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new2005.12.29
 web展評 目次

田村正樹個展


色・素材・層が対応しながら交じり合い完結する世界


文●宮田徹也
Tetsuya Miyata 日本近代美術史


2005年8月29日〜9月3日
アートスペース羅針盤
中央区京橋3‐5‐3京栄ビル2階
電話03−3538−0160

 田村正樹の個展が、2005年8月29日より9月3日まで、東京京橋・アートスペース羅針盤で開催された。
今回の展示では、画廊の大きい部屋に100号を越える作品7点、小品を5点。そして小さい部屋に5点、計17点を展示した。内訳は新作8点、近作9点。全ての作品はこの一年以内に制作したと言うから、その思考の移り変わりがよく分かる。

 会場全体を見渡すと、白・黒・白乳もしくは肌のような色の世界が波打っている。色を「塗る」、線を「描く」といった手法とは異なっている。マチエールは、戦後美術が持ち合わせていたそれを思い起こすことができる。

 作品のタイトルは、完成年月日を表している。それを順番に追うと、形に大きな変化は、最後の一枚に訪れる以外見当たらない。色は、徐々に薄くなっていく。技法も、少しずつではあるのだが模索している様子だ。
「050720」 和紙、胡粉、アクリル絵の具等

 具体的に作品を見てみよう。『050720』(2005)は、縦181.8p、横227.3pの大作である。写真では、大きな魚が左手に向かって泳いでいるのかと見えるのだが、実物の前に立つと、まず個々の部分が目に入ってくる。それは黒・白・支持体そのものの色であったり、マチエール・支持体の層であったり、材質感の多様な触覚であったりする。次に画面から一歩引いて地と図の関係を探ると、それを発見することは不可能だということに、すぐ気がつく。素材が盛り上がっている部分が奥に見えたり、手前の印象を受ける部分は、支持体の下であったりする。つまり、色・素材・層が部分となって、それぞれに対応しつつも画面の中で複雑に交じり合い、世界観が完結しているのだ。
「050824」 和紙、胡粉、アクリル絵の具等



 その態度は小品でも変わることがない。『050824』(15.8×22.7p/2005)は、色の種類を減らしているように見えながらも、層の展開により、微妙で多様な色彩が放たれる。形に『050720』との類似を感じたとしても、支持体の交錯が異なる為、実際に見ると、そういった発想が思いつかない。乱暴に仕上げるのではなく、大作と同じ姿勢を保って丁寧に仕上げている。そして小画面の特性を生かして、和紙のマチエールを自然に見せる配慮も忘れていない。
「050814」 和紙、胡粉、アクリル絵の具等


 大作/小品に対する姿勢の変化がない様に、田村は縦横も自在に操る。縦長の『050814』(22.7×15.8p/2005)は、画面の中に緊張感がある。この作品を横に倒して見てしまった場合、そのバランスは途端に崩れてしまう。左上の黒と右上の白、そして右下に僅かに浮く素材感が、この作品を成立させているのだ。カンディンスキーの『点・線・面』ではないが、この画面に対してでしかできない配置が成されているのである。
「050826.」 和紙、胡粉、アクリル絵の具等


 この個展を行なう直前まで制作した『050826』(162.0×162.0p/2005)においては、白の空間が際立ってきている。そしてその形は、もはや「形」という枠に陥ることから解放され、簡潔でありながらも捉えどころのない「面」を形成している。この「面」の確立に成功した手立てとは、恐らく素材への探究ではないだろうか。

 田村の作品の素材の総てが和紙、胡粉、アクリル絵の具等であることにも注目したい。

 田村は、大阪芸術大学芸術学部美術科絵画コースの時に油彩画を学んだ。同大学院芸術制作研究科の際は「絵画」という専門だった為に、油彩画だけではなく、写真、日本画、版画を経験した。大学院進学以前からアクリル素材を試していて、この頃から和紙に興味を持っていた。布、麻袋、ベニヤ板等を試した後、現在の素材に落ち着いたという。油彩画では所謂具象を行なっていたが、アクリル素材を使用してから一般的に言われている抽象になり、重層的な手法で現在のテーマを描き始めた。つまり、「日本画」出身の作家ではなくとも、自然とこの「日本画」の素材にたどり着いたことになる。

 和紙は、高知県産の傘紙半紙を使用している。この和紙の色味は特に無い。制作方法は、パネルに直接アクリルを塗り、その上に胡粉によって凹凸を形成する。そこに和紙を貼っていく。その枚数は制作前に特に決めている訳ではないのだが、三枚以上貼ることはないという。貼っては着色する作業を繰り返す。時には剥がしてみたりする。これまでは和紙をカッターで切って貼っていたのが、手で千切るスタイルに変化してきたという。
この和紙を貼り付ける作業は、当然「コラージュ」ではない。シュールレアリスムにおいて「生物と事物の全的な変貌の奇跡」(メッセンス)と定義されていることから分かる様に、コラージュは突然変異・改革を目指している。田村は、部分的な異化を目指している訳ではない。総ての異化を志しているのであれば、考察を改めなければならない。

 田村の絵画のテーマは、「大きな流れ」だと言う。それは時間や存在を指し示してもいるし、それ以外の場合も在り得るだろう。素材の効果を生かすことも、このテーマに当て嵌まる。自己が総てに手を下してはいけない。作品を見る者が入り込む余地を残したいと考えている。色、材質の存在感を感じて欲しいので、色そのものが主張する強さの必要性は感じていないと言う。そこまで削ぎ落としても、「大きな流れ」は消えないだろうと語ってくれた。
 
 戦後美術は常に「新しいもの」を目標としてきた。吉原治良が「今までになかった絵をかけ」と指示していたことがこれに当たる。そういった次元の「実験」は終わりを告げているかも知れない。しかし、探究に終わりはないだろう。

 1974年奈良に生れた田村は、1996年から今日まで毎年二、三の公募展に入選、年二、三のグループ展に出品(2004年は十二回を数えている)、初個展は2002年大阪府立現代美術センターで、その後ギャラリーすずき(京都)、ギャラリーSpace Too(大阪)を経て、今回が4度目、東京では初の個展となる。
関西で活躍する田村を、東京で眼にする機会は少ない。田村は現在の手法に定着して制作を続けているが、探究の余地はある。色・形は、完成されることはないだろうという希望と、総てが未だエチュードであるという欠点が混在している。このような田村の今後の動向に、注目したい。

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