藤田一人氏による連載第二弾!
  芦屋市立美術博物館 V

美術ジャーナリスト:藤田一人Kazuhito Fujita

第1回 8月16日
第2回 9月16日
第4回 12月14日
第5回 2005年  2月22日
第6回  5月11日
第7回  5月25日
番外編(横浜美術館) 2005年8月31日
                         2003年度・第一回連載「国立新美術館とは何か?」はこちら
第3回 11月26日












美術館の“大義”
芦屋市立美術博物館 U
文●藤田一人
Kazuhito Fujita
美術ジャーナリスト






















美術館の“大義”
芦屋市立美術博物館 U
文●藤田一人
Kazuhito Fujita
美術ジャーナリスト


















美術館の“大義”
芦屋市立美術博物館 U
文●藤田一人
Kazuhito Fujita
美術ジャーナリスト




●美術館に対する疑問と不満


 まさに“公立美術館の危機”として、全国に知れ渡ることになった芦屋市立博物館の問題は、単に美術館行政にとどまらず、日本の地方自治体のあり方そのものに関るものなのだ。にもかかわらず、ことが美術館問題に集約されてしまった背景には、幾多の公的社会教育・文化施設といわれるもののなかでの美術館というものの特殊性とともに、それに対して、多分の疑問や不満を抱きつつも、それを抑えられてきた側の忸怩たる思いがあるような気がする。

 例えば、行政の内部でも、現代美術のような一見理解し難い内容の展覧会が続くと、一般的な関心が薄れることを危惧しつつも、それを強調すると、専門家から“文化・芸術への無知、無理解”なる声が返ってきかねない。そして、日本の公立美術館のほとんどは、歴史的にその地域に根差した文化・芸術活動が発展して生まれたのではない。その分、一般住民の関心も問題意識も乏しい。だから、政治家も役人も、性表現等の問題以外は、本来美術館が標榜すべき価値観やそれに則った活動内容について、ほとんど無関心だったと言っていい。ことさら文句も言わないかわりに、あらゆる面で優遇もしない。とにかく、自治体の文化的シンボルとして、可もなく不可もなく維持・運営されていればいいというところだった。

 それが、バブル経済崩壊以降の長期にわたる不景気による、各自治体の財政難のなか、他に比べて圧倒的な金食い虫で、効率が悪く、住民の利用率も低い、美術館という施設に対する疑問と不満が一斉に噴出するのも、想像に難くない。そして、そんな美術館を一つのシンボルとして、指定管理者制度による公的施設の民営化推進を掲げることで、社会一般に対する効果的なアピールとなったことは確かだろう。少なくとも、芦屋の場合は、その美術博物館問題が、全国の公立美術館の危機感とともに、その前提として全国の自治体で進められている、指定管理者制度導入の現状をもクローズアップした形だ。

 そんななか、芦屋市立美術博物館は、戦後、吉原治良をリーダーとする地元縁の前衛グループ・具体美術協会(通称・具体)に関する企画展、調査・研究、そして作品・資料の収集で、美術界から高い評価を受けていた。しかし、それと同時に、その“具体”への傾斜が、市議会議員や行政サイドから批判を受けていたことも確かだ。

 「行政改革実施計画」で美術博物館の2006年度までの民間委託と委託先が見つからない場合の売却、休館という方針が発表される以前、昨年3月の芦屋市議会の定例会では、“芦屋市立美術博物館協議会”なるものの設置が報告されている。その設置の理由は、「館発足後10年以上を経過し、偏った展示という市民の批判もある中で、(中略)館全体の運営の基本方針を見直しする一環……」と述べられている。その“偏った展示”とは、“具体”のことに他ならない。

 事実、同美術博物館が、開館当初から精力的に進めてきた“具体”の企画展や調査・研究に対して、特に、阪神大震災以降、非難が多くなったことを、同館の河崎晃一学芸課長は、雑誌のインタビューなどで語っている。

 「……市民の中には、リアルタイムで具体の流れを見て知っている方や影響を受けている方もおられるのですが、一方で、嫌う人も多い。うちの館は一つの方向性をもって展覧会や収集をしてきたわけですが、開館して五、六年目ごろから、『もうそろそろ地元離れをしたらどうか』という具体に対する批判がかなり出てきました。もちろん、『具体は嫌いだけど、芦屋にとっては大事だと思う』というスタンスもありましたが、議員が来て『わかることをやれ』といわれたりもしましたし、具体に限らず『わからない』ということに対する批判もずっとあった。それがけっこうつ強くなってきて、教育委員会から『具体も吉原治良もいけない』といわれて、開館十年目の二〇〇〇年には予定していた『ドキュメント具体』展を取りやめ、翌年からは館の方針を変え、具体に関連する展覧会は最小限に留めることになりました」(『DOME』72号2004年「特集:芦屋市立美術博物館の、存在感」)

 この“具体”に関しては、役所内でも批判が根強い。特に、民間委託方針発表時の館長で芦屋市教育委員会の社会教育部長でもあった小治英夫前館長が、新聞等の取材に対して語った発言がそれを顕著に物語る。

「『具体』のような偏った展示が多く、入館者が少なかった。100%市民の税金で作った美術館が市民から遊離してはだめだ。教育委員会の方針としては、これ以上具体関連の新たな研究や特別展の開催は行なわない」(『新美術新聞』2004年1月1・11日合併号「芦屋市立美術博物館財政難で民間委託!?」)

 大体、役所、役人というものは、自身の権限、権益を守ることに努め、仕事上の身内、仲間に対して寛容なものだ。そんななかで、芦屋市と芦屋市立美術博物館の関係は一種特殊といえるだろう。同美術博物館は、自らの足元、母体である教育委員会の幹部からも理解、支持されていなかったというわけだ。そしてそれは、日本の多くの公立美術館に共通する実情なのだ。










美術館の“大義”
芦屋市立美術博物館 U
文●藤田一人
Kazuhito Fujita
美術ジャーナリスト
































美術館の“大義”
芦屋市立美術博物館 U
文●藤田一人
Kazuhito Fujita
美術ジャーナリスト




































美術館の“大義”
芦屋市立美術博物館 U
文●藤田一人
Kazuhito Fujita
美術ジャーナリスト



●美術博物館支援運動


 芦屋市立美術博物館の民間委託とそれが不可能な場合の売却、休館という、行政の方針は、多方面からの反響を呼んだ。新聞や美術雑誌は、すぐにその問題を取り上げ、「芦屋ショック」「崖っぷちの公立美術館」といった言葉が舞った。そうして、芦屋市内はもとより、いや、それ以上に市外、日本全国に美術博物館存続の運動が広がっていった。さらに海外からも支援の声が上がり、多数の署名が寄せられた。一地方都市の美術館の問題が、地元の文化施設以上に、日本の美術館問題として取り上げられたということが、まさに日本の公立美術館のあり方を如実に物語っている。芦屋問題で美術関係者が盛んに語ったのは、「芦屋の美術博物館の行く末が前例となって、今後全国の地方自治体が挙って、赤字の美術館の民間委託または売却、閉館という方向に向かいかねない」という警戒だ。そこには、日本の公立美術館というものは、各地域の文化的状況を基盤としているのではなく、美術と美術館関係者によって支えられ、運営されてきたという現実が、色濃く反映されている。「地域住民のための開かれた美術館」ということが、盛んに言われはしたのだが……、だ。

 そんななか、芦屋市立美術博物館の存続支援運動を通して、一体美術館というものが誰のための、誰が支えるべきものなのかということをが、良くも悪くも浮かび上がってきたことだけは確かだ。その一つ、日本の美術館が寄って立ってきた評価基準というものを垣間見せてくれたのが、アメリカ・ニューヨーク在住のインディペンデントキュレーター・富井玲子さんが中心となり、インターネットを通じて、世界の美術関係者に呼びかけた支援の署名活動だ。その声明文はこう書かれている。

 「1991年の開館以来、芦屋市立美術博物館は関西圏における近・現代美術の顕彰と芦屋市の歴史保存に重要な役割を果たしてきました。

 しかしながら、同館の活動は地域性を遥かに越えて、国際的な意義を有しています。

 同館は戦後の前衛美術を代表する『具体美術協会』(以後『具体』)の資料を保存し、学術調査と研究のための国際アーカイヴとして機能してきました。
 そして、このことを通じて、同館は、日本の近・現代美術の海外紹介に決定的な役割を果たしてきたのです。

 私たちは断固として芦屋市立美術博物館の民間委託・売却・休館に関する芦屋市の計画に反対します。

 芦屋市で最も活発に文化活動を行なっている施設を休館するようなことになれば、国際的な『文化都市・芦屋』のイメージは大きく損なわれることでしょう。
 『具体』に関する情報と研究成果を国内外に発信する同館の機能を制限または停止するならば、芦屋市は『具体』という日本の近代文化遺産、すなわち日本文化の躍動性、創造性、近代性、国際性を象徴する『具体』という貴重な文化外交の看板を失うことになるでしょう。

 私たちは芦屋市が芦屋市立美術博物館とその活動を維持すべく、民間委託・売却・休館以外の、より建設的な方策を検討されることを強く望みます。

 芦屋市立美術博物館は単に『具体』とその歴史を擁護するのみならず、同館の活動により芦屋市は世界地図の一角に確固とした位置を占めるにいたっています。
 これらの事実にかんがみ、今回の行政改革にあたり、芦屋市が行政の優先事項を再検討されることを要望いたします。

 私たちは芦屋市がこの反対声明を真剣に考慮され、芦屋市立美術博物館に関する計画を見直すことを強く望みます」

 海外在住の美術関係者の主張らしく、そこで強調されているのは、“具体”の国際的な評価の高さと、さらにそれを軸にして美術館活動を展開してきたことに対する同館への、欧米を中心とする海外の美術館・美術関係者からの高い評価だ。それほど“ 国際的”に注目される存在を評価せず、財政難を理由に捨て去るというのは、“国際文化住宅都市”を標榜する芦屋市としては、見識がなさ過ぎるというわけだ。ここで美術や美術館の評価の基準となっているのが、“国際的”ということ。つまり、美術館というものは、一地域を越えて、美術・芸術としての国際的な価値を有するもので、それが尊重されなければならない、というわけだ。そして、日本の多くの美術・美術館関係者の本音も、大体そういうところだろう。

 ただ、“国際的”に評価の高い“具体”か、“芦屋市民的”には決して評価が高いとは言えない。むしろ、「わけが分からない」と敬遠される存在ですらある。そこに大きな捩れ現状が生じるわけだ。

 芦屋市の美術博物館は芦屋市民のために芦屋市民の税金によって建てられ、運営されているものだ。その場合、ますは芦屋市民の一般的な価値観や評価が優先されてしかるべきで、“国際的”とか“世界”と称する、何処の誰かも分からない評価や価値観で決定されるものではない。と、いうのが、行政側の意見だが、それはまさに正論だ。だからといって、内向きであればいいというのではない。外側からの評価も大切だ。だからこそ、市立の美術博物館がこれまで精力的に“具体”に対する検証活動を続けてこられた。しかし、市も財政難に瀕して、外向きのアピールをする余裕がなくなったというのが本音なのだろう。行政側とすれば、美術館というものに特別な関心も持っていないかわりに、日本で初めて公立美術館を民間に売り渡した、または、閉館にしたという、一種の“汚名”を受けたくはないに違いない。

 もし、“具体”が“国際的”に評価が高い故に、守られなければならないのなら、それを芦屋という財政的危機に瀕する一地方都市にのみ責任を委ねるのは、少々荷が重すぎはしないか。本来、富井さん達のような“国際的芸術評価”に立った支援運動であるなら、それこそ“世界”の美術関係者に呼びかけ、“具体”を守る資金集めの運動を展開し、それを基に、芦屋市から“具体”に関する作品・資料の委託を受けて、美術館活動を展開すべきだろう。今回の芦屋市の計画では、少なくとも、そういった可能性が大きく開かれたことは確かだ。

 ある意味、日本に確固たる美術に対する価値観とそれを支援する情熱と資金力のある者またはグループがその気になれば、指定管理者制度による公立美術館の民間委託は、日本の美術館というものを、無理解なる環境から解放するチャンスでもあるのだ。問題は、誰がそれを担うのかだけだ。

 ちなみに、このニューヨーク発の芦屋市立美術博物館の存続運動には、各国から913名の署名とコメントが寄せられたという。


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