藤田一人氏による連載第二弾!
  芦屋市立美術博物館 Z(最終回)

美術ジャーナリスト:藤田一人Kazuhito Fujita

第1回  8月16日
第2回  9月16日
第3回 11月26日
第4回 12月14日
第5回2005年  2月22日
第6回  5月11日
番外編(横浜美術館) 2005年8月31日
                         2003年度・第一回連載「国立新美術館とは何か?」はこちら
第7回 5月25日












美術館の“大義”
芦屋市立美術博物館 U
文●藤田一人
Kazuhito Fujita
美術ジャーナリスト

































美術館の“大義”
芦屋市立美術博物館 U
文●藤田一人
Kazuhito Fujita
美術ジャーナリスト


















美術館の“大義”
芦屋市立美術博物館 U
文●藤田一人
Kazuhito Fujita
美術ジャーナリスト






● NPOによる美術館運営

 芦屋市立美術博物館が、NPO(非営利団体)による運営方針への道筋が開かれたのは、2005年3月の市議会で、市長が「美術博物館は閉めない」と答弁したことによる。市長がそう発言したのは、言うまでもなく、同館の管理・運営を請け負ってくれる民間の企業や団体が見つかったからではない。ただ、美術博物館を2006年度以降も運営していくためには、少なくとも、今年2005年の夏頃までには、その運営形態をきめ、予算をどれくらい付けるのかという検討に入らなければならない。その場合、例え休館という処置をとるにしても、企画費等の削減は出来ても、施設、所蔵品の管理、人件費等を考えると、数千万円は必要で、財政削減という行政側の大義名分からすると、さほど意味がない。そんななかで、行政側は年度末まで、それをはっきりとはさせず、出来ることなら、一銭たりとも出したくないという姿勢を示していた。だが、市議会の質疑で度重なる同館維持の要求に対して、「売却はしない」という答弁したのち、結局休館でも意味がなく、市民主導のNPOが出来る可能性があるのなら、それに賭けてみようということになったのも分からなくはない。

 しかし、現在に至っても、一体2006年度に美術博物館がNPOに委託されるとして、どれほどの予算がでるのかは、決まってはいない。とは言っても、「休館せず、開館を続ける」ということは、施設、収蔵品の維持、管理といった最低の予算は出す用意はあるということだろう。問題は、その予算額では賄いきれない企画費や事業費等をNPOがいかにして集めるかということになる。

 芦屋市立美術博物館のNPOによる管理・運営を早い段階から検討、模索していいた一人が同館の河崎晃一学芸課長だ。彼は、この問題が持ち上がった当初から、美術博物館のこれまでの展開と意義を様々なメディアを通して訴えるとともに、100%官による運営の難しさを指摘して、市民ボランティアを主体としたNPOでの運営を語ってきた。そのひとつとして、朝日新聞のインタビューを受けてこう語っている。

 「(美術館の)運営主体は市民が中心の非営利団体(NPO)が担うのが現実的だと考える。企業が運営すれば、市民は『利用者』にすぎなくなる。公益性が高い事業に、『企業の理論』で人類の共有財産を運営するのは困難ではないか。企業にはサポーターであってほしい。

 NPOなら、行政、企業、市民の3者が均等に力と資金が出し合える。公益法人なので、企業や市民の支援も得やすい。欧米の美術館運営のスタイルを学びながら、日本独自の運営方法を作る時代に来ているのではないか。税制改革も急ぎ、寄付による所得控除を拡充して欲しい。メセナ協議会やNPOへの寄付を通じた支援が得られないか、検討したい。

 NPOには、経理と広報の専門家が必要だ。むだ遣いを排し、費用対効果を最大にしなければならない。美術館の経営に、企業人がかかわる時代を築き、文化への理解を広げていきたい」(「朝日新聞」2004年8月24日朝刊『再び問う公立美術館』)

 と、積極的な市の行政と企業そして市民を巻き込んだ形で、新たな美術館運営を模索しようとする考え方は、大きな可能性と、よく言われるところの“開かれた美術館”なる理想とも一致する点も多い。ただ、その場合でも、当面の最も重要かつ具体的な課題は、一体市の負担額がどれだけかということだ。それに対して、河崎氏は現状をこう言う。

 「現在、それを市と詰めている段階なのですが、いまのところ、5000万円というのが攻防ライン。後は、NPOが独自に資金を調達し、人的問題は、市民によるボランティアでまかなっていくということになります」

 そうして、実際に河崎さんらが中心になって、美術博物館の管理・運営のためのNPO法人立ち上げの動きは、具体化していて、その資金確保の方法として、外貨ファンドによる資金運用によって、その利回り金を館の運営資金に当てるのだという。

 「幸い芦屋には、資産家は多い。しかし、直接運営資金を提供してもらうというのは、難しいところがある。今すぐ自由に資産、資金を動かせるひとはそうはいないんです。そこで、NPOがファンドを立ち上げ、それに出資してもらって、その利子分を運営資金に廻してもらうというわけです。ただ、国内の信託などでは、到底美術館の運営費を稼ぐだけの利回りは期待できない。そこで外資によるファンドを利用する。それなら年1割の利回りも可能だという。それなら美術博物館の運営資金を捻出できる。勿論、それには危険も伴います。間に入る証券会社の腕の見せ所でもありますが、失敗する可能性もある。でも、現実に、それ以外に長期間高額の資金を確保できる方法が見つからないというのが現状です。私たちは、それに賭けてみようと言うわけです」

 外貨ファンドという方法を用いて、美術館運営資金を確保するというのは、確かに危険性が高くはある。が、そういう国際金融時代に、公立美術館も入っていかなければならないというのが、時代の趨勢ともいえるのかもしれない。昨今の日本は、ペイオフが全面解禁され、政府の郵政改革のなかで不安要因のない資金の預け先がなくなりつつある中で、多少危険はあるとしても、地域の文化活動に貢献しつつ、高い利回りにより自己資金は減らないという投資は、それほど悪い話ではないだろう。しかし、実際問題として、世の資産家がそれをどう考えるかは未知数だ。勿論、そのファンドに出資する何人かは、NPOの立ち上げと、運営にも関わっていくのだろうから、そういう意味では、彼らの胸ひとつというところはある。

 それに加えて、実際のところ、市文化振興財団が廃止されるにあたって、そのNPOが、美術博物館のみを運営するのか。それとも、同財団が運営してきた市民センター・ルナ・ホールや市立体育館・青少年センターといった他の施設も同時に受け継ぐのかによっても、その可能性は変わってくるだろう。今回は、美術博物館だけが、大きく取り上げられてはいるが、実際には、同市の社会教育施設全体の問題なのだ。それについても、河崎さんはこう言う。

 「組織的には、美術博物館と谷崎潤一郎記念館は共同歩調をとっていくということが確認されているわけですが、それ以外の施設は、最初から負担が大きすぎるという考えが強い。それなら、現在の文化振興財団を解散せずに、それを引き継ぐという方法もあるわけですが……。ただ、ルナ・ホールに関しては、それなりに収益も見込めるため、引き受けてもいいのではないか、という意見も出ています。それも今後そうそうに決定しなければならせない課題です」

 NPOによる運営への実現に踏み出したという芦屋市立美術博物館ではあるが、その実現には未だ山あり谷ありの、暗中模索が続く。














美術館の“大義”
芦屋市立美術博物館 U
文●藤田一人
Kazuhito Fujita
美術ジャーナリスト



















美術館の“大義”
芦屋市立美術博物館 U
文●藤田一人
Kazuhito Fujita
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●ボランティア組織の課題

 さらにもう一つ大きな問題がある。それは、はたしてボランティアによる美術館の管理・運営というものがそううまくいくものか、ということだ。近年来、幾多の公立美術館で、ボランティアによるギャラリー・トークなどが盛んに展開されている。ほとんどの場合、企画に応じてその都度応募され、美術館側の指導、管理のもとに、活動に当たってきた。そんなボランティアたちが、最近、自主的にNPOや友の会などを作って、美術館のボランティア活動を継続していこうという動きが盛んになってきた。つまり、ボランティアが自立し、独自の活動を展開しようとするわけだ。勿論、美術の専門知識は学芸員などからの指導を受けるが、それ以外の人集めやトークの方法などについては、ボランティアの自主性に任せるというわけだ。

 ただ、本当に日本のボランティアが組織として自立し、独自の価値観を確立し、活動しているかというと、そうではない。その課題のひとつは、ボランティアの意識と意図の統一と集約をだれが果たすのかということにある。確かに、十年前の阪神大震災以来、日本においてもボランティア活動というものが、社会に根付きつつある。逆にそれを学校の授業等に取り込んで社会教育の一環にしていこうというような、ボランティア活動の自発的社会奉仕という本分からははなれたような傾向にもある。が、とにかく多くの人々が、ボランティア活動に参加することによって、市民、住民として自身が生活している地域社会に貢献したい。また、家族や会社といった生活状況を広げて生きたい。そうして、自分の人生を充実させたい、という意識を抱く人々が多くなっていることは確かなのだ。事実、美術館や博物館のボランティアに参加する、中高年層や婦人層には、そんなささやかな意欲と情熱がある。

 芦屋市の市議会でも、財政難に悩む行政機関の救世主として、その直向な意欲が期待されていることは事実だし、多くの人々がそういった市民参加の制度が拡充していくことで、市民の目線に立ち、市民に開かれた地域社会に向かっていけるのではないかという期待も強いのだろう。とかく自分自身の存在感を見落としがちになる現代社会にあって、自分自身が、地域社会を構成する一人として、具体的に何らかの役割を果たしているという実感と自身は、例えば、会社をリタイアしたシニアクラスの人々や主婦層にとっては、貴重なものに違いない。昨今のボランティア活動に関して言えば、核家族化、地域社会の疎外感のなかで、新たな社会人としてのアイデンティティを確立することでもあるのだ。で、行政がそういった住民の欲求とエネルギーを察して、それを活用していくことで、財政難による社会教育、福祉をはじめとする行政面の閉塞状況を打破し、住民参加型の新たな地域行政を模索しようというのは間違ってはいないだろう。


 ただ、その場合でも、その住民参加型の公的活動に対して、いかなる方向性を示し、具体的にいかなる役割を市民のボランティアに担ってもらうのか、という基本方針と基本理念というものを、首長を筆頭とした行政と議会は、責任を持って決める必要がある。どんなにボランティアやNPOが公共活動に参加する意識と意欲があっても、彼らには自分たちのなすべき仕事の基本方針を決めることは出来ない。いや、それはしてはならないのだ。

 災害の場合のボランティア活動というのは、基本的に何をすべきかが状況において決定付けられる。とにかく、目の前の被災者が困っていることを助けること以外にないのだ。そして、それは地域の人々や行政等の連携によって、展開されなければならない。

 では、美術館や博物館の場合はどうだろうか。これまでも、様々にボランティアを募り、彼らが様々な活動を展開してきたが、それはあくまで、美術館側の市民サービスの一環として、イベント化としていたともいえなくもない。そうして、ボランティア参加者も、自分自身の生活を充実させるためにボランティアに参加している人々が多い。その場合、何かを学びたい、これまで自分が知らなかった世界に少しだけ足を踏み入れたいという意識も強い。美術館・博物館のボランティアに関して言うと、学芸員になりたい若者達が関わる場合も多いらしい。自主的に自分の価値観や意思を美術館活動に反映させたい、というよりも、学芸員等職員の指導の下に、何かを学びたいという欲求が強いようだ。一体、それで、昨今言われているような市民参加の地域社会のあり方になっていくのだろうか。

 本来、ボランティアというのは、その道の経験者が、現役を引退して、社会奉仕のために地域の仕事を無報酬で奉仕することが第一だろう。そうすることで、現役の職員は、仕事のある部分をキャリアのあるボランティアにまかせ、自身の仕事により専念出来、公共事業としての効率と質が上がるというわけだ。が、現在の日本の美術館・博物館で展開されているボランティア活動は、決してそんなものではない。

 今回の芦屋市立美術博物館の問題が持ち上がって、数々の市民団体が声を上げ、美術館存続の活動を続けてきたことは書いた。例えば、芦屋お助け隊が、喫茶室を一定期間ボランティアで運営したというのも、その一つ。それはそれで、美術館を市民のものとして考え、実践する、草の根の活動として評価出来るし、多分、その積み重ねになる、“市民の市民による市民のための”美術館のあり様を模索していこうというのが、今後の芦屋市立美術博物館の課題なのだろう。

 だが、それはあくまで美術館を運営していく方法論でしかない。確かにそれも重要な問題かもしれないが、それはあくまで枝葉の問題にしか思えない。芦屋市立美術博物館をはじめ、日本全国に立ち並ぶ公立美術館の昨今の危機状況というのは、そんな小手先の方法論ではどうにもならない、最も根本的な、戦後日本の文化行政の問題が根強くあるのではないか、と考えざるを得ない。










美術館の“大義”
芦屋市立美術博物館 U
文●藤田一人
Kazuhito Fujita
美術ジャーナリスト



































美術館の“大義”
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文●藤田一人
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●美術館の存在意義とは

 そこで、話は、最も根本的な問題に戻る。一体、美術館・博物館とは、何のためにあり、求められるべき優先順位の第一位は何なのか、ということだ。昨今、美術館の求められる事柄が多様化し、様々な要素を抱えなければならなくなった。従来のように、美術作品を収集し、専門的研究・調査、それに関連する展示を行う典型的な学芸活動は言うまでもなく、子供のためのワークショップだ、ギャラリー・トークだ、さらに館独自のミュージアム・グッズとそれを扱うミュージアム・ショップだ、また、みんなが和やかに過ごせるレストランだ、カフェだ、と。とにかく、美術館にありとあらゆる要素がもとめられ、それが美術館のアイテムとして考えられ、求められる傾向がある。美術館もファッション化していると言える。

 勿論、それが悪いと言うつもりはない。ただ、やはり美術館の存在の基本、国や地方自治体が税金を投入して美術館活動を展開しなければならない“大義”とは何かと言うと。まず、その主体、例えば、国立なら国、公立なら地方自治体、また、私立なら企業や個人の美意識や美術作品を通した歴史観、文化観の確立ではないか。言うまでもなく、歴史観や文化観を掲げるというものは、多分に危険なことではある。だからといって、公が公共的価値観や歴史観として、多くの人々の指針となるべき価値観というものを掲げることは間違いではない。むしろ、そうした価値観の確立し、それを具体的な形で示さない限り、国や地方自治体が、独自の文化、芸術というものを推奨し、普及などは出来ないのではないか。それが、絶対的なものとして規定されてはならない。が、少なくとも、公共機関は、最大公約数とでも言うべき価値観を検証し、それを国民ないしは公の文化、芸術として掲げる。だからこそ、それは税金を使って研究、調査され、国民に向かって普及されるべきものなのだ。国はあくまで国の意思と誇りによって、それを検証し、かつ普及すべき役割がある。勿論、それを国民のすべてが賞賛、認知する必要はない。当然、そこから零れ落ちる価値観や美意識、歴史観というものは多々あって当然。そこからももれる多様な価値観を、地方は地方の価値観と文化観によって、企業は企業の価値観と文化観によって、さらに個人は個人の価値観と美意識によって、検証され、体系付けられる美術観や美術史観というものをコレクションと展示によって主張し、普及していくのが美術館なるものの大いなる使命なのではないか。

 その場合、美術館にどれだけたくさんの観客が入るのか。国内外の美術界にどれほど評価されているか。そういったことは、むしろ、枝葉末節の事柄だ。国立、公立の美術館というものが、興行施設ではなく、社会教育施設であるとするならば、最も重要なのは、そこに生活する人々がよって立つべき美意識や美術作品によって象徴されている歴史観、文化観とは何なのかを検証、確立することに他ならない。その場合、例え年間一人たりとも、美術館に足を踏み入れないとしても、美術館という存在は、国民、県民、市民としての文化的アイデンティティを自覚し、確立するためには欠かせない機関ということになる。だからこそ、美術館という公共機関・施設が必要なのであり、昨今盛んに言われるところの子供達にそれを実感させる施設でなければならないし、多くの市民に開かれた施設でなければならないのだ。その場合、“開かれる”というのは、スペースや数の問題ではなく、今に生きる人間の文化的精神の問題なのだ。

 にもかかわらず、今日の日本の美術館というものが、それなりに充実したコレクションを持ち、ユニークな企画展や様々な普及活動を展開してきたにも関わらず、それが公の活動としてなかなか評価を得られず、財政危機を名目に活動の縮小や民間委託という切り離しの処置をとられるのは、なぜなのだろうか。まさに、それこそが、今回の芦屋市立美術博物館をはじめとする公立美術館の危機状況のなかで論じられるべき問題ではないか。しかし、その間、様々な形で論じられてきた内容を見ると、結局のところ、日本の美術館のあるべき姿、理想像というものは問われることなく、ただ“民間委託”という小泉行革の渦の中で、美術館はどう生き残っていけるのか、という目先の方法論に終始した。

 日本において、美術館の評価が低いのは、「行政に文化的意識が低い」とか「文化的民度が欧米に比べて低い」といた言葉が盛んに言われる。が、それは少々違うだろう。そういうと、問題は、あくまで行政の問題に集約されて、美術館と美術館員は被害者だという論理になってしまう。ただ、今回の芦屋市立美術博物館の問題を考えていくうちに、けっしてそうではないという思いが強くなった。














美術館の“大義”
芦屋市立美術博物館 U
文●藤田一人
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美術館の“大義”
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●日本の公立美術館は変わるのか

 芦屋市立美術館を巡っても、その発端は、言うまでもなく芦屋市の財政難なのだが、それが全国的な美術館問題として広がっていった。以前にも触れたが、そこには、日本における美術館の根本問題が大きく影を落としていると言える。それは、芦屋を発祥の地とする戦後の前衛美術グループ“具体”をメインに掲げてきた同館に対する、市民間の評価と大きく関わっている。

 “具体”に対する不評は市民の間からも結構あったことは確かで、美術博物館を守る側に立つ人々の中にも、“具体”に固執すべきでないという意見がある。では、同館は何を優先順位のトップに掲げ、顕彰していくことで、より市民の支持を得られ、市の文化的象徴と成りえるというのだろうか。そして、それを決めるべきは一体誰なのか。少なくとも、これまで芦屋の場合、そうした美術館の根本的なあり方が、市民レベルで論じられたことはなかっただろうし、行政レベルでもどれほど時間をかけて話し合われ、確かな意思と責任のもとに決められたかも明解とはいえない。制度的には、同館の基本方針を決定するのは市の教育委員会であり、その最高責任者は市長と言うことになる。もし、公共施設の意思決定が、実質的に制度に則って展開されてきたのならば、美術博物館のあり方を行政側自体が否定的に受け止めるということはなかっただろう。例え財政難のために管理・運営の変革がやむをえないとしても、美術博物館がこれまで果たしてきた役割と業績というものを、もう少し尊重した方法があっただろう。しかし、現実はそうではないというわけだ。

 では、芦屋市立美術博物館の場合、如何なる問題があったのか。特に、市の一方の意思決定者である市議会議員はどう考えているのだろうか。同館の民間委託問題が持ち上がって以来、一貫して民間委託に反対してきた日本共産党所属の平野貞雄議員はこう言う。

 「公立美術館の最大の存在意義とは、芸術・文化を通して郷土愛を育む、そのシンボルとなることだと思うんです。そういう意味で、芦屋市に美術館を作る段階で、吉原治良をリーダーに当地で発足し、戦後の前衛芸術運動の先駆として、日本はもとより海外でも高い評価を得たという“具体”をその顕彰対象の一つに掲げ、開館後も意欲的に調査・研究を続けて、展覧会を開催してきたことは、市の美術館としては決して間違ってはいなかったと思います。ただ、問題があるとすれば、同館の学芸員はもとより、運営の主体者である市長や教育委員会、そして勿論私達市議会議員も、美術館活動というもの、その中で例えば“具体”を顕彰する芦屋と芦屋市民にとっての意義や公の責任というものを、市民に普及し、コンセンサスを得ることが出来なかったことでしょう。私も含めて、美術館をはじめとする公共の文化政策・行政に関わる者達に、そういった認識と責任感に欠けていたことは否めません」

 確かに、“具体”関係も含めて、同館で展開されてきた様々な企画展やイベントに関して、主体となる市の文教行政・政策関係者の如何なる意思や責任感が、それらに少しでも反映されていたかというと、全く眼中になかったといっても過言ではないだろう。そのことが、作品の収蔵から展覧会の企画、また、各種のイベントに館の管理・活用方法に至るまで、現場の学芸員が一手に引き受けてやってきたという印象が強くなる。そして、それが市民や行政の一部からは、美術博物館の独断専行とも映ってきたともいえるのだ。それに関しても、平野議員は、こう指摘する。

 「美術博物館も市の行政機関の一部なわけですから、最終決定というのは、市長が、そこまで行かなくても、教育委員長や直属の社会教育部長が下し、責任を持たなければならないわけです。しかし、“美術”という専門分野に対して、市長の自信がない。それで、教育委員長に投げる。委員長も自信がないから社会教育部長に投げる。部長もそうだから、結局は何の決定権限もない現場の学芸員が決定せざるを得ない、ということになる。つまり、市の文化行政の無責任体質が、美術博物館を今日の状況に追い込んだともいえるわけです」

 勿論、これは芦屋市に限った問題ではない。日本全国の自治体は多かれ少なかれ、同じような体質を背負っているだろう。そして、それは戦後の日本の文化行政そのものが、一貫してそういう無責任体質を背負ってきた。と、言うよりも、国をはじめ、“芸術・文化”というものに、公が関与することを極力回避してきたというのが、本当のところだろう。それならそれでいい。“芸術”というものには、極力公が関わるべきではない、というのも一つの見識だ。だからだろう、戦後しばらくまで、日本の公立美術館は、主に美術団体等への貸し会場として展開してきた。それこそ、“開かれた美術館”のあり方の一つの典型だった。それが、1980年代以降、独自のコレクションと企画展を軸とする美術館運営が主流になってきた。そうして、美術館の運営方法が変わりはしたが、運営するものの意識というものは、ほとんど変わりはしなかったというわけだ。美術館が独自のコレクションを持ち、調査・研究を重ねて展覧会を企画するということが、公の文化活動としてどういうことなのか。そういう事に関して、美術館運営の主体であり責任者である自治体の行政幹部は全くと言って無頓着であったし、現場の学芸員も自分の公務員(またはそれに準ずる)としての意識に欠けていたことは確かだ。勿論、どの公立美術館も準備段階で、様々な館の収集、活動方針を掲げ、議会の承認を得て収集等をスタートする。しかし、それが多分に総花的で、中に一つ二つユニークな内容が含まれてはいても、全体的には何でもありの方針と化してしまう。

 そして今日、再び日本の公立美術館が大きな転換期を迎えている。それが、指定管理者制度による公立美術館の管理・運営の民間委託という展開だ。それに関して、公立美術館においても、民間企業並の営業感覚や採算性の重視、人件費の削減といったことが盛んに言われるようになった。そして、美術館自体は、より一般的に開かれて集客を増すことが大きな課題となる。ただ、それらは、これまで繰り返し、繰り返し言われてきたことに他ならない。結局は、制度や方法が少し変わるだけで、その根本的なあり方は何も変わらないに違いない。

 今回の指定管理者制度の導入で、民間企業やNPO法人が公立美術館の管理・運営に参画し、民間の意識と活力を発揮するとは言っても、それはあくまで、管理・運営の方法であって、美術館の存在意義やそれが果たすべき役割は、公共施設のそれに他ならない。つまり、公立美術館の基本的な公共性を維持し、さらにそれを高めていくために、民間委託という方法を導入するのであって、各自治体等の公の機関や組織が、責任を回避するためのものではないのだ。

 なら、これからの公立美術館に対する民間委託に際して、各自治体の行政や市議会、そして美術館自体が最も考え、議論し、そして意思を明確にしなければならないのは、その基本理念としての価値観であり、各自治が“公”として掲げるべき、美術を通した文化観であり、歴史観に他ならない。そしてそれは、単に美術館に限らず、その地域と住民の学校や社会での教育、教養や生活風土に大きな影響を及ぼすことにもなる。もし、そういった基本的な存在意義や価値観をはっきりと規定しなで、自治体直轄でも理解されなかった美術館というものが、民間に委託されてその役割をまっとう出来るとは思えない。

 勿論、こういう意見に関しては、今日の美術館学芸員の多くは、「美術館がある一つの価値観や、美意識というものを前面に押し出すというのは、鑑賞者への押し付けとなり、非常に危険な考えだ」と言うことだろう。しかし、本来、芸術・美術というものは、そんなに安全なものではない。むしろ、一つの感情や、思想を追求し、それを表現しようという行為であるし、本質的に危険性を孕むものだろう。問題は、その危険な芸術・美術というものを、さも安全なものとして考え、公の美術館を運営し、数々の展覧会を企画してきたことではないか。それは、日本の芸術行政の責任者である政治家の責任であるとともに、現場の学芸員の責任でもある。美術館を取り巻く、無責任体質というのは、美術館に内部にも当然ある。その象徴が、「一つの価値観や美意識を鑑賞者に押し付けるのは危険だ」ということから、日本の美術館は、各館の寄って立つべき価値観や美意識というものを明確にすることなく、それでいながら、各学芸員が企画する展覧会は、彼ら各々の価値観と美意識が主張されて、それが一つの権威として、鑑賞者に提示されてきた。多くの人々は、そこで“公”の美術館と美術というものをどう判断し、評価していいのかを戸惑ってきたようにも思える。

 財政難と構造改革の荒波のなかで、国立公立そして私立を問わず、これまでの美術館というもののあり方が問われ、変化を求められ、変わっていかなければならないことも確かだろう。しかし、それは単に時代に対応すればいいということではない。むしろ、移り変わる時代に的確に対応していくためには、その確固たる存在意義と普遍的な価値観が何より大切だ。絶えず揺れ動く流れを読み解くには、しっかりとした立脚点に立った状況把握と判断が欠かせないからだ。

 “美術館の危機”が叫ばれるなかで、私達が問うべきは、企業やNPO等の民間経営やボランティアの参画といった目先の対応策ではなく、本当に私達日本人が、現在そして未来に掲げるべき、「これこそ私達の誇りだ!」といえる“美術館の大義”に違いない。
(完)


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