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〈HANGA 東西交流の波〉〈小林敬生〉展他、“版画04‐05”に関連した展覧会を巡って
 

                           
――“版”にとらわれず、“版”を駆使する
文●藤田一人   (美術ジャーナリスト)






●版画年とは?

 2004年から2005年にかけては、“版画年”ということ。大学版画学会が提唱したというこの記念年に合わせて、様々な展覧会、シンポジウムなどが展開されている。とはいっても、版画の展覧会は、美術館、画廊でひっきりなしに開催されてきたし、“版”に関する議論や問題提起も様々な形で展開されてきた。そんななかで、今更“版画年”と銘打って何を問おうというのか。それがもう一つピンとこない。とにかく大学版画学会が提唱し、展開しているというから、昨今の版画教育と国際交流の中心となっている芸術・美術大学の版画専攻科の教員を軸にした活動と存在感のアピールということが、第一義としてあるのだろう、という印象が強い。

 勿論、それを否定的に考えているわけではない。長年、大学の教育課程では、油画科の一講座でしかなかった“版画”なる分野が、一専攻さらに一学科として独立し始めたのは、ここ20年程のこと。そして、今日、美術の領域が拡大し、少子化に向かって生き残りをかける芸術・美術大学が新分野に活路を見出そうとするなかで、学科としての歴史的は浅く、かといって先端を行くわけでもない“版画”という分野の存在感をいかにアピールするかは、言わば版画科教員にとっての生命線であり、また、学生にとっても、将来への一つの指標とも成り得る。そう言う意味では、現在、芸術・美術大学で“版画”を専攻している学生達が、版画というものと如何に向き合い、表現活動を展開していこうとしているのか、という問題が何より考えられて然るべきなのかもしれない。特に12月に入って、 “版画年04‐05”のロゴの入った展覧会のポスターや案内状を結構見かけるようになり、そのいくつかに足を運ぶにつけ、そんなことをよく考えたものだ。

●過去・現在・未来を結ぶ歴史観

 まずは、同版画年のメイン企画展のひとつである〈HANGA 東西交流の波〉。同展は、2004年9月に山口県萩美術館・浦上記念館で立ち上がり、11月13日から2005年1月16日まで東京芸術大学大学美術館に巡回(その後、2月11日〜3月27日三重県立美術館でも)。それに合わせて「版画・検証から再構築へ」と題し、日本はもとよりアメリカ、ヨーロッパそしてアジアの版画に関する作家、大学教官、評論家、美術館学芸員らによる国際シンポジウムも開催された。展覧会の内容は、18世紀から現代に至る、版画を通した東洋と西洋の文化交流とその芸術的展開を顧みる。

 展覧会は2部構成。第1部は、江戸から昭和の戦前にいたる日本版画史を軸に、東西美術相互の影響関係を示す。清朝・中国の民衆版画である蘇州版画、そして西洋の版本から異文化を貪欲に吸収し、世界的にも類を見ない豊かなビジュアル的発展を遂げた日本の庶民版画・浮世絵。それが幕末から明治初めにヨーロッパに渡り、ジャポニスムなるブームを巻き起こし、印象派をはじめとする画家たちに大きな影響を与えた。さらに、その西洋近代絵画が近代化、西洋化にひた走る日本に輸入され、日本の近代美術をリードすることになる。それは、単なる技法、様式にとどまらず、例えば“自己表現”“オリジナリティ”といった近代的芸術観の獲得でもあった。版画において、それを象徴するのが、“自画・自刻・自摺”を主とする創作版画運動。そうして、日本の版画は欧米にも増して、個の芸術表現として進展したといっていい。ただ、ここでは、あくまで“版画”というものを一つのメディアとして注目し。印刷媒体の軽量かつ複数性という機能が、“芸術”なる一種の文化的精神の東西交流を盛んにした、という展開になっている。そんななかで、一台の木製銅版画プレス機が展示された。かつてゴッホが使用したという彼の主治医・ガッシェ旧蔵のプレス機で、その後、長谷川潔の下を経て、現在、東京東京芸術大学大学美術館が所蔵する。浮世絵に刺激されたゴッホから、西洋の古典的版画技法、マニエール・ノワールを復興した日本人・長谷川潔、さらには現在活躍する東京芸術大学で学んだ版画家を結ぶ線を、一台のプレス機によってシンボリックに演出しようというわけだ。今日の日本の版画は、東西の美術史を背負っているのだ、と。


 それに対して第2部では、何かを伝えるメディアとしての機能面は影を潜め、現代美術としての一方法論としての展開と、“版画”という概念の拡大が強調される。特に、1970年代以降の流れは、一表現方法としてではなく、イメージが複数化され拡大していくという現象そのもの。また、それに関る作家の行為そのものをテーマとするようにもなってくる。そこには当然、写真やゼロックス・コピー、さらにCGなども範疇に入ってくる。そのなかで、戦後日本の版画は、他の芸術分野に先駆けて、国際的に高い評価を得てきた。戦後日本の多様な版画の展開と欧米の版画による現代美術作品の並列からは、戦後の日本がそうであったように、欧米の最新の芸術思潮を、日本的なセンスと最新の技術によってアレンジし、欧米に送り返すという展開が見てとれる。それが、かつてのエキゾチズムを逃れた、現代日本版画による“東西交流の波”と言うのだろう。

 そんな同展は、約300年に及ぶ東洋と西洋の版画交流史を見せるには、全体的に規模が小さく、上澄みを掬ったような印象はいなめない。ただ、それ以上に物足りなく感じたのは、1部と2部を繋ぐ一貫した歴史観というものが浮かび上がってはこず、単に二つの企画が並立しているとしか見えなかったことだ。本来なら担当者の間で、版画のあり方に対して、過去と現在を繋ぎ、さらに未来への展望へと導くものは何かということが、もっともっと討議され、詰められるべきだったろう。

 ただ、それは何も同展に限ったことではない。今日日本で繰り広げられている様々な美術展には、過去の歴史と現在との価値判断のギャップが多分に垣間見られる。つまり、歴史観というものを問うという姿勢に乏しい。歴史的考察とは、単に過去を問題とするものでない。むしろ、切実なる現状把握への意識であり、理想的な未来への展望の追求に他ならない。そういう意味では、〈HANGA 東西交流の波〉を見る限り、今日の版画家や研究者、批評家達が、多様な日本版画の展開に対して、しっかりとした方向性を見出せいてないという現状が何よりも強く浮かび上がってくる。

 
 ●絵画と対抗する版画
 

ただ、現在の日本の版画界をリードしている世代、現職の大学教授世代には、“版画”と言うものに対する独特の強い意識があることは間違いない。それを強く感じさせたのが、今年に入って滋賀県立美術館で開催された〈小林敬生 木口木版画‐1977〜2004‐〉(1月5日〜2月13日)と東京芸術大学大学美術館・陳列館の〈中林忠良‐腐蝕へのまなざしへ‐〉展(1月27日〜2月13日)だ。

 前者は、現在多摩美術大学教授で木口木版を専門にする作家の回顧展。小林は、1970年代半ばにそれまでの板目木版から木口木版に転向。以降、硬質で繊細な木口木版の世界に新たな地平を切り開いてきた。そこで最も注目すべきは、もともとは新聞や書籍の挿絵のために用いられていた版画技法であった木口木版(木の幹を水平に切った面を版木に用いる版画)による克明な線刻を駆使した小画面を繋ぎ合わせて、大画面に展開したことだ。表現密度の高い木口木版の小宇宙が、だんだんと増殖して拡大していくダイナミズム。それは、従来の版画の掌中世界や詩的または私的物語といったイメージを脱して、現代美術で盛んに言われるところの、造形性や空間性なるものの追求だと言える。また、そうすることによって、油絵などのタブローと対等に絵画として自立するのだという、“版画家”なるものの強い意志と意欲の表れでもある。ある意味、小林敬生の模索とは、それまでの“絵画の中の版画”ではなく“絵画に対抗しうる版画”と言えるのかもしれない。

 今回、初期の板目木版による、版画本『日本之社会運動・明治』(1967年)や『日本人 我らが世代』(1968年)の七枚組みの大作を見ることで、彼は元々時代に対するテーマ性とそのストレートな表現意欲から出発したことが印象付けられる。そこには、こまかい版画の技法や版表現といったものへの拘りは、全くと言っていいほど感じられない。それ以前の、“いま”に生きる者として“一体何を表現すべきなのか”という表現の初発性が溌剌と漲っている。そこにおいては、“絵画”も“版画”もない。ただ、画家として版画を利用しているだけなのだ。それは絵画表現として、実に自然に感じられる。

 それが木口木版と出合うことで、彼は“版画家”になっていったような気がする。かつて現代的な問題意識から発せられ、展開した表現が、“版画”という世界観から自身の“いま”を模索し、表現するようになった。そこで前面に押し出されるのが、木口の版木特有の卵型と、そこに蠢くような小さき命のドラマ。それが小さなビュランで一つ一つ刻む手応えによってしっかりと息づく。そんな版画特有の世界観を拡大していくことで、現代絵画としてのアピール度を増す。さらに、小林が繰り返し展開する、草木鳥獣虫魚が廃墟やその予備軍とも言うべき現代の高層建築群を背景に蠢く情景を、「現代文明の危機感」とか「自然破壊への警告」という論評が多々あるようだが、私は作家自身が、そういった問題意識から作品を作り始めているとは思えない。そのイメージは作家にとって、木口と対峙するなかで浮かび上がり、膨らましてきた世界のように見える。まさに、木口木版というものが小林敬生の世界を規定し、木口木版の枠組みを押し広げていくことで、独自の版画世界を切り開き、高い評価を得てきた。
 
 
 彼が切り開いた新たな木口木版の世界とは、一つが先に挙げた大画面化であり、もう一つが硬質な線刻の表現に柔らかい情緒性を加えることだろう。それが最近、小林が取り組んでいる、一度彫った画面にさらにビュランを入れて図像を消して、淡く白い世界の表現。それは、作家なりに木口木版をより等身大の日本人感覚に近づけようとする意欲でもあるのだろう。そんな小林敬生の仕事の展開は、近年盛んに言われ続けてきた“版表現”なる模索の一端を示す。

 一方、後者は長年東京芸術大学で銅版画を指導してきた教授、中林忠良の退任記念展。中林こそ、まさに “版画年04‐05”の提唱者であり、先に取り上げた〈HANGA 東西交流の波〉をリードしたという。同展は、本格的な回顧展とまではいかないが、彼の初期から現在までの軌跡がコンパクトに纏められている。それを観ると、彼も小林同様、“版”というものを強く意識し、そこから自身の世界観を切り開き、作品として展開してきたという姿勢が明確に示されている。小林が木口という天然素材からの発見とその制約からの解放を求めたのに対し、中林は、エッチング、アクアチントの腐蝕による版という物質の変質とその時間に寄り添うことで、自身にとってのささやかな、しかし確かな、現在進行形の“いま”を留め、作品化してきたと言える。ある意味、受身とも言えるが、銅版というものが、彼にとっては現実の受け皿で、それによって積極的に“いま”を吸収し、表現してきたのだ。
 それを象徴するのが、『Transposition‐転位-V 腐蝕過程T』(1983年)。花束をモティーフにした作品の廃版を利用し、段階的に長時間に渡って腐蝕を続けて、その画面の変貌を記録的に留めるという試み。版に刻み込まれた花束の図像が変貌していく展開は、単なる実験的記録ではなく、この世のものは総てこうやって朽ちていくのだというクールな叙事詩でもある。

 1970年代前半までの非常に物語的で現代的イメージの展開としての表現に対して、70年代後半からの一見何でもない枯れ枝や庭の芝生を凝視する『Position』『転位』と題されたシリーズは、絵画としての表現ではなく、銅版によって掬い取られた現状の提示というわけだろう。そのためか、意味ありげなモティーフが敢えて避けられる。言うまでもなく、そこにも、“絵画の中の版画”ではなく“絵画に対抗しうる版画”という意志と意識が、強く感じられるのだ。

 ある意味、 “版画年”とは、小林や中林が追求してきた“絵画に対抗しうる版画”なるものの再確認であり、さらに新たな展望を切り開こうとするアピールなのかもしれない。
  

  ● 若い世代の認識と展望
 では、そういった現在の大学教授世代の版画に対する強い意志や意識を、いまどきの若い学生や作家たちはどう感じ、考えているのだろうか。

 “版画年04‐05”のロゴを冠した、幾多の若い版画家の展覧会を巡ると、確かに、多彩版画の技法を駆使し、多彩な表現に溢れている。ただ、それらのほとんどか、どれほどの必然性を持っているのかどうか、もう一つ理解出来ない。さらに言えば、版画を通して、一体“いま”“何を”表現したいのかという、基本的な意志が見えてこないのだ。そのわりには、“版独特の感覚”や“版のプロセスの充足感”といった言葉が盛んに飛び交う。そこに、表現内容と表現方法の分離があるように思えてならない。そしてそれは、各々の生き方と制作との分離でもある。

 そんななかで、昨年末、毎日新聞の美術記者・石川健次が銀座のギャラリーなつかを舞台に企画した〈版に出逢う〜新鋭3人の試み〉(12月6日〜18日)は、様々な意味で版画を学ぶ美大生の等身大の姿を垣間見せるものだった。同展は、東京芸術大学大学院の塩川彩生、京都市立芸術大学の田中良平、武蔵野美術大学大学院の豊泉綾乃の三人展。ともに、現役の大学、大学院生として、将来を期待されている若者で、それまで学外の展覧会で作品を発表したことはなく、同展が所謂美術界デビューとなった。

 企画者は、“描き、彫り、摺る”という版画をプロセスと真摯に向き合い、それを活かしている作家を選んだという。そういう意味では、“絵画に対抗しうる版画”を目指して、版の特殊性を主張してきた前世代の意識を反映し、継承と発展を見ようとしているともいえる。

 そんななかで、各々の作品を観ていくと。まず、塩川彩生の真横からストレートに迫った大首は、昨今の若い女性らしい少々捉えどころのない朗らかな感性と木版の素朴な肌合いがマッチして、独特の茫洋としたユーモアを醸し出す。ただ、そこには単なる感覚的な素朴さだけではない、よく考えられた表現方法の計算と技巧が垣間見られる。それが、非常にストレートでありながらスマートな表現になっている。

 それに比べて、田中良平の木版は、折り紙に折った状態で摺り、それを広げてみせるといった工夫はあっても、技巧というものとは遠い朴訥とした皮膚感覚に溢れている。その分、木版の初歩的な単純さや偶然性が、観る者に和やかなイメージを広げる。が、その印象は優しいが、どことなくひ弱な感は拭い去れない。

 木版の二人に対して、銅版による豊泉綾乃の大海または大気を感じさせる画面は、“版表現”という意味では、最も執着が強く、かつ洗練されているものだろう。“いま”という時代に生きる、混沌と捉えどころのない日常的心理を“水面”や“空”“雲”などに投影させる表現は、昨今の絵画や写真などにも幾多見られる。そんななかで、彼女の画面に漂う空気の静けさは実に自然で、銅版特有の抵抗感をほとんど感じさせない。

 そのような三人の作品を通観すると、“版画のプロセス”への拘りは確かにあるのだろう。が、特にそこに大きな意味、強い意識や意志があるとも思えない。少なくとも、彼らが師事する大学教授世代の“絵画に対抗すべき版画”というような指向はないだろう。では、何故そんな彼らが、“版”や“版のプロセス”といったことに拘りを持つのか。それは、何かを表現したいという思いの一方で“いま何を描くのか”という問題意識から絵を描くことが出来ないからかもしれない。若い三人の作品を観ていても、彼らが“いま”どういう現実と対峙し、何を表現したいのかという切実なアピールは乏しい。そういった現実生活のリアリティから表現が発しているというよりも、とりあえずは、何がしかの表現方法をとおして、自身のリアリティを探し求めようとしているように見える。そこで、重要な手掛かりとなってくるのが、“版”や“紙”といった“もの”の抵抗感であり、それを確認するためのプロセスということになるのかもしれない。普通、私達は日常生活において、なかなか自分自身と向き合うこともなければ、他から問われることも少ない。そんななかで、自身が表現すべきものを見つけ出すということは、最も難しい問題でもある。そこで、ある方法とそのプロセスを通し、段階を踏んで自分自身を見つめ、問題意識を喚起する試み。それが、“版”や“版性”といった言葉に置き換えられていると言える。

  ●“版”が問題ではない

 つまりは、とりわけ“版”というものが問題ではないのだ。何がしかの表現行為において、素材や技術そしてプロセスの重要性というのは自明の理。それは版画に限らず造形芸術なるものの専売特許ではない。ここ20年余、「“版”が、“版”が…… 」と版画家達とその周辺で盛んに論じられてきた議論は、当初は“版画”なる分野と“版画家”の自立という社会的アピールとして意義があったことは確かだ。しかし、時を経た昨今では、“版”というものの特殊性のようなものがことさらに主張されて、表現すべき内容というものが置き忘れられているように思えて仕方がない。

 表現というものは、何であれ送り手と受け手の共有関係によって成立する。様々なメディアやそれに伴う技法、素材というものは、表現すべき内容をより円滑に、効果的に伝える手段に過ぎない。手段は、目的のために駆使するものであって、それに囚われるべきものではない。今日の若い版画家に求められるのも、言うまでもなく、“版”を駆使して自らの表現を展開すること。そのためには、“いま”の自分がどうであり、何を求めているのかという、現状把握と自己認識が最も重要なことだろう。それが明確で切実であればあるほど、表現もリアリティを持ち、説得力を増す。そして技術も技法もより活かせる。

  “版画年”で問われるべきは、版画がどうあるかではなく、あくまで版画で何を表現するかということだ。



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