連載

              
国立新美術館とは何か?
            
〜あまりにも“日本的”な美術の現実


               美術ジャーナリスト:藤田一人
Kazuhito Fujita

第7回 12月15日 (26日追記)
 第1回

 第2回

 第3回

 第4回

 第5回

 第6回

 第8回

追記
2005年7月



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国立美術館とは何か?
あまりにも“日本的”な美術の現実
文●藤田一人
































国立美術館とは何か?
あまりにも“日本的”な美術の現実
文●藤田一人


































国立美術館とは何か?
あまりにも“日本的”な美術の現実
文●藤田一人





















国立美術館とは何か?
あまりにも“日本的”な美術の現実
文●藤田一人























国立美術館とは何か?
あまりにも“日本的”な美術の現実
文●藤田一人
■学芸員と美術団体
 これまで、公募美術団体と美術館の関係について、美術団体側の問題点を様々に挙げてきた。が、問題があるのは、何も美術団体ばかりではない。美術館側にも様々な問題があることは間違いない。ある意味、時代の趨勢ではない美術団体の危機感に対して、趨勢にある美術館側が抱えている問題の方が、むしろ大きいかもしれない。

 今日の公立美術館は、おおよそ常設展示室、企画展示室という学芸員が関わる企画展会場と学芸員が展示に関わらない県民ギャラリー、市民ギャラリーといった貸し会場としての展示室の二本立てになっている。以前にも書いたが、日本の公立美術館は、東京都美術館という、美術団体展に対する貸し会場として出発したという歴史を背負ったことで、コレクション展示と研究・調査よる企画展というものが、美術館機能として成立しなかった。

 しかし、戦後にはいって、1951年に神奈川県立近代美術館が開館し、企画展と館独自のコレクションの確立を目指す美術館がスタート。しかし、日本の美術館のあり様というものは、その後も大きな影を落とすことになる。つまり、独自の企画展示とともに、都美術館のように美術団体等への貸し会場としての役割も求められることになる。例えば、各県立美術館が、県展等の開催など、まさに地域の美術家に密着した発表の場としての役割を果たしてきたことは間違いない。また、各美術団体公募展の地方巡回展会場としても重要な場であった。

 しかし、この県展等の開催に関しては、美術館の専門職員としての学芸員は、全くといっていいほど関わってはいない。あくまで、県民ギャラリーや市民ギャラリーのような貸会場を管理するのは、事務職員の仕事であって、専門職員としての学芸員の仕事ではないのだ。つまり、同じ館内で開催されている展覧会でありながら、学芸員は無視という状況になっている。そこに、現在の美術団体展と美術館というものの意志の疎通のなさと、不信感を強めてきたことは間違いない。

 例えば、東京都美術館は、1975年の現在の現美術館開館以来、それまでの貸会場のみの状態から、学芸員を置き、独自のコレクションを蒐集するとともに、貸スペース以外に企画展示室一棟を設けた。そうして、戦前から戦後日本の前衛美術の企画展やコレクションを精力的に展開した。勿論、戦前、戦後の前衛美術運動の拠点として、独立美術、自由美術、美術文化といった団体展の会場になるとともに、戦後は、読売新聞社主催の日本アンデパンダン展や毎日新聞社主催の日本国際美術展(東京ビエンナーレ)や現代日本美術展などの会場として、フォーヴ、抽象、シュール・レアリスム、プロレタリア・レアリスム、さらにはネオ・ダダ、もの派といった現代美術の先端の発信の場であったことは間違いなく、日本の近・現代美術の拠点であり続けた、東京都美術館のコレクションと企画の方向性として、それは非常に妥当なものとは言える。

 しかし、一方、それまで毎年、都美術館で開催されていた日展、院展をはじめとする各公募団体展などからの作品の買い上げがなくなったことも確かで、東京都美術館のコレクションと企画展のあり様は、その施設の主たる役割である美術団体の公募展から大きく離れていったことも確かだ。
 現在の東京都美術館の職員構成は、事業課と管理課に分かれていて、新聞社等と共催の企画展やコレクションに関しては、事業課の管轄で、美術団体等への貸会場に関しては、管理課の担当。つまり、企画展やコレクションを担当する学芸員と公募展を開催する美術団体とは全くといっていいほど関係を持たないのが実状なのだ。

 そんななかで、新たに美術団体公募展のための美術館となる国立新国立美術館が、これまでになく、より有意義な活動を展開していくためには、美術団体に関して、単に公募展会場としてのスペースを提供すればいいという考えから脱することが大切ではないか。

 そのためには、同美術館・学芸員の美術団体とその作家達への理解と交流が必要だ。そして、そこから、美術館と美術団体の関係が、単なる会場の貸借りというものを越えて、これまでさほど考慮されることのなかった、よりよい展示の方法や観客へのアピールの方法などを助言しながら、各美術団体の公募展も美術館側と共同で作っていくというものになるかもしれない。さらに、そんな美術団体との交流のなかから、その歴史や所属作家の活動に関する情報が積み重なり、認識が深まるなかで、それまで範疇ではなかった新たな分野に企画展やコレクションを展開することも可能だろう。

 ある意味、国立新美術館のあり方において、非常に重要なのは、美術団体等への貸会場の問題よりも、専門の学芸員を配して展開される企画展や教育普及事業の方にあるのかもしれない。


■企画展会場としての国立新美術館

 国立新美術館は、独立行政法人国立美術館の他の美術館と異なり、コレクションを持たないという方針だ。また、ある同設立準備委員会のメンバーによると、「どれほどの企画展予算が出るかは未定で、もしかすると、ほとんど予算が付かない可能性もある」と言う。

 もし、十分な予算が付かなかったとするなら、これまでも日本の美術館がやってきたように、新聞社などの企画を共催という形で受け入れるしかない。それも、幾分かの予算が付いたら、のことで、それも危うければ、新聞社などの企画展に会場を貸すだけという個とになる。その他、“国立美術館”の他の4館と連携した企画や、所轄官庁である文化庁が主催する「DOMANI展」(文化庁芸術家在外研修生の成果発表展・現在、損保ジャパン東郷青児美術館で開催)やメディア芸術祭の会場としても検討されているという。

そういう話を総合すると、企画展示室とはいっても、スペースを美術団体に貸すか、新聞社に貸すかの違いにしか過ぎなくなる公算が強い。

 そんな状況にもかかわらず、他の美術館同様、専門の学芸員を置いて、企画展なる名目の活動を展開する意味があるのか。いっそ、総てを貸会場として、開放していった方がスッキリとするのではないか。そう思うのは、私だけではあるまい。

 そんななかで、唯一積極的に展開することが試みられている事業が、国内外の展覧会に関する情報・資料を収集し、日本における世界的規模の美術情報の拠点を目指すのだというもの。美術作品のコレクションより、資金的にやりやすい、ということがあるのかもしれない。が、情報収集に最も重要なのは、「何のために」という、はっきりとしたスタンスとビジョンだ。本来、その研究・調査の成果というべき企画展事業にたいして、ほとんど定見なるものを持たない、いや、持とうとしない同館において、本格的な美術資料・情報の収集、整理が出来るのか。甚だ、疑問ではある。

 では、そのためには一体、何が必要なのか。それはやはり、一美術館としての地に足の付いた、しっかりとした理念と存在意義だろう。

 今日の美術団体と同様に、国立新美術館が本当の意味での必要性と存在感を確立するためには、新たな理念の確立が、何より欠かせない。


■美術館と美術館との新たな関係を(12.26追記分)

 今日の美術の趨勢からして、美術団体とその作家達の活動を学芸員の研究・調査や展覧会企画の軸にすえるというのは、確かに、無理な注文かもしれない。いま、美術団体に注目して何になるのか? 美術館関係者のなかに、そんな疑問があるもの分からなくはない。

 第三者からみて、美術団体とその公募展の現状は、お世辞にも、刺激的とは言えない。勿論、その存在に、未だそれ相当の意味も意義もあるのだが、今日日本の多彩な美術状況において、目を惹くものは、他にもっとある。第一、以前も書き、また、先に福永調査官も指摘したことだが、美術団体公募展というのは、あくまでそれを構成する作家たちにアピールし、評価を得る場であって、一般の観客に向いているものではないのだ。だから、学芸員をはじめといる第三者が、美術団体のあり様を理解、評価するのは、甚だ難しいことは間違いない。少なくとも、作品のみを観ればいいというものではない。

 そんな美術団体とその公募展の持っている性格が、国公立美術館なる公共施設との学芸員達にとっては、実に不可解であるに違いない。

 しかし、不可解だからと言って、現実に日本の美術の一翼を担っている美術団体なるものに対して、積極的なアプローチをしないというのは、いかがなものか。むしろ、そうであればあるほど、様々なアプローチを試みて、その不可解なる日本美術のあり様を、少しでも解き明かし、一般の人々に問いかけるという姿勢が、国立新美術館の学芸員のなかにもう少しあってもいいのではないか。

 ただ、美術館の企画展や調査・研究対象として、美術団体やその公募展を取り上げるというのは、やはり現状では無理があるだろう。そんななかで、まず考えるべきことは、国立新美術館の学芸員達が、同美術館で公募展を開催する美術団体の人々といかに付き合うかということではないか。

 例えば、東京都美術館にしても、館長は同館で開催されている美術団体の公募展を一通り巡るというが、学芸員はほとんど公募展会場に足を運ばないのが実情だという。なぜなら、貸し展示室は、管理課の担当分野で、学芸の管轄とは一線を画しているからというわけなのだろう。その状況は、各公立美術館の貸しギャラリーでも同様だ。

その会場を借りる人たちのなかには、少しでも専門家に観てもらって、様々なアドバイスを受けたいと思っている者も多々いるだろう。例え、相手がアマチュアでも、館の専門家が会場の利用者と交流を持ち、少しでもブラスの方向に導くのは、公共文化施設としての美術館とその職員の重要な役割だ。さらに、専門の学芸活動としても、より身近な環境での草の根的な活動をとおして、既成の美術状況とはちがう可能性の芽を、少しでも見出そうとする姿勢も大切だろう。そえでなければ、一体何のために、全国各地に美術館があり、そこに学芸員なる専門職員がいる必要があるのだろうか。

 少なくとも、国立新美術館の学芸員は、例えそれが自分の部署の領域でないとしても、同館で開催される公募展には必ず足を運ぶべきだし、そこで、その出品者達と話をすべきだ。また、レセプションパーティーなどにも出席すべきだ。そうすることで、今日の美術団体とその作家たちのあり様を理解出来るようになってくるに違いない。
 そして、そこから今日の公募展の様々な問題点が、少しづつ話に出てきて、例えば、展示に関してなどは、美術団体が学芸員に何がしかのアドバイスを求めてもいいかもしれない。

 それに対して、福永調査官はこう言った。
 「現実問題として、美術団体の公募展の展示に私達学芸員が関ることは出来ないでしょう。しかし、各団体の人々との交流は大切だと思いますし、何か協力出来ることがあれば、そうしたいと考えています。美術団体の方々は、私達のお客様でもあるわけですから」と。

 もし、そうして、貸し会場ではあっても、美術団体と学芸員の交流と協力の中から、公募展に少しでも新たな展開が芽生えたとしたなら、そこに初めて、日本ならではの“新”美術館として、国立新美術館が評価されることになるだろう。

 ただ、そのためには、美術館側はもとより、美術団体側にも歩み寄りが必要だ。
 聞くところによると、こういった公募展に対する美術館側からのアプローチは、かつてあった。それが、2002年に開館したばかりの松本市美術館でのことだ。同館では、開館記念展に続き日展開催が開催された。その時、同館の米倉守館長が、美術館側から日展の展示にアプローチして、会員、入選作品のなかから、長野県か信州作家のコーナーを設けようとして、日展側と一悶着あったというのだ。ある意味、地元の日展の有力者にとってみれば、展示は一つの既得権とも言える。それを関係のない美術館の学芸員にあれこれ言われたくない、ということなのだろう。しかし、それでは現状は何も前へは進まない。

 もし、各公募団体が、従来の上野・東京都美術館から、全く環境の変わる六本木の国立新美術館に公募展の舞台を移すことを考えているのなら。単に、面積の広さや料金のことばかりではなく、もっと本質的な公募展という展覧会の方法そのものを考えるべきだろう。そうすることで、美術団体公募展そのものが、少しづつ変わっていける。
国立新美術館とは何か?

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