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「田中美和 ― ’90年代の作品
                            
気と生命力、自由の精神


文●石橋宗明
ISHIBASHI Muneharu 
(画商)

2004年10月10日〜10月22日
現代中国藝術センター
大阪市北区西天満2−9−3 大治ロイヤービル1F
〒530-0047
TEL  06−6365−5554




 
Untitled 1994 F120×3 
 
 田中美和は神戸に生れ育った日本人作家である。注目され始めた80年代中頃は、ちょうどニューペインティングが持て囃されていたので、田中の作風もまたそれに触発されたものとして括られることが多かった。だが本人は、ニューペインティングの影響を意識したことはないと言い切っている。一連の絵画を特徴付ける渦の形態と色彩は、出雲大社の天井画、作者の言うところの「五色の雲」からヒントを得たものだという。しかし彼女は未だ、実物の「五色の雲」には出会っていない。20年ほど前、出雲大社を取材したNHKの番組を見ていたところ、欄間越しに覗くようにして撮った天井画の映像が流れたのである。こうした美術作品はなぜか、神官以外は見ることができないのだそうだ。

 子供の頃、生物学者でもある父親と一緒に、六甲の山道を散策していた田中は、殺伐とした都市生活を強いられる子供たちよりも遥かに、自然を洞察する機会に恵まれていた。すべての人が、生まれながらにして持っている潜在能力を維持し、培うことができたのである。それは自然界に溢れる気を感じ取る能力である。自然を洞察する者は、汎神論的な感覚に襲われる。自然界の気と、人間の気が交流し渾然となる。外であり、内側でもあることを直観するのである。田中美和は、こうしたシャーマニスティックな感覚にある内的イメージを描き出そうとしている。
Untitled 1993 F120  

 
 孟子は、徳の高さと気の充実とは密接な関係があると言っている※1。道徳的であろうと欲し、行動することは美である。美は気を拡充させ、自然界との一体感を生じさせる。田中美和の絵画の美は、そこからやって来るものだ。そして能動的な大きなうねりは、まるで気の起源を探っているかのように見える。

 孟子は性善説を主張したが、これは人間が善とは何であるかを知っているという意味である。知っているはずだが、内面世界に鈍感で利己的であり続けるのなら、やがて堕落してしまう。悲惨や残酷を見た時、あるいは聞き及んだ時に「忍びざる心」が働くのであれば、その感情を忘れずに、今度はあらゆる事柄に向けて拡充させてゆく。そうこうする内に、天の道理と通じ合う。これは超越ではなく、人間の本質を絶対的に活性化させた状態なのである。

 孟子は、道徳的なあり方は気を充実させ、やがては海のように広がり天地の間を満たすという(地上と天とは気によって分け隔てなく繋がっている、ということを感得する)。そうした感覚が得られるならその人は最早、道徳を意識する必要すらないほど、天の道理(宇宙的な摂理としてあるもの)に接近している。この様にして人間の本質を活性化させ、天の次元に近づくことこそ人間の課題だと孟子は説く。ともかくまずは、道徳的であろうと意識し、行動にも移してゆくところから始まる。私にはそれだけでも、大層な修行になりそうな気がする。
展覧会会場の様子

 アンリ・ベルクソンは、創造的エネルギーと進化の関係という、興味深い説を持ち出した哲学者であるが※2、その創造的エネルギーと、気とを関連付けて考えてみると面白い。
ベルクソンによると、創造的エネルギーつまり生命力は、まるで意志を持つかのように物質に働き掛け、様々な生き物を創造してきた。その為、地球上の動植物には共通の生命力が宿っている。だが意識の有無は、進化の過程において決定的な変化をもたらした。意識を持つ動物と、無意識の状態に留まる植物とに大きく分かれていったのである。意識を生じた系統は分化しつつ、類人猿、そして人間へと進化していった。そして私たちは、精神生活においてこの創造的な流れを受け止め、創造的な生き方や創造的な社会、文明を見出そうと壮絶な試行錯誤を重ねている。人間は今なお、進化の途上にある。

 ベルクソンは、創造的な流れを受け止めている人間について、次のように説明している。「創造的な人間は、それ自身が密度の濃い活動によって、他の人々の活動を密にし、寛大の徳のかまどに寛大に火をつけることのできる人間であります」。「かれらは進化の頂点に立っているというよりも、起源のごく近くにあって、根底から来る衝動をわたしたちの目に感じさせます」。創造的な人間とは、良く生きようと欲することから、高い道徳性を帯び、他者にも良い影響を与える者のことを言う。その人は生命力の本質を体現し得る。つまりその本質に近づけば近づくほど、より創造的になり得る、とベルクソンは言っているのである。

 気についての孟子の話に、ベルクソンのダイナミズムを重ね合わせると、気の輪郭が更に浮かび上がってくる。@気は生命力であり、創造的なエネルギーである。A古代からの創造的エネルギーと、宇宙的摂理である天とは、同じ源流のことである。Bそれは地球上に生命体を誕生させ、進化を司り、人間に対して精神的な進化を要請している。C精神的進化の端緒となるのは、1つには「忍びざる心」の拡充である。

 「忍びざる心」とは自由の精神だ。例えば、イラクの子供たちを現地に入って支援していた日本人女性が正にそうだ。彼女は予てから、劣悪な生活環境に放置された子供たちの現状を目の当たりにしていた。混沌の度を増すイラクだったが、それでも子供たちのことが気掛かりで現地に戻ったのは、見るに忍びなかったからである。この利他的な行為は、自律した精神の成せる業であって、反生命としての政府や経済界の思惑、宗教教義などには左右されない。

 太古からのエネルギーは、地球上で殺戮が幾度繰り返されようとも、黙々と計画を推し進めている。それはいつ終わるとも知れない壮大な計画なのだろう。しかし、さしあたって人間は、幼年期を抜け出す努力をしなくてはならない。創造的エネルギーの本質からして、その日は必ずやってくる。自由の精神が地上を治める日が、その日である。つまり、人間の叡智の発動と、愛の興隆に任されているのである。

詳しくは文献を参照してください。
※1フランソワ・ジュリアン著『道徳を基礎づける 孟子VS.カント、ルソー、ニーチェ』
中島隆博+志野好伸訳、講談社現代新書、2002
※2アンリ・ベルグソン著『ベルグソン全集5 精神のエネルギー』渡辺秀訳、白水社、1965


■たなか みわ

略歴
1960 神戸に生れる
1984 京都市立芸術大学美術学部油絵科卒業
主な個展とグループ展 
シティギャラリー(85・86・89/神戸)
ギャラリー白(85〜04/大阪)
天野画廊(85〜88/大阪)
アートナウ ’87(兵庫県立近代美術館)
石屋町ギャラリー(89/京都)
ウイメンズ’93(近鉄アート館/大阪)
画廊の視点(94/大阪府立現代美術センター)
ギャラリー ラ・フェニーチェ(98/大阪)
VOCA展2000(上野森美術館/東京)
ギャラリー島田(03/神戸)
イデア ― 現代のロマン派絵画(T)/サンパルギャラリードゥ(04・神戸)



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