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new2005.9.16
 web展評 目次

〈アートフェア東京〉

単なる名称変更ではなく、より商業的なフェアへ


文●松浦良介 Ryosuke Matsuura 『てんぴょう』編集長
アートフェア東京
2005年8月6日〜8日
有楽町国際フォーラム


 1992年から8回開催された国際コンポラリーアートフェスティバル(略称NICAF=ニカフ、以下NICAF)が、名称をアートフェア東京に変え2005年8月6日〜8日東京・有楽町国際フォーラムにてその第一回目を開催した。

 変わったのは名称だけではなくて、実行委員会のメンバーも大幅に入れ変わった。例えば、2003年の最後のNICAFにはアドバイザーとして、荒井一章(不忍画廊)・長谷川久道(ハセガワアート)・石井利治(東京画廊)・佐谷和彦(佐谷画廊)・白田貞夫(シロタ画廊)の5氏だったのが、今回は白石正美(白石コンテンポラリーSCAI)氏のみ。アートコミッティー(実行委員会)にも、井上雄吉(井上オリエンタルアート)・廣田登志彦(ギャラリー広田美術)・野呂好彦(銀座 柳画廊)の3氏が新たに加わった。

 さらに出展画廊に関しても、貸画廊業務も行っている画廊は出展不可、とした。この事は大なり小なりさまざまな反応を呼び起こしたので、後ほど述べたい。

小社もブースを出展し連日会場にはつめていたので、個人的な感想も交えながら、アジアでは最大規模といわれるこのアートフェアを、いくつかの視点で振り返ってみる。


●各媒体へのPR

 展覧会というよりはイベントの要素、しかも作品売買を主とするものであるから単に数のためでなく、その質も見込めるようなPRは当然重要である。特に今回は、第一回目であるがゆえにそれは一層強まる。
アートフェア東京会場風景

 事務局のPRマネージャー遠藤健氏の話しでは、今回は商業イベントであることを強調したリリースなどでテレビ、雑誌、ラジオなど各媒体にアピールしたという。特に雑誌では経済誌もターゲットに加えたとのこと。

 結果、テレビではNHK、日本テレビ、MXが夕方のニュースなどで放映し、テレビ東京は株式市場ニュース番組として有名な“クロージング・ベル”で取りあげた。紙媒体では、「ぴあ」、「HANAKO」など主要情報誌、朝日・読売・毎日新聞をはじめとした各新聞はもちろん、「Forbes」など経済誌さらにはユナイテッド航空の機内誌が取りあげるという事務局のPRが成功したといえるものになった。

 集客人数のみを重視したとりあえず人目に触れる、というよくあるPRではなく、その質にこだわる今回の事前PRの成功は、出展画廊の総売り上げが約2億円という数字に反映されることになった。

 今後はPR予算が増えるのであれば、電車車両を使ったり、テレビCMを作成したりなどより幅ひろい層へ訴えかけ、美術品を購入したことがない人たちも、会場に足を運ぶようにするべきであろう。

●集客人数・売り上げ

 事務局が8月9日に発表した来場人数は、一般公開前日の内覧会も含めて28,214人。また出展した83軒の画廊の売上総額は約2億円。この数字を事務局は予想以上、というが、まさにそうである。

 開催時期は真夏の8月、しかも美術市場ではお金が動かないといわれる8月である。実際、開催期間中は午前中から気温が30℃を越え、いくらJR・東京メトロ有楽町駅から至近距離の会場とはいえ、人出は鈍ると思われた。しかし、お昼から夕方にかけてもっとも会場が混雑していたのである。特に土曜日夕方のニュースでとりあげられた翌日日曜は、かなりの混雑であった。また、古美術や日本画を主に扱う画廊の出展が増えたせいか、来場者に今までにはなく中高年者が増えていたようにも思えた。
アートフェア東京会場風景


 売上総額が約2億円ということに関しては、同フェアと比較できる同規模のものがないだけに、単純に判断はできない。ただ、NICAFの時はこのような金額は発表されていなかったので、公表したことを評価したい。出展した画廊、また今後出展しようかと思っている画廊にとっては、最も気になる数字であるのだし。







●貸画廊業務を行う画廊は参加不可能、について

 今回、最も話題を呼んだのが、貸画廊はもちろんのこと、企画展を主にしていても貸画廊も行っている画廊は出展不可能、という出展画廊に対する審査基準である。美術家の方から、貸画廊というものについては今まで大なり小なり多くの意見が出されているが、同じ画廊からだけにその反響は大きかったようだ。

 私が思うに、日本の戦後美術の歴史や現状を考慮せずに単に現段階で貸しか企画を問うのは余りにも杓子定規、といえる。実際、アートフェア東京のホームページにおいて、美術ジャーナリスト・名古屋覚氏は「優れた企画展も行う貸画廊の参加が目立たなかったのは不自然だ。貸画廊が現代アートの企画専門画廊に若手作家を供給しているわが国の現実もある。敬意をもって出展願うべきではないか」と述べている。

 しかし貸画廊というものは、日本の戦後美術の土台を成しながらも、時間が経つごとに混乱のようなものもひき起こした。

 それはまずは海外の画廊からの視点である。欧米を中心に、画廊といえば自らが認めた美術家の作品を売買し成り立つものである。しかし日本では、それをせずとも美術家が画廊に場所代(もしくは展覧会開催企画費等)を支払うことでも成り立つ、というのは疑問だということ。

 次に、国内での変化である。貸画廊の当初の存在意義は、公募団体展などに頼らず美術家が自らの力で好きなように個展を開く、ということにあった。であるから費用の自己負担も容認できるものでもあった。それは作品で食っていくなど夢のような話であるがゆえに生まれた自己完結の物語だ。
しかし日本社会が成熟していくに従って美術作品を購入する人口も増え始め、同時に県立美術館を筆頭に美術館建設ラッシュも起こった。そして、コレクターや美術館などを相手とする企画専門の画廊も登場しはじめたのである。

 そこで貸画廊は美術家が自ら個展を開くという自己完結のための場所から、美術館や企画画廊に注目されるための通過点になっていったのである。ゆえに自己完結のための費用は払いたくなくなり、さらには企画専門画廊が増えるに従い、貸画廊にも同様な活動を求めはじめたのでもある。その為最近では、一つの画廊が企画と貸画廊を並行しながら、貸画廊で数回見て後に企画へ、というパターンも増えている。
アートフェア東京会場風景


 今回の審査基準の意図には、そのような混乱を解消したいというものがあったのではないだろうか。日本の画廊には二種類あり一つは貸画廊で、もうひとつはそれを行わない企画画廊だということを。確かに今回出展した画廊の中には、数年前は貸画廊を行っていたところもある。しかし出展を認めたのは、現在はしていないということを評価してのことだろう。

 いずれにせよしっかりとした説明もないままの発表であったから、大なり小なりさまざまな反響や憶測を生んだことは確かである。次回は、アートフェア東京なりの画廊・画商観というものを、きちんと美術界全体に説明すべきではないだろうか。

●古美術商、日本画画商などの参加について

 今まではとにもかくにも現代美術を、であったのが今回からは古美術商や日本画画商も出展するようになった。これも単なるイベントではなく、美術品が売買されるフェアなのだということをより強く主張したいということからであろう。

 現代美術の作品というのは、時代の空気を取り込み正体不明でありながら刺激的であるが、権威やステータスといったものが乏しくいまひとつ足元が固まらない。一方、現代美術のような刺激はないが、伝統やステータスなどを背景に高額であっても売買が成り立つ古美術や日本画が同じ会場に並ぶというのは、互いに補完しあって意外といい効果があったように思えた。
 すでに多くの確実な販路や再販方法をもつ古美術商や、日本画画商にとっては今さら分野外のフェアに出展しなくても、という思いもあるだろうが、所詮は日本国内の小さな市場。すこしでも大きくする意味でも、今後も参加して欲しいと思う。会期中、別会場で開かれた出展画廊の交流パーティーでは、互いに名前は知っていたが実際に話すのは初めて、という新鮮さもあっていろいろと盛り上がったそうである。
 

 以上数点からアートフェア東京を振り返ってみた。単に名称変更ではなく、より美術品の購買層を増やそうという意図を前面に押し出した新たなフェアの第1回目となったのである。
 今後はこのフェアにつながるようなイベントなどをどれだけうてるか、ということが問題になる。やはり大きなフェアは、一発の派手な打ち上げ花火。それを盛り上げるには、それまでの小規模な多くの花火が必要なのである。
 そのためには、アートフェア東京が主導となり、数画廊を集めたイベントを行うなど必要ではないだろうか。もしくは展覧会でもいい。欧米の画廊が様子見ならば、それだけを集めて希望の時期に小さなフェアを開いてもいいだろう。
 第2回は2007年春の予定だそうだ。あと1年半で今回の成功が、どのように繋がっていくのか注目される。
写真提供:アートフェア東京事務局




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