自の発想を大切にしている。
Cなぜ海外へ赴いたか、なぜ国内に留まったか、国際的視点をどれだけ必要としてきたか
二者とも海外での展示の記録は多数ある。中村の年譜に海外滞在の記録はなく、河口は1975年から76年にかけて文化庁の芸術家在外研修員としてイタリアを中心にヨーロッパ、アメリカ、デンマークに滞在したと『河口龍夫作品集』(現代企画室 1992年)にあるが、共に作品の変容には必然が前提にあり、国内・海外という閾を必要としていない。
D団体展との関わり
始めに触れた。

 このように連載を重ね考察を進めていくと、「戦後美術」という独特の括りの必要性が失われていく。作家は「戦後美術」のためだけに作品を制作しているのではない。自己の生き様が作品として表れていく、それが現在の美術の本来の姿ではないだろうか。



■ 宮 田 徹 也 (みやた てつや
 1970年、横浜生まれ。1992年、高校中退。2002年、横浜国立大学大学院修士課程修了。修士論文を「百済観音考」と題し〈日本美術史〉形成の過程を追い、この論考を2004年、明治美術学会で発表。
 また、「イマージュオペラ」「畳半畳」から身体に興味を抱き、ダンス・舞踏・パフォーマンスに対する論考を「ダンスワーク」56(2005年)、57(2006年)号に発表。
 現在は、〈日本戦後美術〉と〈舞踏〉に焦点を絞り、敗戦後の日本における芸術の動向を追う。最近は雑誌「トーキングヘッズ叢書」でダンスの記事を連載し、『池田龍雄画集』では「参考文献表」を担当。

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