連載

              
国立新美術館とは何か?
            
〜あまりにも“日本的”な美術の現実


               美術ジャーナリスト:藤田一人
Kazuhito Fujita

第6回 9月12日
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追記
2005年7月



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国立美術館とは何か?
あまりにも“日本的”な美術の現実
文●藤田一人
































国立美術館とは何か?
あまりにも“日本的”な美術の現実
文●藤田一人


































国立美術館とは何か?
あまりにも“日本的”な美術の現実
文●藤田一人
■美術団体の公募展とはどういうものか

 明治以降、日本の美術史の原動力となってきた美術団体の歴史的展開は、盛んに論じられてきた。その主なる論調が、「美術団体は美術運動体である」というものだ。確かに、各美術団体が各々美術運動を目指したことは否定しない。ただ、そのために日本的な組織論が有効に機能したとは思えない。美術団体の無用論が久しく言われ続けているのもそのためだろう。しかし、日本の美術団体は存続し、その数は増えることはあっても減ることはない。そんな日本の美術団体の社会的組織としての本質は、これまでほとんどと言っていいほど、論じられてはこなかった。では、日本の美術団体とその公募展の組織としての本質とは、一体いかなるものなのだろう。

 かつて日本の美術団体の公募展に関して、その本質を最も的確に示したエピソードがある。それは、二紀会のリーダーで、戦後の洋画壇に大きな影響力をもった宮本三郎が、若かれし頃の美術評論家・中原佑介にこう言ったというのだ。

 「君達のような若い美術評論家が団体公募展をどんなに無視するのは言うに及ばず、例え、一般の観客が一人たりとも見に来なくなったとしても公募展は無くならない。日本の美術団体の公募展は不滅だ」と。

 その戦後を代表する洋画壇のリーダーの自信に満ちた発言は何を意味するかというと。それは、既存美術団体による公募展というものは、世の人々に作品を見てもらって、その評価を請うというものではないということなのだ。

 美術団体というのは、美術家の美術家による美術家のための組織であり、その価値判断は、それを構成する美術家達が行なうのだ。つまり、公募展として出品者を募るというのは、自分達の価値観に沿い、有益なる仲間を集めることに等しい。だから、各団体公募展の入選や授賞をはじめとする評価は、一つの人事評価に等しい。各企業が、会社の現状に応じた人材を適材適所につけてよりよい成果をもとめるために、各々の価値基準を設けて、社員達を評価する。つまり、美術団体も会を維持、発展させていくために、如何なる人材が必要か。それを公募展という形で募り、評価して、最終的に“会員”として団体の構成員にしていくのだ。

 だから、一般の会社の人事評価は、あくまで会社内部の問題であるのと同様に、美術団体の公募展も、まず、一般の鑑賞者に向けられたものではなく、むしろ、団体内部の評価の確認であるのだ。そんななかで、いかに各々の作品をよく見せるかなどというのは、さほど重要にことではなかったのだ。むしろ、各団体の価値基準に従った展示の序列によって、各出品者は、自らの位置づけを確認し、それを自身の周辺の人々にも見せるというのが、その本質なのだ。

 勿論、それが一つの展覧会のあり方として、いいと言うのではない。長い間、その閉鎖的で、独善的な状況が、評論家やジャーナリズムから非難を浴び続けて来たのだ。ただ、だからといって、美術団体公募展の本質が変わるわけではない。元々、その目指すところが、個展や美術館の企画展などとははっきりと違うのだ。それを認識しない限り、美術団体の公募展というものを見ても、決して理解、納得できないのだろう。

 近年、ジャーナリズムの主要なマスメディアが美術団体の公募展を採り上げなくなったというのも、正直なところ、何の予備知識もなく会場を一巡しても、ただ圧倒的な数の作品が、所狭と犇いているだけで、全体として詰らないからに違いない。

 ある日展の会員が「かつて美術館で回顧展を開催して、かつての日展出品作を並べてみると、観に来た人達が、こんな作品日展に出されていました? と盛んに言われた。考えてみると公募展の会場ほど、作品をよく見せない環境もないんだ」と、語ったことがある。

 それは、まさに事実で、ある統一された世界観や問題意識をもって展開されている個展や美術館等の企画展の会場と、まったく内容も傾向も違った作品の数々が然と犇く公募展の会場では、各々作品の見え方が違ってきて当然だ。美術団体公募展の展示には、作品を一点一点効果的に見せるという意図が元々希薄なのだ。それを考えると、一般を対象とするメディアが、美術団体の公募展よりも、個展や美術館の企画展に目を向けるようになるのも致し方ない。

■美術団体公募展に即した美術館のあり方

 そんななかで、まさに作品をよく見せることの出来ない美術団体公募展のために新設される“国立新美術館”は、いかなる要素が大切なのか。それは、他の国立美術館4館とは、根本的な異なった価値観と運営方針があってしかるべきなのだ。が、これまで発表された、同館の内容を見ても、日本の美術団体とその公募展のあり様とその現状を十分に把握したものとは言えない。また、それに関して、美術団体側も、自らの公募展のあり様をしっかりと認識し、それを説明、主張したということもないのではないか。そういったお互いの曖昧な現状把握のなかで、結局は展示面積の拡大と低料金という、実に表層的な問題しか浮かび上がってこないのだ。

 既存の美術団体の拠点として新設された“国立新美術館”にとって、本当の意味で問題とならなければならないのは、日本の美術団体とその公募展というものが、時代の趨勢から外れようとする現状のなかで、いかにその存在価値を認め、それをより有効に機能出来るようにするか、ということだろう。

「何故、国が既成の美術団体にそこまで梃入れしなければならないのか?」という批判は勿論あって当然だ。が、これまで、各美術団体は公募展こそがこれまでの日本の現代美術状況を支え、今後もそれを推進していかなければならないと主張し、そのためにより充実した活動の拠点に設置を陳情し、少なくとも、国はそれを認め、推進しようとしているのだ。であるからには、美術団体と公募展のあり方について、当の団体と文化庁、国立新美術館の間でもっと真摯な議論と展望が求められてしかるべきだろう。

 しかし、この計画がスタートした時点から、「新しい美術展示施設に関する調査研究会」、さらせそれを進展させた「新国立美術展示施設設立準備委員会」などを通して、美術団体の現状に即した施設のあり方が、様々に検討さてきたはずだ。では、それはどういう形で、現在のところ活かされているのだろう。

 とりあえず、具体的に挙げられるのは、建物の設計面についてだ。新美術館の設計を担当した建築家・黒川記章は、今回の設計プランの幾多の課題のうち、現在の東京都美術館で指摘される不満の解消を挙げている。そのなかで、特に美術団体の意向に配慮したのが、搬出入と審査の環境だと言う。彼は、美術雑誌『美術の窓』(2003年1月号)のインタビューでこう語っている。
 「搬出入の問題は、トラックが待機する場所がない。どうやって搬入して、それを短時間に審査して、そして、落選と入選に仕分けして、それをただちに写真とって、会場に上げるという流れの問題。この動線が都の美術館は非常にうまくいっていない。審査する場所は光がないし、空気がよくない。そういう方たちにもっと光を、空気を!と思いましてね。それは今度、すごくよくなりますよ。ロビーを通して自然の光が入るんですから。それに審査室のすぐ隣に、審査員専用のロビーというのをつくったんです」。

「搬出入がすべてフラットでできますからね。能率もいいですし。搬出入に使える時間というのは限られているでしょう」。

 「通常の美術館と違って、ギャラリーですからね。公募展が中心ですから、搬出入というのは通常の美術館以上の頻度で行なわれますから。それが機械装置と言ってもいいぐらいに設計しました」。

 確かに、その方向性はまとを得ている。搬出入口に関しては、ほぼ同時に数団体の搬出、搬入が行なわれるために、動線がスムーズで普通の美術館よりもかなり広くとられていなければならない。そして、展示されない落選作品を保管しておく場所の余裕も必要だ。そして、黒川氏が目を付けたユニークなところは、“審査員専用ロビー”という発想だ。今日、各団体の審査員は、圧倒的に高齢者が多い。より快適な審査会場の環境を整えるというのは、そんなことも配慮しているのだろう。

 「裏方については、関心を持つ方は少ないかもしれませんが、すごく大事なんです」(『美術の窓』2003年1月号)と、黒川氏は言うのだが、美術団体の拠点としての美術館において、その“裏方”こそが、主なる要素なのだ。
 しかし、そういった一部の建築面以外、美術団体の実態に即して具体化されている、国立新美術館の内容はほとんどと言っていいほど見当たらない。と、言うよりも、その運営面に関しては、2003年9月半ばの現時点まで、ほとんど何も決まってはいない。

 その根本にあるのが、やはり美術館”を支える理念の欠如ではないか。従来から言われてきた、箱物行政の一環としてハード先行による日本の美術館の課題は、国立新美術館においても、例外なく横たわっている。


ナショナル・ギャラリー(仮称)とは何か?

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