宮田徹也氏による新連載 
       第三回
 宮田徹也(日本近代美術思想史研究)


第一回 第二回 第四回 第五回 第六回
第3回 (2007年)4月20日







連載記事
「動作」からの出発
宮田徹也


 この記事を書くに当たって、千葉成夫『未生の日本美術史』(晶文社 2006年9月10日)が発行されていることに気がついた。全くの不勉強を反省する次第である。千葉氏はここで「日本に美術は未だ生まれていない」と定義し、「サブカルチャー」と「1970年以降」に焦点を当て、敗戦後美術については加藤典洋を援用しながら「『戦後』がおわってゆく事態を、自身の青春がおわっていくなかで体験したのである。」と、そっけない。『現代美術逸脱史』(1986年3月)から20年、満を持して書き上げた千葉の書物は、熟読する必要があるだろう。
 建畠哲氏が信濃毎日新聞で、戦後美術についての連載を始めていることも知った。「野生の近代」と題し、2006年4月24日から月3回の連載。2007年4月2日の段階で32回目、38回まで行う予定だと新聞社はいう。1〜6が具体美術協会、7〜8はシュルレアリズム系として阿部展也、鶴岡政男、北脇昇、山下菊二、9は直接戦後を描いた者として浜田知明、丸木位里、10〜11は戦争画、12は実験工房、13〜15はネオダダ(吉野は含まれず)、16〜17は読売アンデパンダン、18〜20はハイ・レッド・センター、21は九州派、22は北美文化協会、23は「幻触」、24〜26はもの派、27は〈人間と物質〉展、28は大阪万博、29は美共闘、30は抜け落ちた作家として斉藤義重、松澤宥、31はフルクサスの女性たち、32は彫刻家となっていて、見事に私が取り上げている、もしくは取り上げようとしている作家と被っていない。先日、建畠氏は「この連載を本にする」とお話していたので、楽しみである。
 さて、今回は具体的に「動作」を織り込んで活動している、ゼロ次元を取り上げる。











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「動作」からの出発
宮田徹也


















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「動作」からの出発
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●吉野辰海に見る「動作」
 その前に愛知県の画廊で行われた吉野辰海展(ギャラリーM 2007年2月4日〜4月1日)をお伝えする。この展覧会は「ダンス―発芽するラセン犬、立ち上がる植物神経」という題目を持ち、3月4日には実際に原智彦によるダンス公演も行われた。原は名古屋において暫く岩田信市と行動を共にしていたらしいので、会えなかったことが残念だ。吉野の出展作品は40点、サイズは最小が『M-10 SCREW 立ち上がる臓器』(2001年 F.R.P)が190センチ、最大が『双頭犬』(1989年 F.R.P)が291センチ、最も古い作品は1959年の『SCREW』(470mm/ F.R.P)、最新は2005年の『大首(マケット1/10)』(40センチ F.R.P)であり、2007年の作品がないのでこの連載に相応しくないともいえるのだが、70年代後半から一貫して「犬」を制作。
吉野辰海展展示風景
今年は、東京・ギャラリー58で風倉匠、田中信太郎と共に三人ドローイング展(6月4日〜23日)、個展は東京・東邦画廊(7月2日〜21日)、他に六本木ヒルズ53Fギャラリーの〈六本木クロッシング 日本美術の新しい展望〉(10月13日〜2008年1月14日)に参加予定等、展示が続くので、そのスタート地点として重要な位置を占めると判断した。
 会場に入ると、巨大な犬達が恣意的に展示されている。天井が高いので、他の場所で接するよりも迫力が違う。一体一体に触れ合うと、その顔はユーモラスでありながらも真剣な眼差しを留めている。足は人体とも動物とも異なる、独自の感触を持ち合わせている。手は長すぎるように感じるのだが、動物なのだから不自然なことではない。回り込んで見ても、全く隙が無いほど作りこんでいる。距離をとってみると、そのシェイプの曲線は有機的様相を醸し出し、今にも動き出しそうなのか、今まで躍動していた動きが止まったばかりなのか分らないほど「動作」が含まれている。当たりのよい照明によって生み出された影は原のダンスのインスピレーションにも繋がったと画廊主、牧照明氏にお話戴いた。
ギャラリーM外観

 ギャラリーM(http://gallery-m.cool.ne.jp/)は2006年9月にオープンした、新しいスペースである。取り扱いは「現代美術/前衛美術」だという。愛知県日進市岩崎町根裏24-2に位置し、名古屋ボストン美術館にも豊田市美術館にも、30分程車に乗ればアクセスできる便利な場所にある。ギャラリーのスペースは9×10メートル、高さは5メートルあり、郊外の静かな場所にあるので公演、演奏も可能だ。2006年9月のオープニングイヴェントでは、篠原有司男がギャラリー入口通路で、ボクシング・ペイントを行った。私が画廊に訪れた時にも、ピンクの顔料は残っていた。ギャラリー58(http://www.gallery-58.com/)と共に、戦後前衛美術の日本的特徴を掴むための重要な拠点になっていくだろう。
 吉野辰海は1940年に生まれ、58年上京し御茶ノ水美術研究所に通う。59年、武蔵野美術大学入学、20歳でネオダダに参加、61年に大学中退、70〜72年はニューヨークへ行くが、そこでの代表的な作品はない。79年から「犬」の制作を始め、現在に至る(アートプラザ開館記念〈ネオダダJAPAN1958-1998〉カタログ参照)。菅章(同カタログ)は、吉野の犬を見て吉本隆明の土方巽論が頭をかすめたという。その記述を引用する。

 「通常、彫刻は台座と心棒をしっかり固定して、粘土でモデリングしていくわけだが、吉野の場合、上から吊り上げ犬の足がわずかに下に触れる状態でバランスを取りながら肉付けしている。これは、まさに舞踏やパントマイムの力学であり、大地に足を据えた犬ではなく、スクリューの回転運動を内包しつつ舞踏的身体で立ちすくんでいる犬の姿なのではないだろうか」。

 菅は舞踏と暗黒舞踏、マイムについての区別をつけていないが、このような犀利な考察を更に押し進めていくのが、この連載の主眼でもある。吉野が海外に赴いたとき、何を感じ何を得て何を棄てたのか、そのような考察を上記東京の展覧会を経た上で行いたい。












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●《儀式》を再開したゼロ次元
 ここからは、ゼロ次元について考察する。
 21世紀のゼロ次元は、やはりゼロ次元らしく美術の表の世界で華々しく活動するのではなく、地下活動から徐々に表面に侵食してきている。バニラ画廊等で加藤好弘は絵画展を行ってはいた。ゼロ次元については、福岡アジア美術館の黒田雷児が研究を重ねてきた。その評論は幾つかの媒体に発表されている。
 ・2001年11月『1960年代日本のパフォーマンス研究T―文化としての「ゼロ次元」・序論―への走り書き』(「鹿島美術研究」年報第18号別冊/財団法人鹿島美術財団)
 ・2003年2月『知覚の襖-都市空間に置ける「ゼロ次元」の儀式』(「アヴァンギャルド、視差において」金沢21世紀美術館建設事務局研究紀要 issue)
 ・2004年5月『「ゼロ次元」までに・「ゼロ次元」から思うこと』(「リア」リア制作室)
黒田の研究はデータと写真とインタビューを元にした実証的な論点から行われており、信憑性が高い上にこれまで曖昧だった結成から72年までの軌跡や活動の変化が、つぶさに記録されている。黒田も原稿を書き、加藤のインタビューも掲載されている「The portraits of the avant-garde artists in 1960's」(「美庵」vol.17/Nov-Dec 2002)も、現在から見れば沈黙期にあった加藤の思想と停滞期であったゼロ次元研究の動向を知ることができて、必見である。編集したアライ=ヒロユキの先見の明に脱帽する。
 ゼロ次元は2006年頃から《儀式》を再開し始めたので、黒田が実際に《儀式》を目の当たりにした論文がないことが惜しまれる。2006年からの軌跡をゼロ次元スタッフである細谷修平氏に御教示いただいたので、下に記す。
・2月15日 東京 神楽坂die pratze 「ニパフ」
・2月18日 名古屋 オズモール(大曽根商店街)コミュニティーセンター空き店舗 「ニパフ」
 ・3月25日 名古屋 今池 涅槃
 ・4月10日 東京 麻布die pratze 「M.S.A.コレクション」
 ・11月18・19日 東京 都電荒川線 「ゼロ次元以後のアクションアート」
 その他、8月19日、石川雷太個展の際に、特別討論会「見えない境界、前線はどこだ!」(出演:加藤好弘(ゼロ次元)/羊屋白玉(指輪ホテル)/石川雷太(美術家)/宮田徹也(司会))が行われた。他に活動初期の記録として、写真家平田実による『ゼロ次元―加藤好弘と六十年代―』(8月30日/河出書房新社)が刊行された。同人誌の「四目」(四目企画編集室=細谷修平+中西レモン+鈴木奈津子/ http://www1.cts.ne.jp/~pinco/yotsume.html)創刊号ではゼロ次元の特集が組まれ、東京、名古屋の《儀式》のレポートも多く含まれているので、参照されたい。












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●《インストラクション》《アジテーション》《絵画》《映像》が一体となって発動
 2月15日、たった20分であろうと「伝説のゼロ次元」を見ようと、神楽坂die pratzeには、これ以上入りきれない程の人々で満ち溢れた。当時から見ている者、20代で始めてみる者、美術関係者、画家、ダンサー、パフォーマー、加藤の友人で海外からの来訪者等、正に人種の坩堝の様相を呈した。舞台後方には加藤が描いた《絵画》が並んでいる。《映像》が投影され、その前を全裸若しくは性器を覆い隠した男性が、芋虫状に連なり四股を踏んで徘徊する。寝転ぶと、ガスマスクとペニスの模造をつけた裸身の女性が右手を上部に掲げて踏み歩く。
爆音のロック、写真のフラッシュが飛び交い、もはや客席と舞台の区別がつかなくなったクラブのような会場で、加藤は《アジテーション》を行う。収拾がつかない状態に思えても、加藤の《インストラクション》によって《儀式》は混迷がなく終了した。このカオスは、始まりに過ぎない。しかし加藤は混沌により総てを巻き込み、抽象的状態に陥って《儀式》が見失ってしまうようにはしない。
 4月10日はさらに作りこんだ《儀式》をみせつけた。向井千恵のソロに不気味な男が全裸で乱入し、見事なコラボレーションを見せた。
この際に後方にうっすらと見える加藤の《絵画》が、その後の期待を駆り立てる。小杉武久に学んだ向井というヴェテランだからこそ、そう感じさせたのかも知れない。《儀式》が始まる前に、加藤が60〜70年代に制作した《映像》を二枚のスクリーンを並列に並べておよそ40分間、同時上映した。爆音のロックがかかり、物語のない抽象的な《儀式》の映像によって、見る者は催眠術にかけられたような状態になる。その最中に突然加藤は立ち上がり、自己のこれまでの歩み、現代の状況、未来への展望図を《アジテーション》する。加藤が語りかける対象は一般観客のみならず、パフォーマーたち同業者にも辛辣に向けられる。この間に半裸の男達が百足行列を行うと、客席からも男たちが服を脱いで乱入し、総勢8名が連なって踊り狂った。男たちは、左右に配置された《絵画》の間に横並びにうつ伏せになり「鰐鮫」と化し、《絵画》の一方の背後から「白兎」である女性二人が交互に「鰐鮫」を踏みつけて他方の《絵画》へ移動する。《絵画》の間を往復する様子を《絵画》を含めて見ると、発生しては消尽し、失われたものが復活する輪廻転生的幻想を生み出していた。
都電内でのパフォーマンス 撮影:芝田文乃
 加藤の《儀式》の意味はここにある。《絵画》と「パフォーマンス」を切り離して考察すると、加藤が「小屋」で《儀式》を行った意義を見失ってしまうのだ。ゼロ次元の《儀式》はここで終わらない。「鰐鮫」「白兎」が撤収し、《絵画》が撤退されても、質疑応答を含めた加藤のトークに終わりが訪れることは無い。つまりゼロ次元の《儀式》とは、パフォーマンスのみを指すのではなく、加藤の《インストラクション》《アジテーション》《絵画》《映像》が一体となって発動するのだ。しかしこれらは全て揃っていなければならないわけではなく、その都度の場所に応じて選択に変化が生じる。
 11月18・19日の都電荒川線の《儀式》では、《インストラクション》の特徴が強調された。ゼロ次元のメンバーが都電荒川線王子駅前から、電車内へ威勢よく乗り込んでくる。《儀式》を行ったのは4人の女性だが、加藤好弘、先導の中西レモン、その他スタッフ、平田実ら写真家総勢20人はいたであろうか。観客を前方の座席に移動させピンクの絨毯をスタッフが床に敷いている間に、中西が口上を述べる。加藤は観客に豪奢なアイマスクをつけ、頸にロープを括り付けることを要求し、出演者に触らぬよう注意を呼びかける。
 準備が整うとメイド服の女性が4人左手を掲げて前進し、折り返し一周する。女性たちは前方で服を脱ぎ、今度は下着姿にガスマスクを被り手に白手袋をはめ、四足で前へ進み折り返す。加藤は女性たちに速度が早かったらゆっくりともう一周せよという《インストラクション》を与え、女性たちはそれに従う。それが終わると今度は観客を後部座席に移動させ、女性たちにさまざまなポーズをとらせ、撮影会が始まる。観客は頸を括られているから、座席によってはその模様の詳細を伺うことができない。加藤によって絨毯が巻かれていく。早稲田に着くと一団は降りたっていった。
 二日目は、女性たちが7人に増えていた。始めの場面でもメイド服5人、着物1人、着物風洋服1人とヴァリエーションが増し、色彩感が強まった。この《儀式》に技巧は存在しないのだが、特にリアキが「入っている」いい表情を浮かべていた。行進までは前日同様だが、その後の撮影会の際に後方では、白塗りの南阿豆が天井からぶら下がる等のパフォーマンスを見せた。
 メイド服に彩られた華やかな時代とは、実は安全と思われる車内においても危機は充ち溢れ、呼吸困難の為ガスマスクを装着して煙を潜るように四足で移動しなければならない事実を寓意している。メイド服と下着姿が「サブカルチャー」を援用しない点も、ゼロ次元の特質である。ゼロ次元は常に前衛に位置するのだから「美術の流行」になど、眼をくれない。






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●現在の視点で検証
 ゼロ次元の《素人》による《儀式》は芸術至上主義を徹底的に破壊し、なおかつ加藤がその場で《インストラクション》を与えることによって確定要素を排除することに成功している。この加藤の《インストラクション》が芸術至上主義に結び付かない所以は、これを与えることによって《儀式》がよりよいものにならない点にある。
 加藤は理想の雛形を女性たちに命じない。だから《インストラクション》は一度か二度で終了する。優れたインプロヴィゼーションを行うミュージシャン達は、いずれもリーダーが《インストラクション》を出している。K.シュトックハウゼン、M.デイビス、D.ベイリー、G.グールドなど等、ジャンルが違えども、皆実際に声を出して指示を出すのだ。加藤もこれに匹敵する。加藤の《インストラクション》《アジテーション》の際にあげる声が若い。若すぎてルックルスのギャップが異様さを増長しているらしいが、私には気にならない。声は人間の年輪を表すとするならば、加藤の「年期の入った若さ」こそ現代の美術界に必要なものであろう。
 そして《インストラクション》とは、キュレーションの意味も担っている。桜井孝身、ダダカンらを発掘し、新たな息吹を与えたのは加藤だ。加藤の《インストラクション》に、ゼロ次元活動黎明期の意識からの変革を感じないという指摘もあるが、この点については二つの解釈からその批判を超克することができる。
 まずは、それだけこの国が変わったのかという疑問にある。確かに1960年代から2007年の現代は資本主義社会として成長した。しかし民主主義は獲得することができたであろうか。意識に変革は生まれただろうか。下手をすれば、1930年代から日本人の意識に覚醒は存在しない、ということもできるのではないだろうか。
 そして、もう一点は、加藤の時代を読み取る力である。加藤はこのような現代を冷静に読み解き、若い世代が自己の主張を全て理解できずにいることも了承している。それがなければ《儀式》は成立すらもしないはずだ。若い世代こそ、現在の状況を把握しきっていない。自らがこの渦中にあるため冷徹に時代を読み取ることができない点を、加藤が補助していることになる。だからこそ加藤と若い世代は危うい橋を渡りきれている。
 さらに、この連載第1回目に示した5つの問題点で、検証してみる。
 @「日本戦後前衛美術」の名称について。加藤は最も政治的行動を起こした人物だった。なおかつ岡本太郎との関わりもある。そのような加藤がこの名称についてどう思うかなど聞く余地も無いだろう。上記のように、これから活動するゼロ次元は「現代芸術」なのである。「前衛」であるものに「戦前」も「戦後」も「現在」も意味は成さない。
 A戦後前衛美術の日本的特徴を考えると、マスコミュニケーションとの関わりという新たなテーマが見えてくる。岡本太郎がコマーシャルに出演したように、ゼロ次元は当時のテレビ番組11PMに出演していた。これによって「伝説化」する点を考慮に入れると、いわば「受容史」を考察しなければならないだろう。
 これもギャラリーMの牧氏に御教示いただいたのであるが、朝日新聞朝刊名古屋面「アート」において、岩田信市が「私の戦後美術―ゼロ次元からスーパー一座へ―」と題して、2007年1月16日から連載を始めている。この原稿をあげた4月の初旬でも、それが留まる様子はない。受容史については、福岡アジア美術館の黒田雷児が詳細な研究を行っている。これについては、黒田の発表を待ちたい。
 B西洋近代との関わりから見れば、ゼロ次元のように《インストラクション》や《絵画》を用いるといった、類似するグループは無いと断言できる。それどころか、ゼロ次元はギリシャ美術のような原型的要素を持っているので、海外の動向に敏感な他のパフォーマーが、ローマ美術のように見えてくる。だからといって、ゼロ次元を『日本独自のオリジナルグループ』とする必要は無いだろう。ゼロ次元に対する考察も始まったばかりといえよう。
 Cなぜ海外へ赴いたか、なぜ国内に留まったか、国際的視点をどれだけ必要としてきたかという問いに対しては、加藤はトークの際にも述べていた。万博破壊共闘派が次々に公安に逮捕され、逃げるように国外へ出たという。ニューヨークへ赴いたことについては「タントラ修行の延長である」と読み解くこともできるが(前出「美庵」)、もっと注意深く加藤に伺うべきであろう。
 加藤が都電荒川線で《撮影会》を行ったのは、NYで展示があるためだと言って顰蹙を買っていたのだが、これが「国際的視点」を意識した「野心」なのか、日本のパフォーマーを代表して「殴り込み」をかけるのか、ニューヨークで必要とされているのか、この点については今後の展開を待たなければならないだろう。
D団体展との関わりに関しては、加藤の経歴を見れば、それはないことが分かる。それどころか「美術界」との関わりすら薄く感じる。当時、池田龍雄なり土方巽なりとその活動の場所を同じにしたことがあるだろうが、それは「グループ展」でも「コラボレーション」にもなっていない。それはゼロ次元に対する理解が、当時から成されていなかったことも意味する。この状況は今日でも同様であろう。ゼロ次元は常に新しい。
 しかし加藤が版画をやっていたことを考察の視野に入れていかなければならない。例えば大浦信行は近年、「監督」として知られているが、その映画が作り出す皮膚・表面感覚は、「遠近を抱えて」と全く同じテクスチャーを持ちえていると私は確信している。このようにゼロ次元を、加藤を研究するのであれば、加藤の版画の考察は避けることができないのである。

 最後に、加藤のプロフィールを記す。
 MIZMA ART GALLRY版(http://www.mizuma-art.co.jp/_artist/kato_j.html)を参照し、加筆した。
 1936年、名古屋市に生まれる。1959年、多摩美術大学美術学部絵画科卒業。この頃、岡本太郎の鞄持ちをしたことがあると言う。1963年1月、ゼロ次元「狂気ナンセンス展」はいつくばり儀式(愛知県文化会館美術館)を始める。1964年9月、「日本超芸術見本市」(平和公園)で九州派、ダダカン、アンドロメダ他が参加する。1967年3月、「仮面首吊り儀式」(都内車両、目黒−新橋)。1968年7月、 映画「にっぽん’69 セックス猟奇地帯」に出演する(監督:中島貞夫)。1969年4月、万博破壊共闘派の活動に入る。 1970〜1972年、映画「いなばの白うさぎ」、この作品では加藤自らが監督となる。その後インド、ネパールへ活動の場を移す。ゼロ次元で日本中を沸かせた加藤は、インドの裸の修行僧の行列を見て1977年「夢タントラ研究所」を設立する。1980年2月から「タントラ構造論―身体の宇宙図」を美術手帖に掲載。1980年11月、『夢の神秘とタントラの謎』(日本文芸社)出版。1990年10月、ニューヨークへ移住。襖絵による夢物語「ペニスをつけた女達」シリーズに着手し、その後同シリーズに8年間取り掛かる。1998年10月、日本に帰国。2001年6月、 個展〈立体夢タントラ装置マンダラ(襖絵マンダラ)〉展(ミヅマアートギャラリー)を開催する。

■ 宮 田 徹 也 (みやた てつや
 1970年、横浜生まれ。1992年、高校中退。2002年、横浜国立大学大学院修士課程修了。修士論文を「百済観音考」と題し〈日本美術史〉形成の過程を追い、この論考を2004年、明治美術学会で発表。
 また、「イマージュオペラ」「畳半畳」から身体に興味を抱き、ダンス・舞踏・パフォーマンスに対する論考を「ダンスワーク」56(2005年)、57(2006年)号に発表。
 現在は、〈日本戦後美術〉と〈舞踏〉に焦点を絞り、敗戦後の日本における芸術の動向を追う。最近は雑誌「トーキングヘッズ叢書」でダンスの記事を連載し、『池田龍雄画集』では「参考文献表」を担当。

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