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new2006.2.17
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クリスマス・イン・ソウル 2005


――街の華やぎを演出する原高史


文●藤田一人
Kazuhito Fujita 美術ジャーナリスト


HYUNDAI×TAKAFUMI HARAテーマ 「つながり」
2006年11月21日〜12月31日
韓国ソウルにあるヒュンダイデパート全店舗(7店舗)



●雪降る街で

  「冬の韓国は寒い」と、聞いてはいたが、まさにその通り。2005年12月、クリスマスが間近に迫ったソウルは、雪の日が続いていた。しかし、一旅行者にとっては、それた心がまた弾むシチュエーションでもある。

 ソウルの街は、東京同様、クリスマスのデコレーションによって華やかに彩られていた。例えば、ソウル市庁舎前のソウル広場では、大きなクリスマス・ツリーに林をイメージさせるイルミネーションが設置され、昼間は、その緑と白の爽やかさを、夜は光に包まれた幻想的な世界を演出。そして言うまでもなく、明洞、南大門、東大門といった繁華街では、互いに競い合うようにその華やかさが増す。そんな街中を、老若男女を問わず、多くの人々が行き交う。それも小雪舞う寒さの中での情景ということで、ただでさえ、背中を丸め、下を向きがちな人々の気持ちを軽やかにする。

 ただ、日本に比べて韓国はキリスト教が盛んなためか、独特の情景も眼に映る。その一つが、救世軍の社会鍋。地下鉄の各駅や繁華街には救世軍の社会鍋が出て、盛んに募金を行っていた。社会鍋自体は日本でも、鉄鍋を前にして軍服のような制服でトランペット等の演奏とともに賛美歌を唄いながら募金活動を行っているのは年末の風物詩でもあったが、それも最近はなかなか見られなくなった。しかし、ソウルの街中では頻繁に遭遇する。そしてそのイメージも大分異なるのだ。ソウルで見かけたそれは、三脚に赤い寸胴の鍋を掛け、真っ赤なコートに身を包み、チリン!チリン! と高らかな鈴の音を鳴らしながら寒い街中に立っている。そして、何かと気ぜわしい都会の喧騒のなかで、優しく、軽快な年末の風物詩と映る。




ソウル市庁舎前のクリスマスツリー
オリンピック公園のクリスマス・デコレーション


現代百貨店地下入り口前の救世軍募金姿


●現代百貨店のクリスマス・インスタレーション

  そうした年末の華やかな雰囲気の演出に最も精力を傾けるのは、何といっても百貨店だろう。年末年始のセールは、百貨店商戦の最盛期といっていい。11月頃から、各百貨店はクリスマス・デコレーションやイルミネーションに彩られる。そんななかで、ソウルの江南地域のファッションストリート・狎?亭(アックション)の現代百貨店は、日本の現代美術家、原高史を起用して、2005年のクリスマス・シーズンの華やぎの物語を演出していた。
その他4店舗には正面入り口の大壁面に平面

 そこで原が展開したのが、百貨店正面玄関のクリスマス・インスタレーション。サンタクロースを私達の世界に連れてくるトナカイがモチーフ。そのトナカイは、真っ赤なスカーフを首に巻き、明るい黄色をバックに、爽やかに玄関の壁面から首だけ突き出し、客を店内に迎え入れる。私が訪れた時は夜で、光に照らし出された、正面三頭、両脇に1頭ずつ、計5頭のトナカイがライトアップされ、赤いスカーフが鮮やかに引き立っていた。多分、昼間は、雪の舞うなかで、赤と黄色の鮮やかなコントラストが、若者で賑わうファッション街に映えていたのだろう。また、同百貨店のクリスマス・プレゼント用のチラシも、原による小さい家を背中に括り付けたトナカイが向かい合うイラストが表紙を飾っていた。

 元々、原の仕事は、新潟県の浦川原村横住の住民と親密なコミュニケーションを取りながら、その内容を絵と文にしたパネルを各家の窓に掲げ、原と住民の共同制作という形で、その地域の歴史、風俗そして個々の生活状況を表現してきたという。そして、同プロジェクトは、ドイツ・ベルリンのアウグスト通の建築物の窓でも展開された。そうした原の仕事のあり様は、その地域に生きる人々の視線から、“いま”という現実とそこに至る時の流れを捉え、さらにその表現が現実の生活空間に息づき、そして人々がそこに生活の意味と潤いを感じることを模索していると言っていいだろう。
本店・貿易店・チョンホ店 の3店は正面入り口の大壁面に立体


 そんな現代美術家・原高史が、初めて依頼を受けて商業施設で展開したのが今回のインスタレーションだという。そこで期待されたもの、そして原が意図したものは、言うまでもなく、クリスマス・シーズンの街の賑わいに自然に溶け込み、そこを行き交う人々の気持ちを少しでも高めるということだろう。で、そのテーマは“Love is present”。そう言う意味では、モチーフとなったトナカイは、“愛”というプレゼントを運ぶ使者・サンタクロースの良きパートナー。そこで、百貨店とはまさにトナカイであり、言うまでもなくお客さんがサンタクロースなのだ。

 そうしたコマーシャルの一環としての物語は、これまでの原が展開してきた地域住民による等身大の物語とは大いにその方向性は異なるものだろう。が、一つの物語を日常空間に効果的に浸透させ、インパクト強く主張するということでは一致する。そう言う意味では、今回の原の仕事もソウルの華やかな街の空気に溶け込み、賑わう雰囲気を盛り上げていたことは確かで、その目的は達したということだろう。



●世の通俗的欲望を体現

 ところで、今日の現代美術家は、人々の生活とともにあり、社会のなかでいかに有意義に機能するかを盛んに主張する。しかし、実際にはどれほど現実社会に溶け込んでいるのか。現実社会に溶け込むということは、現実を見下ろすような視線ではならない。もっと視線を下にして、ある意味軽薄で移り変わりが激しい人間の欲望に寄り添い、世の流行、風俗を受け入れ、時代の要請に対応していかなければならない。が、昨今の現代美術家達は、そうした通俗というもの背負い込むことを潔しとしない。と言うよりも、自身の抱える通俗的な欲望をしっかりと把握し切れていないのではないか。だから、次々に新たな欲望を発散、消費し続ける現実に追いつけないのだ。そこに、昨今の現代美術家の表現のひ弱さというものもある。

 例えば、百貨店のショーウインドゥーや店内装飾、包装紙、紙袋、パンフレット等のデザインに美術家が携わるなどは度々あったこと。三越の猪熊弦一郎などの包装紙や紙袋などは今でも眼にする。少なくとも、日本も戦後しばらくの間まで、現代美術家なるものは、現代社会と現代人の美的欲望の推進者であり、その体現者であったのだ。それが、街の賑わいを演出し、人々の欲求をそそる。芸術家とは、人々の欲求の主張に他ならないのだ。

 そんななかで、今回のソウルでの原の仕事は、もちろん日本でも試みられていいだろう。その場合、世俗的な欲望と軽薄だが躍動的な、人々そして社会の欲望というものに、もっともっと眼を向けることが求められる。それはかつての新潟やベルリンの場合以上に、圧倒的な不特定多数の人々とのコミュニケーションと物語を形にしなければならないからだ。

 寒いソウルのクリスマス、小雪舞う街に溢れる華やかなデコレーションやイルミネーションは、そこを行き交う幾多の人々のさまざまな希望、欲望のシンボルでもある。だから、私達はそれにひかれて、街を徘徊することになる。


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