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アンテスとカチーナ人形 ― 現代ドイツの巨匠とホピ族の精霊たち



ホピと文明の野蛮

文●石橋宗明 
(ISHIBASHI Muneharu)画商 (投稿

2004年10月30日― 12月12日
伊丹市立美術館
兵庫県伊丹市宮ノ前2−5−20
072−772−7447


この展覧会は以下に於いても開催されます。
2005年4月 9日― 5月22日 岩手県立美術館
2005年5月28日― 7月3日  いわき市立美術館
2005年7月 9日― 8月28日神奈川県立近代美術館 葉山
 

 
ホルスト・アンテス《タブレッタと羽根のある肖像》
1976−81年 43×100cmアクリル、カンヴァス 栃木県立美術館蔵
(c)Horst Antes
 ●1)

 ホピ族は北米インディアンの中でも、最も古い歴史を持つ人々である。Hopiとは平和を意味する語で、その名の通り、他の部族や国に対して、彼らの方から戦いを仕掛けたことは1度もない。自然界(宇宙的秩序)との調和を重んじ、共存共栄の努力を重ねてきたのだった。にもかかわらず、争いと無縁ではいられなかった。イスパニアの軍隊とキリスト教宣教団による迫害、イギリス系清教徒のインディアン絶滅計画、ナバホ・インディアンの執拗な侵略、そして近代に至っては、合衆国政府の暴圧的なインディアン・コミュニティ解体政策により、ホピ族は同族同士ででも反目し合わねばならなくなってしまっている。

 創造主の教えに従い、平和と調和を尊ぶ彼らであったが、余りの屈辱に耐えかねて、武器を手に立ち上がることもあった。例えば、イスパニアによる迫害に業を煮やしたインディアン諸部族が、一斉蜂起した時(1680年のプエブロの乱)がそうだった。あるいは、ホピの村にナバホ族が侵入し、収穫物の略奪行為を繰り返した挙句に、殺人を犯した時、ホピはナバホ族を追い出すため凄惨な戦いを闘わねばならなかった。いずれも、ホピの実行部隊の圧倒的勝利に終わっている。しかし彼らは、自衛と生存の為とはいえ、大勢の敵を殺さなくてはならなくなってしまったことを、とても悲しんだ。そこで、軍事に走るのではなく、ナバホやヨーロッパ人との再度の闘いを避けるべく、メサと呼ばれる台地へと生活の場を移していったのである。

 ホピの人々は、来訪者には食物を分け与え、相手の動静によっては土地をも譲り、共存共栄を申し出る。しかし、そんな彼らとは正反対の破壊的な人々の襲来が後を絶たなかったのは、もしかすると、人間の理性では捉えきれない、何らかの働き掛けでもあったのではないかと、そんな風にも考えてみたくなる。精神的に高度な段階にあるホピの人々と、無慈悲で強欲、横暴な人々との対比が鮮やかに指し示されることから、まるで何者かが私たち野蛮人に対して、精神的な進化への道を見出すよう、繰り返し諭そうとしているかのようだ。ホピは、幼年期に留まる私たちに遣わされた、教師のような役回りを担わされているのだろうか。ならば、20世紀も後半を過ぎて、文明側のホピ族に対する評価が変化し始めたのは、長いカリキュラムの成果が、ようやく現れてきたといったところだろうか。現代文明に住まう私たちは、ホピを未開人としてではなく、奥の深い豊かな精神文化に生きる人々として認識するようになってきた。むしろ、羨望の的にさえなって久しいのである。ホピの預言(助言)に耳を傾けたくなるのは、私たちの現代文明が、すっかり行き詰まってしまっているからである。自然と共に生きる意味を知り、生命力と愛の力を取り戻すには、どうすればよいのか? 強欲なナルシストたちの演出する戦争ゲームを止めさせるには、人間的な経済の仕組みを実現させてゆくには、私たちがどう変わればよいのか? 領土を主張し合い、言い争うといった次元から抜け出せずにいるのは、なぜなのか? 破壊的なテクノロジーを駆逐し、生命に仕える良性のテクノロジーに取って代わらせるには、何が不足しているのか?

●2)
ホルスト・アンテス《カップル》
1961−63年 120×150cm
テンペラ、油彩、ラミ織 
シュプレンゲル美術館蔵
(c)Horst Antes

 ホピ族には、代々の語り部たちによって、数千年に渡り口伝され続けている神話的な預言がある。その預言は、現実に成就することでその意味が解される場合が多いと言われている。「灰のひょうたん」もその1つである。灰のひょうたんは凄まじい破壊力を持ち、大地は焦土と化し、川は煮え立ち、長い間生命は育たなくなる。そして人々は、治療を施すことのできない奇病に見舞われる、と伝えられてきた。1945年8月、広島と長崎に原子爆弾が投下され、しかもそれらの材料となったウランがインディアン居留地から採掘されたものだと知ったホピ族の指導者たちは、預言として伝えられている警告を、世界中の人々にも明らかにすべき時が来たことを認めた。聖なる土地で起きた事や、世界の出来事は、預言に解釈を与え、その意味を理解する上での手掛かりとなる。そして新たな展開となった、居留地と核兵器という恐ろしい連関は、否定的な内容の預言が現実化する可能性が強まっていることを教えていた。文明が破壊性を帯びたまま、方向転換を遂げられずにいるのなら、数千年前に告げられた預言が成就してしまうというのである。預言によれば、世界はやがて邪悪に支配され、第3次世界大戦に突入し、テクノロジーを駆使した殺戮兵器が使用される。多くの死傷者が出るのは勿論のこと、自然との調和を失った現代文明は、とうとう潰えてしまうという。しかし、これは決定された未来ではない。憎しみ、権力と富への欲望を捨て、美と愛を尊び、自然との調和を目指した生き方を選ぶのであれば、回避できるのである。

 預言に示された、海辺に立つ雲母の館を、ニューヨークの国連本部のことと見たホピ族は、国連総会において演説の機会を求めた。1948年に1度目の要請を行ったが、国連は受け付けなかった。2度目は1973年で、これも拒否。1976年、ようやくホピ族の通訳兼代理人が国連総会で演説を行うことができた。4度目の働き掛けもあったらしいが、満足な成果は得られなかったという。多くの人が耳を傾けたのだろうが、それは民俗学的な関心の枠内に留めるべきものであり、預言を基にした警告を根拠に、反戦や和平交渉に取り掛かるというのも説得力に欠けそうだ、といった評価が大半だったのではないか。しかし、ホピが訴える調和のある生き方という助言は、その後のエコロジストやニューエイジ、平和運動等と合流し、影響を与えていったのではないかと思う。そして藝術の分野でもそうであったと、私は考えておきたい。少なくとも私は、ホルスト・アンテスという作家を知ることができた。

 
《ターワカチーナ(太陽のカチーナ)》
H:45.5cm 
20世紀中頃ホピ族制作:
彫刻師 ジミー・ケワンウィテワ
ホルスト・アンテス財団蔵
Horst Antes Study Foundation Photo:
Ilona Ripke

 ●3)
 
ホルスト・アンテスは、「頭足人」と呼ばれるモアイ像を思わせる形象を描くことで知られるドイツの現代作家である。民俗学的な調査と研究を自ら行うアンテスは、北米の先住民居留地にも訪れている。そしてこの頃から、ホピ族のカチーナ人形を体系的に収集し始めたという。カチーナ(Kachina)とは精霊のことだが、人形は精霊の姿そのものを模したものではない。それは厳粛な儀式が行われる期間、精霊が憑依する肉体を提供する、仮面を被った男たちの姿なのである。人形は柔らかな木の根を彫った小さなもので、実際の衣装や色彩が正確に施されている。これらの作品は、ホピ族の子供たちに、教育用に手渡されるのである。
カチーナは、ホピの人々を守護すべくサンフランシスコ嶺峰からやって来るとされている。自然の恵みをもたらし、人々の生存と繁栄を助ける。実際にカチーナが存在するのか否かを云々するつもりはない。それは理性で計り知る事の出来る対象ではないから、疑ってみても何の意味もないし、まずそれは傲慢な態度である。敬虔なホピの人々はそれを信じている、それだけで十分である。それでも、カチーナを生命力の擬人化と考えてみるなら、頭でっかちの理解の範疇に、いたずらに煩雑化することもなく、引っ張り込むことができるだろう。生命力はトウモロコシ畑や嶺峰のみならず、すべての風物、宇宙空間をも満たしている。東洋では気と呼ぶものかもしれない。それは宇宙的な調和をかもし出している。人間もその調和の中にあって生きることが可能である。利己的な態度を戒め、争いを回避する努力をする一方で、内面の美的拡張を試みる。そうするなら、自然界や宇宙との調和を深め、生命力の充溢を実感することができるだろう。こうした洞察や智慧は、自らの内面から汲み上げることのできるものだが、カチーナはそれらをもたらす使者として擬人化されているのではないか。
アンテスの絵画を眺めていると、自然や宇宙との調和を尊ぶホピ族の生き方に習おうとする、作者の姿勢が窺える。例えば、1980年制作のアクリル画《ホピの年/The Year of the Hopi》、同じタイトルの7枚組リトグラフ(81年制作)等にそれを見ることができる。図式的な表現がされているが、私はホピの文化に詳しくはないので、安易に立ち入った解読は避け、ここでは手掛かりだけを記しておくことにする。
儀式を執り行う地下聖堂(キバと呼ばれる)を思わせる部屋に、ホピ族に由来する幾つかのイメージが描かれている。精霊を思わせる人物が、宇宙的な調和とか生命の循環を意味すると思われるリングを手にしており、蛇族の署名に似た形態の蛇が床を這い、その口からは助言を表す放出物が描かれている(先住民の遺跡に遺された極彩色の壁画に、こうした描画が見られる)。放出物は、空を飛ぶワシの嘴からも流れ出ている。ホピの神話には、彼らの祈りを創造主である太陽に伝えることができるという、巨鳥のワシが登場する。このことからホピの人々は、ワシの羽を使って創造主に祈り話し掛ける。そして創造主は人々に対して、自然との調和を重んじるよう求める。そうすれば、この惑星の秩序は保たれるのである。人々が利己的な生き方に走り、自然環境を破壊し、平和への努力を蔑ろにして戦争や紛争に明け暮れるのなら、人間は調和の取れた宇宙的秩序から次第に分離してしまい、やがては手の付けられない混乱に陥ってしまう。
  《クワカチーナ(鷲のカチーナ)》
H:28cm
20世紀中頃ホピ族制作:彫刻師 ジミー・ケワンウィテワ
ホルスト・アンテス財団蔵
Horst Antes Study Foundation Photo:
Ilona Ripke
  ●4)
 ホピの代理人が、国連総会での演説に漕ぎ着けることができたその翌年、覇権主義を改め、和平交渉への道を模索しようと試みるジミー・カーターがアメリカ合衆国大統領に就任する。ケネディ暗殺後、鬱々とした不安な時代が続いていただけに、ジーンズ姿の進歩的な大統領の登場は人々に希望を抱かせた。だが、数々の和平交渉が進捗を見せる一方で、ソ連軍のアフガニスタン侵攻や、テヘラン(イラン)アメリカ大使館人質占拠事件といった危機が新たに引き起こされた。タカ派に追い立てられるかのように、疲れ果てたカーターがホワイトハウスを去るその前後の時期、アンテスは先の《ホピの年/The Year of the Hopi》を制作している。破壊と混沌への道から引き返させたい、宇宙的秩序と調和した生命力溢れる生き方を目指したいという願いを、私はその一連の絵画から読み取るのである。しかしその後、世界は相変わらず破壊の勢力が優勢だ。1987年、アンテスはこれまでの明るい作風とは異質な、墓石のような絵画《ナバホの家》シリーズを手掛け始める。私が見ることのできた2001年制作の絵画に至るまで、彼は黒い絵画を描き続けている。面白い作品なのだが、それらを並べた展示室に足を踏み入れた時、私はめんくらい、戸惑った。アンテスは厭世的になってしまったのだろうか、と思ったのである。それとも、相次いでお父さんとお母さんが亡くなったので、追悼の気持ちを表現している内に、それが新たな作風の端緒となって今日へと続いているのだろうか。本当のところは分らないのだか、出来るなら今再び、ホピという生き方を題材に、あの生き生きとした絵画を描いて欲しいものだと思う。ホピの年は、これから巡って来るのである。

■ ホルスト・アンテス (Horst Antes)/略歴

1936年 ベルクシュトラーセ沿いのへッペンハイムに生れる。
1959−60 カタログ『テレム族とドゴン族の彫刻』(ミッシェル・レリス、ジャック・ダマス共著)に影響を受け、民俗学に興味を持ち始める。
1961年 第2回パリ青年ビエンナーレで、文化相のアンドレ・マルローより美術家賞を受ける。パリのデュぺリエ画廊で初めてカチーナ人形に出会い、購入。
1966年 第33回ヴェネツィア・ビエンナーレでユネスコ絵画賞を受ける。
1972年以降 アメリカ南西部の先住民居留地を初めて訪れる。ホピ、ズニ、ナバホの文化についての調査・研究を深める。
1980−82年 カールスルーエのバーデン州立博物館で「ホルスト・アンテスのコレクションによる北米プエブロ・インディアンのカチーナ人形」展が開催され、その後、チューリヒ、ハンブルグ、ミュンヘンの博物館を巡回する。
1981年 ニューヨークのアメリカ国立歴史博物館で開催された「ホピ・カチーナ ― スピリット オブ ライフ」展にホピ族以外の唯一の作家として出品。
1990年 大学の生徒たちと共に、オーストラリア大陸中央部の先住民居留地に住むアボリジニの学術調査旅行に出掛ける。
1991年 第21回サンパウロ・ビエンナーレで大賞を受賞。
1994年 ケルン、ラウテンシュトラウフ=ヨースト民族博物館で「ホルスト・アンテスのコレクションによる《南米インディオの羽細工》」展が開催される。
1996年 ホルスト・アンテス奨学金を設立。
2000−01年 リューべック民族博物館で「カチーナ:ホルスト・アンテスのコレクションによる北米プエブロ・インディアンの人形たち」展が開催される。

 ○ 日本国内での主な個展と制作

西村画廊(1977、79、81、84、90、95、2004年/東京) 
名古屋の白川公園に《名古屋のための5つの人体》を制作(1996−97年)


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