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new 2007.11.14
 web展評 目次

〈六本木クロッシング2007:未来への脈動〉展

不自由な“館”を乗り越えて
文●松浦良介 Ryosuke Matsuura
「てんぴょう」編集長
■〈六本木クロッシング2007
:未来への脈動〉展
2007年10月13日〜2008年1月14日
森美術館
港区六本木6‐10‐1
電話 03‐5777‐8600

 
物故作家も含まれる36組の顔ぶれ
 2004年にはじまった本展。今回は、荒木夏美(森美術館キュレーター)、天野一夫(美術評論家・京都造形大学芸術学部教授)、佐藤直樹(アートディレクター)、椹木野衣(美術評論家)の4氏の合同キュレーション(前回は東谷隆司、原久子、畠中実、飯田高誉、片岡真実、紫牟田伸子の6氏)によって行われた。
 展覧会主旨は、「アーティストや作品の交差と、文字通り『六本木交差点(クロッシング)』の意味がかけられている。街に集う人々の活気と芸術的交流のイメージを重ねあわせたこのタイトルは、『ビエンナーレ』や『トリエンナーレ』といった形式よりも、六本木に位置する森美術館という場と雰囲気に注目したスタンスを示す」(荒木夏美“「交差(クロッシング)の可能性:時代と枠組みを越えて”本展カタログより」というもの。さまざまな職業、年齢、人種が昼夜問わず集まる六本木という土地柄を意識したものといえよう。
4人のキュレーターによって選ばれた出品作家は36組(前回は57組)。選定にあたっては何度も議論が重ねられ、前回の出品作家は重複を避けることになり、結果、1970年代生まれの美術家を中心とし、1998年に亡くなっている立石大河亞、70代の池水慶一など含まれる幅広い人選となった。
 これに関して天野氏は、「(2004年以降の)その後の三年の間の『新動向』をことさら捏造して論じるということの虚しさをわれわれは知ってもいたのである。(中略)これこそ新動向と言わねばならないが、近年の国内ギャラリーやマスコミのように青田買い的に新人の発掘と消費に終始するような動きにことさら同調することはしなかったつもりである。表面的な面白さだけでつまみ食いされ、浮き足立つ若い作家をも生む消費社会の環境の中で、本質的な時代の感性を析出し、マクロに時代の中で論じる慎重さをわれわれは持ちたかったのだ」(天野一夫“「交差点」であることから――「荒野」に立つものとして”本展カタログより)と、過熱気味の現代美術ブームとは距離を置いたことを述べている。

■多種多様な表現にとっての美術館
 美術館というものは、外観はそれぞれであるが、その内部である展示室は、暗黙の了解でもあるかのようにどこも似たり寄ったりだ。壁には絵画、床には彫刻が展示される、といったいわばルールを厳守せねばならないかのようだ。
一方、表現は際限なくひろまっていく。特に、インスタレーション、もしくはそれを思わせる展示が定着してからは、美術館展示室というものがどこか窮屈なものになっている。
 本展も、展覧会名どおり複数の分野にまたがるような作品が多数出品されているので、展示室におとなしく収まっているような雰囲気はない。雑然とした雰囲気を持つ人もいるだろう。さらに、劇団チェルフィッシュは、美術館内ではビデオ展示のみで、メインは美術館外での公演。エンライトメントは宇川直宏と共に、六本木のクラブ・スーパーデラックスでのイベントも出品作品とされている。
 このような状況に関して、「器(うつわ)となる会場が美術館に限られているのだから、文学や音楽、演劇(パフォーマンスさえ)や映画(映像ならともかく)といった、『クロッシング』というときにすぐ連想される魅力的な分野との文字通り交錯(クロス)は、最初からあきらめざるをえない」(椹木野衣“「クロッシング」をめぐって”本展カタログより 以下同)、そして、CETという建築、デザイン等を複合させたイベントを手がける佐藤氏は「わたしにとって美術館は、言ってみればアウェー会場だ。(中略)ダイナミックな生命を抜き取られた後の剥製展示みたいなことをしては意味がない」(佐藤直樹“アートの価値の源泉としてのクロッシング” 本展カタログより)と、率直に述べている。
 これはキュレーターとして展覧会に対するネガティヴな言葉ととるよりも、むしろそういったことを率直にカタログに書けるほど、4人のキュレーターは密接に関わり、議論を重ねていたこといたことを思わせる。

■「交差」を象徴する立石大河亞
 出品作品は表現ももちろんだが、そのサイズもさまざまだ。縦横10数センチの冨谷悦子の版画、やはり同程度のサイズのさがぎしよしおうの立体に視線が集中すると思えば、佐藤雅彦+桐山孝司の『計算の庭』では、“庭”から出るために何度もゲートをくぐらねばならない。
 このように鑑賞と体験が交じり合うことで、鑑賞者はこの展覧会の醍醐味を味わっていくのである。
その中で、展覧会のコンセプトを象徴するように思えてくるのが立石大河亞だ。
立石は、56年という決して長いとはいえない生涯において、中村宏との“観光芸術協会”結成を皮切りに、漫画、絵本、デザインへとその活動の幅をひろげ、ヨーロッパでの活動も長きに渡った。しかし、一つの表現、技法をひたすら追求するのがよしとされる風潮の美術においては、その活動はいまだきちんと評価はされていない。
 本展への出品作品は、『壷富士』、『車内富士』といった1990年代の絵画と、『春一運河』、『観光術』の1970年代の原画である。
特に絵画作品は、印象派とか抽象表現主義などのいわゆる美術史に則った絵画というよりも、イラスト、漫画、映像など視覚的表現の全てを網羅しようとした絵画である。
 一つの作品で、これだけ多様な世界を感じさせる作品は、「交差」をコンセプトとする本展において、まさに象徴とも言えるものであろう。
           
立石大河亞 
    「壷富士」 油彩、キャンヴァス 1991年                 「車内富士」 油彩、キャンヴァス 1991年

 ■「衝撃」という共通目的
 「ショップから展覧会へ、ウェブから展覧会へ、雑誌から美術館へといったような、単なる場所の置き換えに留まらない衝撃」(椹木野衣)のある展示を目指した展覧会を楽しむのは、いわゆる従来の“美術鑑賞”では難しいだろう。結局は、いろんな作品があったね、で終わってしまうかもしれない。
 この展覧会を楽しむためには、カタログにかかれた4人のキュレーターの文章を読んでからがいいかもしれない。展覧会カタログの文章というと難解なイメージをもつかもしれない。しかし、「交差」というコンセプトを突き詰めれば美術館、という不自由にぶつかり、しかしそれを抱えてできることを懸命に模索したことが伝わってくる簡素で率直なものだからだ。
 単に有力な美術家を揃えたカタログのような展覧会では、前述した天野氏のいうところの「新動向」に呼応するようなものになっていただろう。そのような展覧会としての強度を失ったものは、合同キュレーションの場合今まで多かった。しかしながらこの展覧会が、見るものに挑んでくるような刺激を多分に孕んでいたのは、4人の議論が深まっていたことと、美術館というものに不自由さを感じながらも、それを踏まえて「衝撃」を与えようとした共通した目的があったからであろう。これは、合同キュレーションの一つの成功でもある。同時に、進行形の表現にどのように対応していくかが、これからの全ての美術館の課題であることも意識させた。

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