web展評
new2006.1.06
 web展評 目次

ケーテ・コルヴィッツ展




 「種を粉に挽いてはならない」


文●石橋宗明
ISHIBASHI Muneharu
(美術展覧会企画者)
■ケーテ・コルヴィッツ展
 2005年11月2日〜12月24日
 姫路市立美術館
 兵庫県姫路市本町68‐25
 пF0792−22−2288

■巡回展
2006年2月10日(土)〜4月9日(日)
熊本県立美術館
2006年4月15日(土)〜6月11日(日)
町田市立国際版画美術館



1)

 1937年7月、ミュンヘンで開会した『頽廃藝術展』には当初、ケーテ・コルヴィッツの作品も陳列されることになっていた。《農民戦争》《戦争》などの連作版画は、反抑圧体制・反戦争の思想を滲ませていることから、ナチス・ドイツにとって好ましからざる作品、つまり頽廃藝術だった。オットー・ディックスの絵画をプロレタリアートなどと糾弾したように、コルヴィッツも晒しものにしたかったのである。だがその準備段階で、ナチスは彼女の作品を除外した。既に敬意をもって人々に受け入れられている作家を、あからさまに槍玉に挙げるとなると、プロパガンダ(宣伝)の効果を弱めてしまうことになりかねない。そこで陳列には加えず、作者の制作意図をすりかえてしまうことで、プロパガンダに用いることにしたのである。

 ナチスが頽廃藝術家と烙印を押した他の作家たちと同様、彼女もまた、展覧会活動を中止せざるを得なくなり、公職からも離れなくてはならなかった。また、ソビエトの新聞「イズヴェスチヤ」のインタヴューに応じた件で、ゲシュタポの尋問と脅迫があったという。異例だったのは、ナチスがその図柄を逆手にとり、自分たちのプロパガンダに変えてしまったことである。ケーテ・コルヴィッツの石版画《パンを!》(1924年)は、国際的な労働者救済運動を支援する為に制作されたもので、空腹を訴える2人の子供と、なす術も無く顔を覆う母親の後ろ姿が描かれている。ナチスはこれを「アカの楽園での飢餓」を描いたものと、故意に誤った説明を吹聴した。あるいは後に、スペインの人民戦線を中傷する目的にも使った。こうした隠微な形での作品の誹毀もまた、作家にとって屈辱であることに変わりはない。

2)

 『頽廃藝術展』は美術史上、最もグロテスクな意図を以って行われたプロパガンダである。「ドイツ民族の伝統的な土地を奪おうとしている狡猾なユダヤ人」の手になる制作の一切、ユダヤ的・反戦的・社会主義的な主題、そして身障者や精神障害者、これらを弾圧・迫害すること。だがこれらは、彼らの意図の全てではない。一方で、ナチスの美学の体現である『大ドイツ藝術展』を平行して開催したのは、相乗効果を狙ってのことである。
『大ドイツ藝術展』は、ミュンヘンに建設された「ドイツ藝術の家」に於いて開催された。そこには、パリスの審判などのギリシア神話を題材にした裸婦画や、古代ギリシアの彫刻を思わせる男性像が数多く見られた。第三帝国は、プロイセン王の治めた第二帝政の継承国家であり、従って神聖ローマ帝国(第一帝政)の末裔にあたる。更に、古代ローマ帝国の半分を呑み込んだゲルマン民族の大移動へと遡り……、とどのつまりナチスは、我々は、古代の英雄や神話の世界と繋がっている優秀な民族なのだと、そう仄めかしているのである。

 『大ドイツ藝術展』に開花したこの軽薄な健康美は、表現主義や新即物主義と呼ばれる作家の描く人物像とは対照的である。後者は一見すると、異様であったり、奇怪であったりする。この対比を用いることで、来場者の心理にどのような働き掛けを行おうとしたのか。人々がフラストレーションや劣等感を抱え込んでいる社会は、集団的ナルシズムを形成しやすい。ベルサイユ条約はドイツの人々に屈辱感を残し、世界恐慌の煽りは、改めて不安や不満、敵意などのネガティヴな感情を呼び起こしていた。つまり、うっかりすると来場者は、ヒトラーのナルシズムの感化を受けてしまう可能性がある。それは宣伝相ゲッベルスの仕組んだ、巧妙なプロパガンダである。古代ギリシアの神々や英雄たちの目くるめく美こそ、自分たちドイツ民族の美なのだと、錯覚に陥ってしまうのである。それはやがて、優生思想という極端な考え方に基づく生体実験や、人種の抹殺(ジェノサイド)へと向かわせる助走となった。

 「頽廃藝術」とされた作品は当時、大方の人々から敬遠されていた。キルヒナーやココシュカ、マルク、ノルデらの描く表現主義と呼ばれる絵画(彫刻家のバルラッハは、コルヴィッツが強く影響を受けた藝術家の一人である)、ディックス、グロス、ベックマンら魔術的リアリズムとも新即物主義とも呼ばれる傾向のもの、あるいはクレーやカンディンスキーといったバウハウスのマイスターたち、そしてダダイズムやキュビズム、これらは「難解である」とか「一部のエリート向けの藝術」と見られ、まだまだ受け入れられてはいなかった。20世紀の美術史上、最も激しく豊穣なこの時期、戸惑いと反感をも喚起したであろうことは想像に難くない。新しい藝術の傾向と出現には、いつの時代にも批判が伴うものだが、それは健全な反応である。賛否両論が入り乱れている内に、例外は多々あるだろうが、いつしか真に価値のある作品が後世に残ってゆくのである。しかし、当時の衝撃と驚きは、20世紀の藝術を概観できる私たちのそれとは桁違いに大きかった。それは始まったばかりだったのである。ナチス、とりわけゲッベルスだが、彼は天才的とも言えるプロパガンダの手腕を発揮し、巷間に燻っていたそんな戸惑いと反感を最大限に利用した。不道徳で、醜く不潔なこれらの絵画や彫刻は、ユダヤ人や共産主義者によるもの、つまり我々「本源的民族」と国家を脅かす者たちの美術なのである。こうしたレッテルを貼り蔑むことで、来場者の理性のたがを緩めさせようとした。「なるほど。私もそう思っていたところだ」と。だがそれまでは、随分変わった藝術だと、そんな感想しか持っていなかったかもしれない。だが、フラストレーションや劣等感を抱き続けている人間は、実際はどうあれ、受け入れやすい、あるいは心地の良い根拠さえ与えられれば、誘導が容易な状態にある。そしてナチスの奨励する神話的「健全美」に同調することで、自信と優越感を得て、いよいよナルシズムを満たすことができたのである。それは集団化する性質(方向)を持っており、故に集団的ナルシズムへと発展する。美しき「本源的民族」を脅かす敵の存在を示唆するなら、集団的ナルシズムは忽ち、ナショナリズムの昂揚へと結び付いてゆく。 

 ゲッベルスのプロパガンダの意図を見抜き、「馬鹿々々しい」と呆れ返る人も少なくはなかったはずだ。しかし、不用意にそれを口に上らせるとなると危険が忍び寄る、そんな不健康な空気が、既にドイツの社会を覆っていたのである。

      

「左向きの自画像」1901、リトグラフ
ケーテ・コルヴィッツ美術館ベルリン 所蔵
「ピエタ」1937-38 ブロンズ
Institut fur Auslandsbeziehungen e.V.,Stuttgart/
Fotograf Friedrich Rosenstiel,Koln
  

3)

 『頽廃藝術展』が4ヶ月目に入った10月の頃、ケーテ・コルヴィッツはブロンズ像《ピエタ》の制作に取り掛かっている。それは翌年に完成した。ミケランジェロの《ピエタ(キリスト哀悼)》を模したものだが、母親の様子には、聖母マリアの達観したかのような趣はない。亡くなった我が子の温もりを取り戻そうとするかのように、深々と抱き抱えている、そんな情景として伝わってくる。叶わぬ願いであることは、その母親も分かってはいる。しかし追憶の内に蘇る温かさが、今にも現実のものになりそうな気がするのである。その亡くなった若者は、コルヴィッツの次男ペーターではないかと私は思う。

 ペーターは画家志望の若者だったが、第一次大戦が勃発した1914年に志願兵として出兵、その2ヵ月後にベルギーで戦死している。意外なことにコルヴィッツは、はやる息子を敢えて止めようとはしなかったともいわれている。第一次大戦では史上初めて、大量破壊兵器が使用され、従来の戦いとは比較にならないほどの夥しい死傷者を出した。マリネッティと未来派の画家たちに見られた、熱狂や無邪気さとは無縁だったとしても、現実を洞察する力が及ばなかった点では、コルヴィッツも同じではなかったのではないか。

 戦場で倒れたペーターのため、そして大勢の若者のために、きっと堪え難い自責の念に突き動かされつつ、コルヴィッツは記念碑の制作に取り掛かった。幾度かの中断を経て、1932年7月、ようやく石の彫刻《両親たち》として完成させることができた。これはベルギーにある、ドイツ軍戦没兵士墓地に設置された(後に移転)。《両親》は等身大の父親と母親の像からなる。どちらも地面に膝をついた姿勢をとっており、悔恨に苛まれながら祈り続けているかのような姿に見える。《両親》には、静かな祈りへと自らを導くことを可能とする、それなりの時間の経過があったことが窺える。生々しい情動の段階を過ぎ、内省へと向かい始めた人間の姿が表現されているように思う。つまり、祈りの場の記念碑に相応しい作品なのである。これに比して、その6年後に完成した《ピエタ》は、息子を失った母の悲痛が赤裸々に表現されている。むしろ《ピエタ》の方に、戦死したペーターに対するコルヴィッツの情動が、如実に表れているように思うのである。

 1945年4月、ケーテ・コルヴィッツは77歳であったが、疎開先のドレスデン近郊で死去する。ナチス・ドイツが連合国に無条件降伏する3週間前のことだった。しかし、戦後半世紀近くが過ぎた1993年になって、彼女はまたもや国家によるプロパガンダに利用されることになる。プロパガンダという響きは、いかがわしさが付きまとう。だが今度は、肯定的な意味で使っていいのかもしれない。1993年11月、ベルリンにある国立中央戦争犠牲者追悼所「ノイエ・ヴァッヘ」の除幕式が行われ、建物の内部、中央の間(ま)にあの《ピエタ(「母と死せる息子」)》が据えられていた。しかしそれはオリジナルを、等身大よりもやや大きく拡大複製したブロンズ象である。本来は別物と見なすべきところだが、この際肝心なのは、ケーテ・コルヴィッツの思想がそこに生き、活かされているかどうかなのである。

 「ノイエ・ヴァッヘ」はもともと、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルムV世が1818年、ナポレオンとの戦争に勝利した記念として建てさせたもので、設計は建築家のフリードリヒ・シンケルである。その後、1931年にはプロイセン州立戦没者追悼所に使われ、ナチス・ドイツの時代には「戦争のための戦没兵士顕彰碑」として、それをナチス風に飾った。

 ベルリンが東西に分割されると「ノイエ・ヴァッヘ」は、東ドイツの管轄下に入り「ファシズムと軍国主義の犠牲者のための警告追悼所」に変わった。ここに至って、追悼所の持つ意味合いに変化が生じていた。第二帝国からナチス・ドイツの崩壊まで、「ノイエ・ヴァッヘ」は軍事国家を象徴する建物であったが(ワイマール共和国に於いてもその末期には、露骨なナショナリズムを抑えきれなくなっていた)、初めて反ナチズム、反軍国主義を象徴する建物へと変わったのである。但し、ここで追悼されているのはドイツ人の抵抗運動犠牲者に限られていた。

 東西ドイツの統一後、新たな国立の追悼所として改造された「ノイエ・ヴァッヘ」は前者の発展形である。むしろ飛躍的な進歩ともいえるだろう。入り口に掲げられた銅版にある追悼文を読むならば、そのことが分かる。追悼の対象に枠を設けず、ナチス・ドイツによって蹂躙された、全ての人々に対して追悼を捧げる場となったのである。また、ナチスによって押し進められた戦争を完全否定し、ナショナリズムが入り込む余地をぎりぎりにまで払拭している。頽廃藝術家として迫害を受けたケーテ・コルヴィッツが生きていたなら、成熟しつつある国家が見せたまずまずの成果として、そして贖罪として受け入れていたかもしれない。

4)

 2度の世界大戦、湾岸戦争、ユーゴスラヴィア紛争、そしてセプテンバー11以降の軍事行動など、開戦と戦争を支持する世論の高まりを必要とする局面には、知識人と藝術家が利用される(※1)。そんな知識人や藝術家にとっては、発言や表現が容易な空気が醸し出され、それらを疑問視する人たちには、重圧を感じさせるものとなるのである。それは軍事国家や全体主義国家に特有の現象とは言えない。ナチスの行った言論統制ほど極端ではなかったとしても、それは連合国側のイギリス、フランスででも顕著に見受けられたのである。また現在のアメリカに於いては、軍産複合体の代理人であるジョージ W.ブッシュの体制下で、言論の統制が陰に陽に行われ、戦争プロパガンダも盛んである。

 私には、ドイツ市民の奮闘と前進ぶりが眩しく映る。日本のナショナリズムの昂揚と軍事拡大に嫌悪感を覚え、陰鬱な時代に逆戻りしているかのような気持ちにさせられているからである。その上、この軍事拡大の為の憲法第9条の書き換えや、靖国神社をナショナリズムの象徴的殿堂に据えようとする流れの中で、知識人や藝術家が登用され、あるいは自ら馳せ参じる光景を頻繁に目にすることになるのかもしれないのである。

 しかしながら、プロパガンダを受け取る側が理性を手放さず、懐疑的な思考に基づく判断と選択を重んじるのであれば、送り手の側は、ほとんど何も成果を得られないはずである。懐疑的な思考は、社会を健全な方向へ導く為の、精神の構えの一つだと私は考える。私もまた、安気で静閑な生活を手に入れたいと望む。その為にも懐疑的であろうと努めている。ジョージ・オーウェルの小説『1984』は、超管理型軍事国家の恐怖と陰鬱を描いたものだが、国民の大半は、他国と交戦状態にあるかのように思い込まされている。熱狂と服従以外の選択は一切許されない。思考の停止は習い性となり、むしろプロパガンダの供給なくしては、人々は不安になり混乱してしまうような社会なのである。自分がどういう人間なのか、何を考え信じるべきなのかは、政府が決めてくれる。こんな自由を奪われた安気さや静閑さには、吐き気を催す。

 プロパガンダを受け取る側には、選択の余地がある。従って、懐疑的な思考が役に立つ。手を替え品を替え、プロパガンダを仕掛けてくる現代のゲッベルスたちを、決して侮ってはならないが、さほど脅威に感じる必要もない。しかし、私たちにはそうであっても、青少年にとっては難しい。懐疑的な思考は、幾らかは経験と訓練によって培われるものだが、それを身につける以前の状態にある彼らは、余りにも無防備である。戦争を望む人々はいつの世にも、必ずそこに着目する。彼らにとって青少年への洗脳教育は、戦時体制を固めてゆく為の最も魅力的な技術に映るのである。現在に於いては、メディア・バイオレンスによって、洗脳を施し易い下地が既に形成されているという特徴が見られる。戦争プロパガンダがダイレクトに浸透する脳が、メディア・バイオレンスによって「養成」されているのである。

 5)

 主に絵画や彫刻をプロパガンダに利用したのは、第二次大戦直前頃までのことである。それ以降、今日に至るまで、映画、ポピュラーミュージック、漫画とアニメーション、テレビドラマといった、手軽に楽しめる娯楽が大衆化するに伴い、プロパガンダとしても活発に利用するようになった。加えて今後は、インターネットやコンピューターゲームが大いに用立てられることだろう。コンピューターゲームは、今のところは、戦争プロパガンダを広める媒体としてよりも、戦争プロパガンダを無抵抗に受け入れる脳を「養成」する為としての役割が強い。それはメディア・バイオレンスと呼ばれる「娯楽」で、青少年の暴力に対する嫌悪感と抵抗感を鈍らせるものとして、特にアメリカで懸念が広がっている。しかしメディア・バイオレンスは、戦争プロパガンダを浸透させようとする側にとっては、都合のよい脳の状態を提供してくれる。必要に応じて、この状態を利用することができる。やはり「娯楽」を通じて、煽情的にナショナリズムを喚起し、短絡的な思考を植え付ける。つまり、死ぬことの格好のよさ、をである。更に、具体的な戦争プロパガンダを吹き込んでゆくなら、眼前に提示された敵に対して、比較的簡単に、敵意を抱かせることができるだろう。

 未来予測を得意とする政治学者ジョン・ネズビッツは、アメリカの子どもたちの脳を侵食しつつある戦争・殺人ゲームの背景には、「軍・ニンテンドー複合体」が存在すると報告している。これは軍産複合体をもじった造語だが、任天堂のみならず、ゲーム業界全般を指し示し、告発している。ゲーム産業は、よりリアルな戦争・殺人ゲームを開発すべく、米軍内の「テクニカル・アドヴァイザー」と交流を持つ。その結果、リアリティーが増し、残虐性を高めることのできたソフトは売上を伸ばす。一方軍部は、そのシュミレーションゲームを兵士の訓練用に導入し、成果を上げているという。私は、軍部のおぞましい思惑を疑っている。同様のソフトが一般家庭にも入り込み、子供と若者が熱中する様子を、彼らは興味を持って眺めているのではないか。擬似的に暴力に慣れ親しんだ脳を「養成」し、殺人の為の訓練をも施せるかもしれぬ、そう期待しているのではないかと。つまり家庭やゲームセンターを、軍隊への予備校にしてしまおうというのである。多くの落第生を生むだろう。魂が抵抗を試みるからである。だが、適正を示す青少年も少なくはなく、彼らは「才能」を密かに伸ばし続けるのである。
「軍・ニンテンドー複合体」は、日本ででも顧客を拡大せんと目論んでいる、私はそう考える。憲法第9条が書き換えられ、集団的自衛権が認められたなら、「軍・ニンテンドー複合体」の開発したソフトは、大手を振って家庭に入り込んでくるようになるかもしれない。しかし既に、暴力と破壊を売り物にするゲームが、青少年たちの脳を侵蝕していっている。暴力に対する嫌悪感や抵抗感は益々薄れ、あるいはそれらを培う機会を奪っている。後は、戦闘にも通用する技術と精度の高さを、ゲームに備えさせればいいだけである。

6)

 日本の子供たちが目にするテレビドラマやアニメーションには、短絡的で執拗な暴力が描かれていることが多い。コンピューターゲームとなると残虐性が増し、もっと凄まじい。成人のみならず子供までもが、娯楽を通じて、これほど頻繁に暴力場面に接している国も珍しいのではないか。

 心身に苦痛を伴わない、健康なセックスを描写したものであっても、政府と関連機関は、偏執的とも思える検閲を加えてきた。一方で、暴力・残虐描写や、他者に苦痛を与えることで、性的な快楽を得るという病的な類については、倫理的には鈍感で寛容でさえある。つまり少々の努力で、青少年にでも見ることができるということである。

 セックスの描写があってもいい。サディスティックなものや、あからさまに病的なものでなければ(※2)、愛のある光景を体験することができる。子供をベッドへ追い立てる必要は、ほとんどないはずだ。しかし暴力は、愛と比べるなら、正反対へと傾く性質を持つ。それは、憎しみや怒りの極端な表現であり、惨状や醜態を招くものである。だがメディア・バイオレンスは、暴力行為に伴う刹那的な快楽や面白さ、可笑しさばかりを取り出して増幅させ、「娯楽」に仕上げている。

 多くの人は、そんなものを好まないだろう。特に子供を持つ、まともな親であれば尚更である。そうではあるが、個人と社会の、暴力(悪としての破壊)に対する嫌悪感や抵抗感がどこか希薄で、反発力に欠けていた、こういったことも原因としてあるのも否めない。メディア・バイオレンスが、日常のような顔をして居座ってしまっているのは、戸口が開いていたからである。しかし私は、盗人が入った家の住人を批難するつもりはない。メディア・バイオレンスとそれが引き起こす混乱には、商業主義の最も醜悪な面が顕著に表れているからである。これは手練手管を用いた侵害である。同じやり口を、私は軍事産業に見る。人びとの心理傾向と状態を分析し、それを利用しながら緊張を演出し、兵器を売り込む。時期が来れば一挙に放出・消費させ、次から次へと武器を供給する。無防備な青少年が相手の場合には、理性が未だ十分に育っていないことをいいことに、脳内で戦争を誘発させ、破壊の為の攻撃性を植え付ける。そして、飽きることがないよう、新手のソフトや番組(そして関連するキャラクター商品)を用意し、供給し続けるのである。その後の家庭内に漂う、鈍感と寛容は生来のものではない。諦めと、それに伴う馴れが生み出すものではないのだろうか。

      
「カール・リープクネヒト追悼」1920年 木版 
ケーテ・コルヴィッツ美術館ベルリン 所蔵
  

7)

 ジョン・ネズビッツによると、アメリカには、子供の遊びから暴力を追放することを目的とする「ライオンと子羊プロジェクト」と呼ばれる非営利団体があるという。この団体は、「子を持つ親による、親のための活動組織で、暴力的なおもちゃやゲーム、娯楽に代わるものを家族が見つける手助けをする」。暴力的と判断できる対象を直ちに排除するのではなく、良質なものを選び出し、推奨してゆくことに比重を置く。彼らは全国各地でワークショップや人材育成のための研修会を開き、各方面に支持を広めていっているという。こうした活動は、商品の淘汰を招き、企業の商品開発に使われるお金の流れにも変化を生じさせるだろう。

 「ライオンと子羊プロジェクト」のような活動を始めている人々は、日本にも少なからずいることと思う。私はこうした活動に、様々な分野の創り手や、文化活動に携わる人たちが、関わってゆくのもいいのではないかと思う。そうすれば、自分たちの仕事の目的が本来どういうものであったのかを改めて認識する、よいきっかけになるかもしれない。その上で、創り手の立場から、同時に親としても、良質な藝術とは何かについてアドヴァイスができるのではないか(その際、相手からも学ぶ真摯な姿勢を忘れてはならない。自ら「先生」と称するようになっていたのなら、どうやら自分は胡散臭い人間になりつつあると警戒すべきである)。人間にとってどういった藝術が大切なのか、このことについて考えてみるのは有益である。いうまでもなく、藝術には様々な分野があり、表現方法も色々だ。しかし、藝術が存在することの本質を問うならば、精神や魂の成長と紆余曲折について、愛を探求する人生の意味について洞察することにある。玩具やテレビ番組を選ぶ際にも、こうした思索が役に立つこともあるだろう。また、政府や自治体の文化行政に、市民の側からのリクエストを行う場合にも、参考になるかもしれない。

 暴力を描くにしても、その目的如何によって、作品の持つ趣が違ってくる。悪としての破壊そのものを描こうとして、技巧を凝らしてみても、それには何の意味もない。暴力に魅了された作者による作品は、藝術としての力を持ち得ない。劣悪さを露呈させながら、やがてその他諸々と一緒に忘れ去られる。暴力を描くのは、それらに対する確執や抵抗、愛と生命の存在とその横溢を表現するためである。

 例えとして、ナチスが「頽廃藝術」と囃し立てた、名だたる多くの画家の中から、幾人かを取り上げてみたい。エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーの描く人物像には確かに、犯罪者や狂人の醸し出す、頽廃的な様子を読み取ることもできる。だがそれは、強欲の犠牲になってしまっているエロスの悲愴を描くことで、愛に向かう本来のエロスの姿と力を取り戻そうと模索する絵画なのである。ゲオルゲ・グロスの作品には、機械化された軍人の悲愴さや滑稽さ、腐臭漂うかのような荒廃した戦場での寓意的交渉、などが描かれている。また、都市文明という牢獄の中で、大きな存在を見失い、神経症的に右往左往する人間群像を揶揄する。彼もまた、エロスの復権を試みているのではないか。戦場での体験に基づく、オットー・ディックスの銅版画≪戦争≫シリーズは、乾いた感覚で、戦死者や負傷者の姿を描き出したものだ。戦場や野戦病院に於いては、もう馴染みの光景なのだろうが、そのこと自体にいやらしさを覚え、嫌悪しているのである。胸糞悪くなるような非人間的な行いと、そんなことに巻き込まれてしまっている自分を嘲っているのである。

 戦争犠牲者の無残な姿を、子供たちの目に触れさせてはいけないだろうか? 現実を知れとばかりに、生々しい遺体の写真を取り出してくるのは間違っている。死体を眺めるのが目的なのではない。ロバート・キャパの報道写真と、死体愛好の衝動をどうすることもできず、あちらこちらの戦場を徘徊しているカメラマンによるものと、どちらを子供に鑑賞させるべきだろうか? キャパの撮影した戦死者の写真からは、犠牲者に対する哀悼の気持ちと尊厳が伝わってくる。達観する魂の静けささえ感じさせる。あるいは、ローランド・ジョフェ監督の『キリング・フィールド』(1984年)はどうか。クメール・ルージュによる大量殺戮が描かれており、さすがに中学生以下の子供には厳しい内容かもしれない。しかし、死や屍を乗り越えて生きてゆくことの大切さ、ネクロフィラスな人々や状況などには負けない、生命力の逞しさを描いた素晴らしい作品である。

 これらには、暴力こそ描かれているが、暴力の為の作品ではない。アンチテーゼとしてのバイオフィラス(生を愛する傾向)やエロス的方向を浮き彫りにするが故に、藝術として成立しうるのである。こうした藝術は、個々人に於いても、また人類史の規模に於いても、人間が成長する過程に寄り添いながら、いつでも話し相手として応じてくれる。

 世界は優れた藝術に溢れている。一生の内に出会える藝術には限りがあるが、長く付き合っているものが幾つかでもあるのなら、それは幸せなことだと思う。青少年の頃に出会うのなら、とりわけ、かけがえのないものとなるだろう。なぜそれが藝術として優れているのかは、もう少し後になってから、自分なりに考えてみればいい。まずは感じることが大切である。やがて、人生の意味や心構えをそれとなく学ぶことだろう。美の原体験を得る機会を持つことができたなら、その後、劣悪なものに出会ったとしても、その人にとってそれは、一過性のものに過ぎないのである。

8)

 ケーテ・コルヴィッツの最後の作品となった石版画(1942年)には、《種を粉に挽いてはならない》というタイトルが付けられている。これはゲーテの小説『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』からの引用であるが、既にコルヴィッツは、第一次大戦が終結する頃、戦争が大勢の若者を犠牲にしていることに抗議すべく、これを引用したという。種とは、未来を担う大切な青少年のことだ。そして、息子ペーターのことだ。彼らを、馬鹿々々しい戦争で死なせてしまったことに抗議し、また自分自身にもその言葉を投げ付けているのである。第二次大戦が勃発し、今度は孫のペーターがロシアの戦線で戦死している。石版画《種を粉に挽いてはならない》は、その直後に制作された。これは彼女の遺言である。戦争を引き起こし、若者を殺し続ける限り、何度でも言ってやろう、そんな気迫が込められているかのようだ。

 ケーテ・コルヴィッツの遺言を引き受けようとする藝術家は、とりわけ夢想家なのだろうか。暴力や戦争などの破壊に対して、藝術はアンチテーゼとなり得ても、現実には無力に等しいのではないか、そんな風に思いたくなることも時にはある。だがそれは、物の分からぬ人間の気迷いであった。真の藝術は、破壊を演出する者たちの前に立ちはだかり、その野望を邪魔立てする。私はこの文章を書き進めながら、そう納得することができた。日々、藝術の分野に生きる人たちだけでなく、できるだけ多くの人が、藝術の持つ力に目を向けることで、これからの人々と彼らの未来を守ることができるのである。

      
「種を粉に挽いてはならない」1941年末 リトグラフ
ケーテ・コルヴィッツ美術館ベルリン 所蔵
  

※1 イラクがクウェートに侵攻した直後、イラク軍の兵士が、保育器の中にいた未熟児を床に投げ捨てたという報道が流れた。ブッシュ大統領(父)は演説でこのエピソードを繰り返し語った。その結果、アメリカの世論は開戦支持へと大きく傾いていった。しかし先のエピソードは、広告会社ヒル・アンド・ノールトンが演出した作り話で、出資者はクウェート人の有力者だった。
バリー・レヴィンソン監督の『ウワサの真相/ワグ・ザ・ドッグ(1997年)』は、湾岸戦争やユーゴスラヴィア紛争時の世論操作を素材にした映画である。ハリウッドのプロデューサーと、広告会社のベテランを中心としたプロジェクト・チームが登場し、大統領のスキャンダルによる人気低迷を食い止めるべく、世論の関心を戦争に向けさせるという常套手段を適応、架空の戦争を演出する。この映画は、センプテンバー11以降に見受けられたプロパガンダをも予見しており、例えば、愛国歌「God Bless America」を彷彿とさせるバンドエイド風のポップスを、まんまと流行させるのに成功する様子が描かれている。

※2 両者の合意の上による、痛みを用いた愛し方もあり、それが直ちにサディズム(悪としての破壊)に結び付くとは言い難い。しかしそれは、精神分析学的な洞察が要求される場面である。従って、愛について考える為の対象としては、複雑であるが故に適さない。青少年の期間(理性と理解力が力を付けるまでの間)は、成熟した段階にあるセックスの姿を基本としておきたい。


■参考文献

坂崎乙郎著『反体制の芸術 ―限界状況と制作のあいだで』中央公論社1969年.
イアン・ダンロップ著『展覧会スキャンダル物語』千葉成夫訳 美術公論社1985年.
カタログ『ケーテ・コルヴィッツ』展 朝日新聞社1992年.
大特集「ナチスが捺した頽廃芸術の烙印」(『芸術新潮』1992年9月号 新潮社).
若桑みどり+西山千恵子著『ケーテ・コルヴィッツ』彩樹社1993年(巻末に詳しい年表あり).
ジョン・ネズビッツ著『ハイテク ハイタッチ』久保恵美子訳 ダイヤモンド社2001年(「軍・ニンテンドー複合体」や「ライオンと子羊プロジェクト」について参考にし、後者の記述からは一部引用した).
アンヌ・モレリ著『戦争プロパガンダ10の法則』永田千奈訳 草思社2002年.
南守夫著『「ノイエ・ヴァッヘ」の歴史的意味 ―日本における戦没者追悼問題を考えるために』(この論文は、田中伸尚編『国立追悼施設を考える ―「国のための死」をくり返さないために』樹花舎 2003年 に収められている.「ノイエ・ヴァッヘ」の変遷や特徴などがよく分かる)


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