web展評
new 2008.4.28
 web展評 目次

二つの河口龍夫展(上)

文●宮田徹也 Testsuya Miyata
日本近代美術史研究
■〈河口龍夫展―見えないものと見えるもの―〉
兵庫県立美術館:2007年10月27日〜12月16日
名古屋市美術館:2007年11月3日〜12月24日

 ■初めての二館同時開催
  2007年秋、河口龍夫が二つの美術館において展示を行なった。
 〈河口龍夫展―見えないものと見えるもの―〉
 兵庫県立美術館:2007年10月27日〜12月16日
 名古屋市美術館:2007年11月3日〜12月24日
 河口はこれまでに多くの美術館で個展を行なっている。最近では、2005年に〈時間の時間 河口龍夫展〉(4月23日〜5月22日 国際芸術センター青森)が開催された。また、1997年の〈関係―河口龍夫〉(9月9日〜10月9日 千葉市美術館)、98年の〈河口龍夫―封印された時間〉(8月8日〜11月29日 水戸芸術館)、〈呼吸する視線 河口龍夫 みえないものとの会話〉(11月21日〜12月20日 いわき市立美術館)は連続しながらも、異なるコンセプトであった様子だ。河口にとって、二館同時開催は初めてとなる。
 カタログによると今回の展覧会の副題「見えないものと見えるもの」は、河口の作品を初期から見続けている中原佑介が名付けたとある。「見えないもの」とは「時の経過」であり、「見えるもの」とは実際の作品であるという。河口は両館の学芸員と長い年月をかけて展示プランを練った。それぞれの美術館のコンセプトを、同じくカタログから引用する。

 兵庫県立美術館:「関係」「生命」あるいは「時」という、本来、眼に「見えないもの」をテーマに選びとってきた河口龍夫の芸術のエッセンスに焦点を当てて、ほぼ時代を追って代表作を展示し、作品の変遷を追体験できるように構成されている。(山崎均)

 名古屋市美術館:二階の企画室2は、「物質感」を抑えたモティーフによって構成された。一階のメイン・モティーフである種子が、“未知のエネルギー”を見せるものとすれば、二階の展示室は、“物理的なエネルギー”をモティーフとしながら、その“キー・コンセプト”としては、「伝達」と言う言葉が挙げられよう。また、種子に内在するエネルギーに託された作家の意図が、「未来」に向けられたものであるのに対して、二階では、より強く「現在」を意識した構成となっている。(竹葉丈)

 ■過去・現在・未来という区切られた時間軸を持ち合わせていない
 まずは兵庫県立美術館(以下兵庫)の展示から報告する。
 展示室は3階である。ここに至る吹き抜けのスペースを利用して《垂石》(1974年)が展示されている。高さ数mから吊り下げられているにも拘らず、「重さ」を全く感じない。重力が失われて、それを包む空気ごと彷徨っているようだ。階段には、《存在―石から石》(1974年)、《存在―a stone or stones》(1974年)が置かれている。こちらの作品群は、まるでここに根を下ろして動かないかのような印象を与えるほどの「重さ」を感じた。対比的な作品群を通り過ぎ、展示室に入る。展示室に番号をつけるが、それは美術館が指定したものではなく、私が便宜上つけたものである。
 
陸と海 展示風景  撮影:齊藤さだむ
第一室は、《陸と海》(1970年)である。第10回東京ビエンナーレに出展された河口の出世作であり、画集などではよく見る作品であるが、本物はやはり迫力が違う。順路を示さず、キャプションに小さく書かれている時間のみによって配列を確認することができるのだが、それに気がつかないで展示室内を徘徊する者も多くいた。自分もランダムに作品を見てみる。確かに新たな視点を発見することができた。この作品は写真であり、映像ではない。一枚一枚が連続しながらも、実は独立している。だからランダムに見ても違和感が発生しない。河口は、過去・現在・未来という区切られた時間軸を持ち合わせていないのだ。それは、第二室の作品にも言える。
 第二室には、《関係―エネルギー》(1972年)が展開している。微弱な電気が鉄、銅、ニクロム線、電線、プラスティック、水、木、石、フェルトの中を通り、その電気エネルギーを制御し温度調整するサーモスタット、安定器を経て伝達している。ベルが鳴る、モーターが動く、蛍光灯やネオン管が光る、電熱器が熱を発する。しかし部屋は暑くない。元は一つの「電気」であるはずなのに様々な姿に形を代えて、見る者の五感に訴えかけてくる。
 この変容の刺激は、見る者によって過剰に反応したり、そうでなかったりと、その人の経験によって異なるものであろう。私は先程「中を通り」と書いたが、物質の「中」とは何だろうか。目に見えない、体で確認することのできない運動が、ここには循環している。この空間に長く身を置くと、時間感覚が不安定になってゆく。時折鳴るベル、突如動き出すモーターは既視感を生み出す。点灯する蛍光灯、温かいニクロム線は持続的に見えるが、常に同じレヴェルの電気が通っているわけではないだろう。しかし暫く見ていても、その微細な変化を確認することはできない。そこに再びベルが唸る。このような時間感覚と同時に、この作品が1972年当時どのように展示されていたのかと思いを巡らす。その時の鑑賞者は何を感じたのだろう。現在とは大きく異なる感想であったに違いない。この作品は最近、宇都宮美術館の所蔵となった。宇都宮美術館ではどのように見えるのだろうか。その時、私は幾つで何をしているのだろう。
 この作品に《DARK BOX》が登場していることを10月28日に行われた河口と中原佑介との対話の中で初めて知り、私は終了後に自分の眼で確かめに作品の元へいった。入って一番手前にそれはあった。木製の箱の一つだけ配線が施されていない。これもまた「関係」の一つの形である。
 ■「闇」と「見えないこと」は違う
  第三室に入ると、左側には《DARK BOX》が3×4列に並んでいる。単体の形状だけでも不吉な棺桶を連想させ、危険物を内包する気配も帯びるそれが、ここでは12つ規則正しく並んでいるので、更に異様な雰囲気を醸し出している。しかし同時に清楚で気高い感触を持つのは何故だろうか。1997年、2000〜07年の九つの闇は封じ込まれ、作品は完成している。
 DARKBOX展示風景  撮影:齊藤さだむ
2008年、2040年、3000年封印予定の三つはネジが閉められていないので完成していない。この三つの作品は、完成していなくとも他の作品と同様の表情を浮かべて並んでいる。同様の表情を浮かべながらも、何かが違う。作品が「完成」するということは何か。
 河口は1968年に画廊全体を遮光し、その闇を作品とした《DARK》がある(村松画廊)。同時に、1970年には暗闇と化した画廊に幾つもの懐中電灯を点滅させて配置した《関係―光》もある(神戸・貿易センタービル)。光は封じ込めないのだろうか。否、封じ込めることを問題とするよりも、封じ込めないものは何かを考察すべきなのかも知れない。作品の「完成」の問題と同様に。
 右側は二つの部屋に分かれている。どちらの部屋も入口は閉ざされ、係に誘導されて中へ進む。手前の部屋は少人数ずつ入り、47枚の《闇の中のドローイング》(2007年)を、懐中電灯に照らしながら見る。様々な線、形、面がひしめく。近くで細部を照らして見ることと、隔てて作品全体に光を投じてみることでは、作品の見え方が全く異なる。私達は普段美術館で何を見ているのだろうか。それは美術館という特殊な空間だけではなく、日常生活でも同様だ。見ているようで見ていない、感覚だけで事物を捉えている。しかしそれは不確かなこととは言えない。
闇のドローイング  撮影:齊藤さだむ
視力は人によって様々であるが、眼が「良いこと」「悪いこと」は、社会的に強力な差別には成り得ない。すると「見えること」「見えないこと」ではなく、「見ようとすること」「見ようとしないこと」が重要な問題となってくる。かといって観察能力が優れていればいいという問題では、決してない。どのように意識を作用すべきが重要な観点になる。河口の作品は、大切なこのことを教えてくれる。
 奥の部屋には45×55cmほどの画用紙と鉛筆を渡されて一人ずつ入り、河口と同様の手段で《闇の中のドローイング》を実際に行なう。椅子に座る。鉛筆を持つ。灯りが消える。気が済むまで描く。手を伸ばしてブザーを鳴らす。明かりがつく。描いた画用紙は持ち帰ることができるという仕組みだ。実際にやってみると、自分が頭で描いていたものと全く異なる図になっている。タッチにためらいがある。描きたい欲望と何かを見る衝動は異なるはずなのに、実は「見ながら書く」という折衷的行為を普段行なっていることを自覚する。描いていた時間は、思っていた時間ほど長くは無かった。ここでも「描く」ことと「時間を気にする」ことが混在されている。
 では、純粋に「描く」行為が必要なのか。私達は、様々な行為の複合体の上に身を置いているのではないだろうか。それでも純粋な行為に憧れる。完全な「闇」の中にいるのだから、目をつぶる必要もない。すなわち「闇」と「見えないこと」は違う。発見はこれだけではなかった。自分が体験すると、紙全体に描いていたつもりが描き切れていない。河口作品は、描き切れている。それは、手の届く範囲であることが念頭にあることを示している。思えば紙のサイズも座って描くのに限界な大きさではないだろうか。つまり、河口の作品とは人体のサイズを基調としている。それは、これまで見てきた作品にも第四室にも言えるだろう。

 ■人間の営みを越えることを決してしない
 広大な第四室の中央には《関係―鉛の温室》(1990〜1992年)が、三つ置かれている。「温室」という卑近に存在する物体がモティーフだ。中に入れるのは二人が限界である、屈む必要はないが両手を大きく広げることは出来ない、それ程動かなくとも隅々に手が届く、つまり広すぎない、狭すぎない大きさである。それぞれに収められている《関係―鉛の温室・種子》(1990年)や《関係―鉛の温室・花のために》(1992年)、《関係―鉛の温室・土、水、空気》(1990年)、同じ部屋の壁面に展示してある《フェニックスの巣》(1990年)、《関係―植物・HIROSHIMAのたんぽぽ》(1995/2001年)は両手なら持ちうる大きさであろう。《関係―植物・隣の空き地》(1990年)は高いものでも162cmで、作品名が表す通り、どこにでもある空き地を想起することができる。否、どことは指定出来ない空き地に身を寄せている錯覚までもが、呼び起こされる。《関係―種子・成長》(1990年)は全体で5mもあるが、下についている種子が主であり、上は成長し伸びている状態であると解釈することが可能なので、これも決して大きな作品とはいえない。
鉛の温室  撮影:齊藤さだむ 鉛の温室 花のために  撮影:齊藤さだむ
鉛の温室 種子  撮影:齊藤さだむ 鉛の温室 土水空気  撮影:齊藤さだむ
 第五室全体に展開するインスタレーション、《関係―鰓呼吸する視覚》(1975〜2007年)も同様である。鉛のポンプ、じょうろ、閉じ込められた水と涙、7777粒の種子、横たわるステッキという素材を用いた29つの作品と、下北沢・MACA Galleryで2006年9月から11月にかけて行われた〈河口龍夫展―地下時間〉と同じく、部屋全体のミニチュアである《関係―鰓呼吸する視覚》(2007年)を含んだ1点で構成されている。
 この作品の全ては、日常的に私達が触れることのできる大きさのものである。特に《落雷》(2000年)は興味深い。筑波大学を襲った落雷が破壊した木を、河口は脚立を伝って擦り出した。7m余り、これがギリギリのサイズであったという。つまり、人間の営みを越えることを、河口は決してしない。従って作品群は「見られる」ことのみならず、「感じられる」存在へと昇華する。それは1997年の一連の作品、雨痕の化石を擦り起した《三畳紀の雨痕1》、《三畳紀の雨痕2》、《1997年の雨痕1》、《1997年の雨痕2》、1999年の《雨》にも言えることである。実物ではなくその痕跡から、想像することに止まらず感じること。これが河原温との大きな違いでもあるだろう。そして痕跡を見ることは、実物を見たとしても見ていないことと等価かも知れないという逆説を引き起こす。だからこそ河口は、実際の様々な水を封印して作品とすることが可能なのである。
 単なる「水」は1975年の《水》に始まり、1994年には封印した植物の種と正確に量を測った水をガラス瓶または水筒に封印した《関係―水・2リットルの水》、《関係―水・1リットルの水と種子》、《関係―水・種と0.75リットルの水》、《関係―水・種と0.25リットルの水》、《関係―水・ぶどうの種子と水》というシリーズがある。これはそれぞれのバリエーションではなく個として独立しているから、河口の執拗な追及の跡が伺える。その探究は瓶や水筒といった「閉じ込める」場所ではなく、主に園芸に際して使用されるトロフネという「開かれた」空間として変化した《関係―水・水中》(1995-97年)へと展開し、1996年は単なる「水」ではなく「神戸の水」を素材とした《関係―水・シメイトラピストビール(CHYMAYTRAPPISTES BEER)瓶に保存された神戸の水》、季節までも指定した《関係―水・夏、6リットルの神戸の水》、遠足シリーズの《遠足1・800ml.の神戸の水》、《遠足2・800ml.の神戸の水》にまで研究は進み、同年の《関係―水・鉛のポンプ》ではポンプを、《関係―水・水上》ではトロフネに戻り和紙も使用し、《関係―水・成長》(1996-97年)では蓮も現れた。1997年には無記名の涙を封印した《関係―水・涙1》、《関係―水・涙2》、露を閉じ込めた《関係―水・露玉1》、《関係―水・露玉2》を制作した。1998年には《関係―水・如雨露》、2005年には《関係―横たわる杖》といった、象徴性に富みながらも日常的な素材を口の広い開かれたBOXの中で、水と共に作品としている。封印されている種が水を吸うことはない。厳格に測量しながらも、水は蒸発してしまう。この背理に対する河口の追求の変遷が、一つの作品として今回見ることができたのは嬉しいことだ。しかもそれが単なる「研究史」ではなく、一つの「作品」として新たな生命が吹き込まれている。《関係―鰓呼吸する視覚》(2007年)の存在がその意義を確かにしているのだが、ここに《7777粒の蓮の種子》(2006-07年)が違和感もなく溶け込んでいることに重要性を感じる。「水」は最早「水」でなくとも構わないのか、空気に含まれる水分を指すのか、若しくは見る者の想像力に河口は託しているのか。今後の展開を過去の作品から推測することは、河口の場合は不可能である。今回の展示のように、以前の作品であっても現在に生まれ変わるのだから、河口に現在・過去・未来は存在しないのである。
 振り返れば第四室の作品群もまた、全て鉛で封印されているとしても植物が持つ生命力をそれによって感じることができて、実際の種を「見ること」が問題とならない。いわんや、なぜ鉛でコーティングを行なうのだろうか、作品の中に本当に生きた生命体が入っているのだろうか、実はその形を模しただけではないかという素朴な疑問も浮かばない。かといって自然の形態の偉大さや、それをコントロールする人間中心主義を読み取ることもできない。ただ、自然に囲まれている人間の生きている姿を単純明快に、感覚として受け取ることができるのである。それは第五室も同様である。
 ■新たなビジョンが発生
 第五室が第四室と異なる点は、蜜蝋で包まれたじょうろ等が、単なる日常生活品から大きく隔てて「作品」として成立していることである。普段見慣れている生活の中に存在するデザインは、人間工学に基づき機能を重視しているといえども決して安易な発想から造られているのではない。それにも拘らず、河口が蜜蝋を施した作品を見た後では日常に刺激が足りなくなる。手に取れる大きさでありながらも蜜蝋に封印されると、既に手が触れることが許されない、手が届きそうで届かない河口の「作品」に昇華してしまうから不思議だ。
 この一つ一つの作品の不可思議さに加えて、各作品の配置、水との関連が、私達の視覚を「鰓呼吸」に誘い込む。MACA Galleryでは北斗七星を基盤としていたから、「地下時間」という題目を持ちながらも見る者はイメージを天空に解放することができた。それに較べて今回の《関係―鰓呼吸する視覚》(1975-2007年)は、内へ内へと向かう感覚を持った。「内側」とは空間が狭まる、水の中へ落ちる、自己の内面に潜るといったものではなく、もっと自己の外側にある箇所に集結する現場に立ち会うような白昼夢、それは子宮の中なのかも知れない。すると「鰓呼吸」とは三木成夫のいう「胎児の世界」、すなわち生命が発生しここに至る「時間」と読み解くことも可能だということになる。
 第五室を抜けると、美術館が通常「光の庭」と呼ぶ室内から見る野外の空間に、河口は《関係―時の睡蓮の庭》(2007年)を展示した。ここを第六室に数えよう。蓮の種は鉛を纏い、蜜蝋で覆われた掌ほどの容器に乗せられて水面を漂う。
関係 ‐浮遊する蓮の船

 第七室に到達すると、そこには船があった。《関係―浮遊する蓮の船》(2007年)である。蓮は種だけではなく、花が散り葉も落ちて朽ち果てることを待つ茎までも鉛で閉じ込められ、船のみならず壁面をも彩る。この蓮は第五室を入って直ぐに展示されていた《関係―水・成長》(1996-97年)に、既に布石があった。その数を数えることは最早不可能である。船の上には蓮の茎とともに、何かが乗せられている。位置が高いのでなかなか認識することができないが、カタログをみると素材は「鉛、蓮、種子(蓮)、銅、蜜蝋、鉄線、船、磁石盤、温度計、木彫」とある。第六室の蓮の種が、芽吹き時間と空間を越え、船を携えて第七室に到達した。そのような想像力を呼び起こす。
 蓮といえば須弥山、木彫といえば鑑真、船といえば大乗/小乗と仏教を連想させるが、船に対して磁石盤、温度計となれば近代の三大発明、すなわち火薬、羅針盤、活版印刷を思い起こすこともできる。ここでの活版印刷は差し詰めコピーを作れないという反語か、それとも見る者の中に刷り込まれ広がる「メディア」そのものか。いずれにせよ、この作品の根源を探ることに余り意味は発生しない。この作品が今、ここにあることを考えるほうが有益だろう。
 河口の作品は「人体に即した大きさ」であると考察してきたが、ここで大きく覆された。この巨大な船は「温室」と明らかに異なり、最早日常生活を追体験することはできない。河口に新たなビジョンが発生している証だということができる。そして、MACA Gallery〈河口龍夫展―地下時間〉は天に昇るイメージを見る者に与えたが、同時に「地下」であるのだから下に深く沈む感触もあり、自己の立ち位置は丁度中間になる。《関係―鰓呼吸する視覚》(1975〜2007年)も「内側」に向かうベクトル、すなわち中心である。しかしこの《関係―浮遊する蓮の船》は、自己の足を確実に地に付け上空を見上げなければならないという、これまでの作品にないスタンスになっている。それは第八室、展示場を抜けた回廊に展開する《関係―鳥になった種》(2007年)、《関係―種の飛行機》(2007年)にも言えることである。
 河口は羽箒を鉛で封印して天井から吊るし、鳥籠の間をさまよう作品を1998年のいわき市立美術館で《関係―鉛の鳥籠1》(1998年)、《関係―鉛の鳥籠2》(1998年)、《関係―鉛の鳥》(1998年)として発表している。この時、羽箒は何も搭載せず素直に「鳥」に回帰した。今回は「種」が「鳥」になったのだ。鳥籠には、鉛で包まれた麻の実が関与していた。今回の飛行機には、蜂と鉛で覆われた蓮の種が搭乗している。いわき市立美術館の展覧会に私は足を運ぶことができなかったが、カタログでその模様を確認することが可能だ。二つの鉛で封印された鳥籠の間に、七つの鉛で封印された羽箒が舞っている。
関係 ‐種の飛行機

 今回は、少なくとも60mはあろう回廊に、《関係―種子の飛行機》をスタートとして93の《関係―鳥になった種子》が波状の経路を経て目線の高さから上空に舞い上がった。模型の飛行機は《関係―重い時》(2002年/旧百人力工場/Cyclical Art Site)でも、B29爆撃機の機影とライト兄弟が乗った複葉機として用いられている。その時の様子を岩尾徳信はこのカタログで「飛行機はもともと、『死』を予感させるために人類が作り出したものではなく、希望の象徴であり、空に飛び立つことによって開かれる『生』を意味していることを思い出させた」と述べている。
 今回の展示も、ここでいう「希望」が託されていると読むことができる。河口は10月28日の中原との対話で、実際には100制作したので屋外にも展示したかったのだが、鳶に断られ、七つが残ったと語った。身近にあると思っていた河口の作品は空に向かって飛んでいくことによって、はるか彼方に位置し、手の届かないところに行ってしまった。飛行するには時間がかかる。遠くへ行くと見えなくなる。では近ければ、動かなければ、大きければ「見える」ことになるのだろうか。そのように考えると、《関係―浮遊する蓮の船》とは、実は《関係―鳥になった種》(2007年)、《関係―種の飛行機》(2007年)と同じ性格を持つことになる。
 感銘に浸りながら階段を降りると、一階に《関係―時の空間》(2007年)が展示されている。作品の一部は17mほどの高さから吊り下げられているのだが、まるで微動だにしない。重力による緊迫感は発生せず、優しく浮き上がっている感触を受けた。上空へ消えたと思われた意識は、天井から一階まで一気に透徹し、美術館の内部にも未だ根強く残っていたのだ。

■ 宮 田 徹 也 (みやた てつや
 1970年、横浜生まれ。1992年、高校中退。2002年、横浜国立大学大学院修士課程修了。修士論文を「百済観音考」と題し〈日本美術史〉形成の過程を追い、この論考を2004年、明治美術学会で発表。
 また、「イマージュオペラ」「畳半畳」から身体に興味を抱き、ダンス・舞踏・パフォーマンスに対する論考を「ダンスワーク」56(2005年)、57(2006年)号に発表。
 現在は、〈日本戦後美術〉と〈舞踏〉に焦点を絞り、敗戦後の日本における芸術の動向を追う。最近は雑誌「トーキングヘッズ叢書」でダンスの記事を連載し、『池田龍雄画集』では「参考文献表」を担当。

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