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「あるサラリーマン・コレクションの軌跡 〜戦後日本美術の場所〜」
                            
照射される美術館のあり方
文●藤田一人
Kazuhito Fujita 美術ジャーナリスト



■コレクションというロマン

 昨年から、名古屋ボストン美術館の閉館や芦屋市立美術博物館の民間委託と、それが実現しなかった場合の売却あるいは休館の方針など、日本の美術館を取り巻く状況は厳しさを増すばかりだ。
 そんななかで、元銀行員によるコレクション展が注目を集めている。
 「あるサラリーマン・コレクションの軌跡〜戦後日本美術の場所〜」と銘打たれたその展覧会は、昨年(2003年)山口県周南市の周南美術博物館で立ち上がり(7/11〜9/21)、昨年末から今年初め(12/13〜2/1)に東京・三鷹の三鷹市美術ギャラリーで開催。さらに、その後、福井県立美術館に巡回(3/5〜28)する。
 これまで二館では好評を博している。特に、マスメディアへのアピールは上々。新聞、雑誌、テレビ等でたびたび取り上げられた。その趣旨は、大体こういうものだ。
増田誠 「マルケン島の少女」 41×31.8 油彩、キャンヴァス 1970

 “美術コレクション”というととかく一部の企業か金持ち、または国公立の美術館によるものという認識が根強い。そんななかで、普通の生活を営んできた一サラリーマンが、ささやかな小遣いの範囲内でコツコツと買い集め、今や1000点を超える美術コレクションを作り上げた。それも、内容的に今日の専門家が折り紙をつける程の一級レベル。それを可能にしたのは、'70年代の絵画ブームやバブル経済期に見られたような金満主義でも、既成の大家や有名作家を追いかける権威主義でもない、平凡なサラリーマンの率直なる価値観と情熱。長年に渡り自身の足で画廊をこまめに回り、作家、画廊主らと交流するなかで、一点一点、心に響き、納得したものだけを購入するという、良心的かつ堅実なる精神と姿勢がある。そうして、コレクションした新人作家のなかから、大家や人気作家に成長するものが現れ、またその時点では評価の低かった物故作家が再評価されて美術館で回顧展が開催されるようにもなる。そうあることによって、“美術”も“美術コレクション”も、一般の私達にも決して縁遠いものではなく、むしろ身近に展開されるべきロマンなのだ。と、言うような。
  事実、そういう新聞記事などを見て、「自分自身の趣味や価値観を大切にする生き方に興味をもった」とか「自分も自分なりの美術コレクションをやってみたい」という中年サラリーマン層が、結構同展に足を運んでいるという。彼らは従来、美術館や美術展などとは、最も遠いと思われていた。そんな階層を、少しでも観客として開拓出来たということは、今日日本の美術館にとって、大きな収穫と言っていいのかもしれない。

■学芸員好みのコレクション観

 しかし、私が同展を観て思ったのは、この一サラリーマンの美術コレクション観に対して、大いなる憧れとロマンを感じ、味わっているのは、中年サラリーマンをはじめとする一般の観客というより、それを企画した公立の美術館学芸員自身ではないか、ということだ。
 それには、同展の主役である人物の、他の個性的な美術コレクターとは一味違った特殊性が挙げられる。
 ところで、今回、美術館の広報はもとより、あらゆるメディアの紹介でも、“元銀行員”などと記されるのみ、NHK教育テレビの日曜美術館では“丸山治郎”なる異名で登場したように、一度もその実名が公表されていない“あるサラリーマン・コレクター”は、今日の美術関係者の間では有名人で、同展で名前を伏せてもさほど意味がないという存在。日本の近・現代美術資料の収集・研究家として、東京は中野区の自宅に「現代美術資料センター」を開設し、その活動は新聞、雑誌でたびたび紹介されるほか、同じく新聞、雑誌に戦争画やそれにまつわる藤田嗣治についての文献資料から考察した文章を発表している。それは勿論実名で。さらに、東京・京橋のギャラリー川船で「戦後日本の画廊」と「戦争画」に関する資料展を開催し、その充実ぶりが美術研究者やジャーナリストはもとより、多くの人々の注目を集めた。と言うわけで、主要新聞の美術記者や美術雑誌の編集者は、その名前も存在も間違いなく知っている。また、同展が始まる前から、開催する美術館員以上に、当人が馴染みの画廊などを訪れた折には、必ずと言っていいほどチラシを配って宣伝していたので、美術界の多くの人々にとっては、「あの人のコレクション展だ」ということは周知のことなのだ。で、あるから、各メディアが名前を伏せるのは、さほど意味のないことだと思うのだが、そこは、報道の自由よりも、人間関係を重視する日本社会。本人が是非と望めば、「まぁ、いいか」となるのだろう。ちなみに、かく言う私も、そのサラリーマン・コレクター氏とは、何かと親しくしていただいているので、とりあえず、ここでは“S木S男氏”と書くに留めておこうと思う。
  で、そのS木氏が、他の個性派コレクターと一味違うのは、彼のもう一つの顔で、むしろこれまで知られてきた“美術資料収集・研究家”という性格から、コレクションする美術作品に対して、自身の個人的な思い入れや物語性を主張することなく、客観的な歴史性、社会性を追求する姿勢にあるのだろう。
 独自の価値観と情熱を持って、日本の近・現代美術作品を収集し、新しい美術のあり様を先取りし、また、忘れられた作家を発掘することで知られるコレクターは、S氏以外にも何人か挙げることが出来る。
 例えば、日本近代の“風俗”を軸に質量ともに幅広く、充実した絵画コレクションを持つことで知られる、“キャバレー太郎”こと福富太郎氏は、経済力の面ではS木氏とは比較にならないだろうが、コレクションに対する姿勢や情熱は、相通ずるものがある。事実、未だ美術史的に認知されているとは言えない戦争画に関して、福富氏とS木氏は、最も積極的な理解者と言って過言ではない。
 もう一人、S木氏同様サラリーマン・コレクターとして出発し、定年退職後、東京・京橋に画廊「美術研究藝林」を開設し、その後、自身のコレクションを長野県は北御牧村に寄贈、現在同コレクションを展示する北御牧村立梅野絵画館の館長を務める、梅野隆氏も挙げられる。彼の父親が旧制中学時代の親友だったという青木繁の作品収集をはじめ、菅野圭介、今西中通といった多少地味だが、個性的なコレクションには、S木氏とも相通ずるコレクターとしての誠実かつ堅実な視線と姿勢が一貫している。
 ただ、S木氏と福富、梅野両氏を比較すると、後者の二人には、自身の人生や人生観というものを、コレクションの一点一点に重ね合わせようとする傾向が強くある。勿論、それが悪いわけではない。コレクションという行為には、良かれ悪しかれ、自分自身の中での執拗な執着、思い入れが必要だ。そしてそれを自身の人生と一体化させて、自分だけの物語として構築していくことに、コレクターとしてのロマンがあるとも言える。多くの人々が求め、感動するのは、そういった人間と美術作品の出会いの物語なのだ。現に、今回の展覧会に足を運ぶ観客の中にも、サラリーマン・コレクターS木氏とそのコレクションに、そんな物語を追い求めているひとが多いのではないか。
野田哲也 「日記:1976年8月19日」 71×47 シルクスクリーン、紙 1976

 しかし、そんな個人的なロマンティシズムや物語というものは、今日の美術館学芸員にとって、出来れば敬遠したいものかもしれない。何故なら、彼らは、あくまで彼らの価値観、美術史観の下に各々の作家と作品を解釈し、一つの展覧会として構成したいからだ。そこで、コレクターの個人的感情と思い入れが強すぎると、学芸員の価値観との折り合いを付けるのが難しくなるのは、想像に難くない。
 そんななかで、S木氏というのは、今日の美術館学芸員にとって、最も価値観が共有出来るような近親観と、一種尊敬の念をもって相対することの出来るコレクターの一人であることは間違いないだろう。

■美術館苦悩の時代に学芸員が求めるもの

 というわけか、今回の展覧会を通観しても、サラリーマン・コレクターS木氏よりも、むしろ約1000点といわれるなかから130点余を選んだ、開催三美術館の学芸員の価値観や意識の方が、前面に押し出されているような気がした。
 同展は、S木氏の長い年数に渡る個人的事情や趣味の変化もあって、そのコレクションの多彩さが十分に味わえる内容にはなっている。が、そんななかでも、特にクローズアップされているのが、“もの派”以降の現代美術作品と戦争画資料としての作品群だ。前者は、S木氏の同時代の新しい美術表現への細かな目配りと積極的な評価を、後者は、戦後という時代の趨勢のなかで置き忘れられてきた歴史の再確認を、各々具体的に示すものだ。
 確かに、それはS木氏のコレクターとしての個性、特色であることは間違いない。が、それと同時に、いや、それ以上に、担当学芸員達のS木氏に対する思い入れや期待が、それに重ね合わせられて強く主張されているようだ。
そこで感じられるのは、今日日本の美術館学芸員の多くが、同時代の新しい美術表現への細かな目配りと積極的な評価、そして、時代の趨勢のなかで置き忘れられた歴史的事実の再検証ということを、自分達の重要な仕事であるという意識だ。しかし、日本の美術館と学芸員の活動状況は、そうなってはいない。さらに昨今、美術館に押し寄せる厳しい現実のなかで、理想から益々遠のいていくばかりだ。
ある意味、今回の企画には、そんな美術館学芸員、特に公立美術館学芸員の熟知たる思いを、“公共性”なる価値観に縛られることなく、自立した一個人の意志と情熱で構築された美術コレクションに託すことで、今日の美術館の苦境、苦悩とその脱却への可能性を訴えかけるような意図が感じられて仕方がない。
それを如実に示すのが、同展のカタログに掲載された、赤松祐樹(周南市美術博物館)、野田訓生(福井県立美術館)、浅倉祐一朗(三鷹市芸術文化財団)という公立もしくはそれに準ずる美術館学芸員三名の論文だ。正直なところ、三名とも文章内容が難解で、私としても、どれほどその内容をしっかり理解しているのか、自信があるとは言えないのだが、とにかく、“あるサラリーマン・コレクション”が、既成の価値観や社会的権威に寄り添う従来の美術館とそのコレクションに対するアンチ・テーゼであり、その権威や既成概念をいかに廃するかが、本来、コレクションというものを通した、美術と人々との関わり方なのだ、というのだろう。それを、最もストレートかつ明確に示そうとしていたのは、野田学芸員だ。彼は、自身の文章をこう書き始めている。
「本展『あるサラリーマン・コレクションの軌跡』は美術館活動を問い直す企画展として意識された。当初の発想は単純なものだ。日本の経済活動が行き詰まりを見せる現在、多くの私立美術館が閉鎖に追い込まれ、残された美術館もその活動経費を著しく減じ、収集の予算を失った。美術館の収集=コレクションは転換を余儀なくされている。あるいは、国立博物館・美術館の独立行政法人化とその地方への波及は、社会における美術館の位置に大きな変動を強いている。美術館は誰のものか。美術の公共性とは。こうした状況下において、個人のコレクションは大きな示唆を与えてくれるのではないか」
確かに、そのとおりだ。同展は、まさに美術館の苦境を象徴し、それを真正面から捉えた企画として、注目に値する。
しかし、私には、今日の公立美術館の学芸員達が考えなければならない根本的な問題が、もっと他にあると思う。それは、公立美術館の学芸員は、“美術”を研究・普及する専門職であるとともに、いや、それ以前に行政機構の一公務員であるという自覚でないか。
“美術館”も普通に社会的な役割を担っている。だからこそ、その公共性が問われ、他の公共的事業と比較される。そして、その社会的役割と成果をいかに高めていくかというのが、本来、公務員である学芸員の役割だろう。当然、美術と美術館運営の専門家として、“美術の公共性”や“美術館のあり様”を考え、提言していくのは重要な役割だが、決して決定者ではないのだ。強いて言えば、“美術の公共性”や“美術館のあり様”というものを、学芸員が決めていいのだというような、昨今よく指摘される役人の驕りのようなものが、無意識のうちにもどこかにあって、それが、今日の美術館の苦境を招いたという側面がなくはない。
公務員とは、あくまで権威と権力の側に立っている。ならば、公務員である公立美術館の学芸員は、今日もっと主権者に受け入れられるべき“公共的”なる美術の権威を確立するという、職務を自覚し、もっと真正面から向き合うべきではないか。そこから逃れて、公立美術館の学芸員としての真価を問うことが出来るだろうか。そういう意味では、この企画は、公立美術館学芸員の一種の現状逃避とも言えなくない。
とにかく、良くも悪くも、「あるサラーマン・コレクターの軌跡 〜戦後日本美術の場所〜」と銘打たれた展覧会は、一コレクターの存在を超えて、戦後日本の美術館のあり様を問う、奥の深い問題を秘めていることは間違いない。
■ きよはら たけひこ

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