新連載開始!

         
            
〜あまりにも“日本的”な美術の現実
参考写真
     
*第5回からはタイトルを国立新美術館とは何か?に変更しました。

                     美術ジャーナリスト:藤田一人Kazuhito Fujita


 「てんぴょう」は季刊雑誌だったので、連載というものはその発行間隔の長さから考えていませんでした。
 
しかし日刊とも言えるウェブサイトに引っ越してきたからには、連載を、と。
 美術サイトらしく作品・作家論とも思ったのですが、ここには偶然訪れた美術にそんな関心の無い人も意外と多いと考え、社会と美術の関係を考えさせるようなテーマを選ぼうと思いました。
 そこで決まったのが、「ナショナル・ギャラリー(仮称)」です。まだ新聞では昨年に、その名称を公募する記事が小さく載っただけですが、その規模(総額380億円)といい、建築場所(六本木)といい、これから平成18年の開館に向かって話題を呼ぶに違いありません。

 筆者はフリーで活動している美術ジャーナリスト・藤田一人さん。小誌にも多くの展評を寄せてもらっていましたが、常に作家や作品を単に美学や美術史だけでなく、それらをとりまく社会との関係に観点を置く姿勢は、異色な美術の書き手です。
 連載は約半年に渡ります。今回のプロジェクトが美術界におこす波紋、そして日本の文化行政の有り様を伝えていきます。更新は月に2回を予定しています。
                                       (5月8日編集部)
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追記
2005年7月


第1回 5月8日



ナショナル・ギャラリー(仮称)
とは何か?
-あまりにも日本的な美術の現実
文●藤田一人Kazuhito Fujita
美術ジャーナリスト
















































ナショナル・ギャラリー(仮称)
とは何か?
-あまりにも日本的な美術の現実
文●藤田一人Kazuhito Fujita
美術ジャーナリスト


























































ナショナル・ギャラリー(仮称)
とは何か?
-あまりにも日本的な美術の現実
文●藤田一人Kazuhito Fujita
美術ジャーナリスト
■ビジョンなき大プロジェクト

 株価がバブル崩壊以降の最安値を更新し続けるなど、長い不況のトンネルを抜け出せないでいる日本。しかし、そんななかで、バブル経済期を彷彿とさせるような大型建築や都市開発が首都・東京で展開され、次々にその威容を現している。今年(2003年)ゴールデンウィーク直前に鳴り物入りでオープンした「六本木ヒルズ」もその一つ。“高級な職・住融合”“ファッション、グルメ、アートの豪華な競演”といった雑誌の見出しにもってこいの一見何でもありの華やかさなのだが、「一体それがどうした?」という思いも尽きない。これが本当に今日の日本人が望んでいるものなのか。開発のビジョンが見えてこないのだ。

 ところで、あまり、いやほとんどマスコミを賑わせてはいないが、同じ六本木を舞台に、国による大型美術施設の建設が進行中だ。総額380億円。昨年平成14年度は19億3200万円。今年平成15年度は27億5100万円の国家予算が投入されている一大プロジェクト。それが、今年4月末日現在、未だ「仮称」という但し書きが付く「新国立美術展示施設(ナショナル・ギャラリー)」の建設(平成18年開館予定)。もっと噛み砕いて具体的に言うと、現在の東京都美術館に象徴されるような、日本独自の美術団体による公募展会場を国が新たに建設して、美術団体の活動を間接的に支援しようというものなのだ。

そこには、“文化立国”の名の下、「日本の芸術文化の育成と国際的情報発信の拠点作り」という大義名分が掲げられている。特に近年、国が芸術・文化に対して予算を付け、振興、支援を行なうことに積極的になってきた。しかし、そのことが、日本という国の文化政策の拡大と充実につながっているかというと、少々疑問だ。なぜなら、そこに日本の国としての一貫した“文化観”“芸術観”というべきものが見えてこない。と言うより、“芸術・文化”なる言葉を用いつつ、一体今日の日本と日本人にとって“芸術・文化”とは何なのか、何が必要なのか。そんな根本的な問題が問われずにきた。そして、公共事業の一環としての芸術文化事業、芸術文化施設の建設が進められてきた。特に昨今では、道路やダムなどに比べて聞こえがよく、異議申し立ての起こり難いものとして。つまり、日本の公共的文化事業とは、ある価値観の提唱というようなソフト面ではなく、文化的施設を充実させ、芸術活動の場をより多くの人々に提供するといったハード面の環境開発の見地から展開されてきたわけだ。

 ナショナル・ギャラリー(仮称)の建設計画は、まさに日本の文化事業の典型と言っていいだろう。だから、取り立てて話題にすることもない。というのが、今日の美術ジャーナリズムの大勢ではある。しかし、だからこそ、真摯に真正面からその問題を捉えてみる必要があるのではないか。そこには、美術行政はもとより、美術館が抱えてきた実情や公募美術団体という日本的な美術家組織のあり方など、日本の美術状況とその問題点が十二分に詰まっている。つまり、これから取り上げていく「ナショナル・ギャラリー(仮称)」に関する事柄の一つ一つは、最も等身大で切実な日本美術の課題でもある。


■ナショナル・ギャラリー建設の経緯

 ナショナル・ギャラリーの計画が本格的にスタートしたのは、平成7年(1995年)村山連立内閣の時。当時の連立与党、自民、社会、さきがけの三党合意に、当面の重点政策の一つとして「明るい文化国家の建設のため、国民が身近に芸術文化や文化財に親しむ機会を拡充し、音楽、演劇など創造的な舞台芸術の支援を推進するとともに、新構想の博物館や絵画・工芸部門等の全国的な公募展開催施設などの建設を進める」という項目が入れられた。つまり、その後半部分の名目でナショナル・ギャラリー建設のための調査費が予算として付いた。それを機に、「新国立美術展示施設(ナショナル・ギャラリー)」の建設が実現に向けて動き出したというのだ。

 そうして同年10月、所管庁の文化庁が当時の有力美術団体の幹部や国公立美術館の館長といった有識者を招聘し、「新しい美術展示施設に関する調査委員会」を組織する。同委員会は、平山郁夫(日本画家、財団法人日本美術院理事長)を座長に、芦原義信(建築家)、犬丸直(日本芸術院院長)、植木浩(東京国立近代美術館館長)、内田あぐり(日本画家、社団法人創画会会員)、太田洋三(洋画家、社団法人春陽会理事)、大山忠作(日本画家、社団法人日展常務理事)、甲斐久紀(日本経済新聞社事業局総務)、加藤貞雄(茨城県近代美術館館長)、高階秀爾(国立西洋美術館館長)、富山秀男(京都国立近代美術館館長)、深沢幸雄(版画家、社団法人版画協会理事)、真室佳武(東京美術館館長)、吉野純(洋画家、社団法人二科会事務局長)、淀井敏夫(彫刻家、社団法人二科会常務理事)の15名(各氏の肩書きは調査委員会組織時のもの)。そして、その委員会の役割については、施設の建設を前提に各方面識者の意見を聞いてその基本構想を纏めるというものだった。つまり、そこでは如何なる経緯で国立の美術展示施設の建設が決まったのか、それが今日本当に必要なものかどうか、といった根本的な問題は問われることなかったということだ。

 同調査委員会の会合が何度か持たれるなかで、実情に応じて何人かメンバーを加え、翌8年には大体の基本構想が詰められていったという。勿論、同調査委員会のメンバーなかでは、ナショナル・ギャラリー建設とその内容にあたって各々の考え方があり、また委会自体に対する意識も大きな差があったという。
まず、何より日本独自の美術団体公募展の活動の場として設立されるという意味で、従来その拠点であった東京都美術館の真室佳武館長は言う。

 「私はあくまで公募展会場の前例として、これまでの東京都美術館の運営のあり方を語ったというところでしょうか。日本のお役所というのは、あくまで前例主義ですから、ナショナル・ギャラリーもやはり東京都美術館を一つの模範として基本構造が立てられとはいえますね」。

 また、茨城県近代美術館の加藤貞雄館長は経緯の一端をこう語る。

 「最初は、学芸員は置かず、あくまで美術団体への貸し会場としての役割が第一だった。しかし、首都・東京に建てられる国立の美術施設であるなら、企画展も開催するべきだし、そうすると当然学芸員も置かなければならない。ということで、学芸員を置くことになった。また、建築に関しても、私は、現在進行形の美術を見せるということを考えるなら、これだけ変化の著しい時代には、最近のエアー・ドームのような簡易建築で、2・30年もすれば建て替えればいいと提案したんですが、座長の平山さんをはじめ美術団体の作家達は、『いや、大理石造りのグラン・パレのような豪華なものにしてほしい』という意見が圧倒的。また、対象美術団体についても、最初は書は入っていなかったんですが、書が外れると、最大団体である日展が入れなくなるということで、書も対象になったんです」

 その他にも、既成の美術団体公募展会場としてではなく、もっと本格的な新国立美術館としての希望を語った委員もいた。創画会の代表として参加した日本画家の内田あぐりさんはこう言った。

 「実を言うと、私はナショナル・ギャラリーの構想について何も知らなかったし、特別に興味もなかったんですが、文化庁の方から、メンバーが男性ばかりなので、創画会からは、是非女性を委員に出してくださいということで、私が委員になったんです。それで、委員会では、率直な意見を聞かせてほしいということだったので、私としては、本当に純粋に、新たに国が作る美術施設についての理想的な意見を言ったんです。ちょうど委員会でも、それをギャラリーにするかミュージアムかるかという議論があって、私は、日本の首都に新たに建設される美術館なら、まず、若い作家たちや、無所属で活動している作家たちによりよい発表の場を提供することが何より大切。勿論、学芸員がきちんといて、充実した企画展が開催されなければならないし、美術大学の卒業制作展などにも十分な場所が当てられる。そして、そういうもののなかから、コレクションもしていく。と、いうような国として、ソフト面を重視した意見を述べたんです。高階秀爾さんなども私と同意見だったと思いますよ。」

 「しかし、委員会が進むなかで、最初は参加していなかった当時、美術家連盟理事長の北岡文雄さんや書道方のも加わり出した。そして、実際の建物の話になり始めたとき、美術団体の公募展のために二段掛けのレールを入れるという話が出て、ああ、こういうことだったのかと。正直な話、期待に反するものだという思いがありましたね」

 つまり、同施設の性格や基本理念については、特に文化庁側が明確な方向性や現状認識を持っていたわけではなく、初期段階からかなりの紆余曲折があったということだ。

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