web展評
 web展評 目次

(緊急追記! 展評番外編)


VOCA展2003シンポジウム
「絵画、写真、映像? 現代美術の行方」を聞いて


文●松浦良介
Ryosuke Matsuura 「てんぴょう」編集長
■VOCA展2003
現代美術の展望ー新しい平面の作家たち
3月14日〜30日
上野の森美術館
台東区上野公園1-2
03-3833-41914
 展覧会そのものについては、先日の展評でふれたが、今回は選考・実行委員及びゲスト選考委員がパネリストとなった開催されたシンポジウム「絵画、写真、映像? 現代美術の行方」を、絵画・写真・映像の境界についての発言を中心にレポート。

 パネリストは、司会役に高階秀爾(大原美術館館長・東京大学名誉教授)、パネラーとして、酒井忠康(神奈川県立近代美術館館長)、本江邦夫(多摩美術大学教授・府中市美術館館長)、笠原美智子(東京都現代美術館学芸員)、宮崎克己(ブリジストン美術館学芸課長)、釼持邦弘(上野の森美術館事務局次長)の各氏。

 開始時間で150名の席はほぼ満席状態。討議に入る前に、今回が10回展ということもあり、今までの受賞作品をスライドで振り返った。そして、各パネラーがそれを見ての感想を述べることで、シンポジウムは始まった。
 しかし最初の発言者の宮崎氏がすぐに映像作品の出品についてふれ、さらに絵画、写真、映像の区切りについて独自の見解を示したことで、すぐに本題へシンポジウムは移っていった。
津上みゆき 「View,Sep-Nov,02」
 VOCA賞受賞

 宮崎氏の見解は4つ。簡単にまとめると1つ目は、映像は動くのに対して写真・絵画は静止。2つ目は絵画は描くという身体的な動作で作品が制作され、映像・写真は工学的装置でつくられる。3つ目は、絵画は一点ものだが、写真・映像はオリジナルが無意味になるほどの複製が可能。最後に4つ目は、“芸術”というものとの関係性。絵画は密着しているが、映像・写真はそれが希薄。

 そして本江氏は、簡潔に「絵画とは、何らかの支持体の上に乗っている何らかの顔料のこと」と述べ、「故に、写真も絵画だ」と続けた。さらに、「写真のコンクールに絵画はまず出品されないが、平面であれば写真は出品されてくる。また映像も、どこかで絵画を意識して表現をしている。絵画は不易流行の不易なのだ」と、絵画がどの表現の根本になっていると主張。

 これらの発言に、東京都写真美術館の学芸員でもあった笠原氏が反論。その論旨は、写真と絵画では、それぞれの歴史と評価も違うので一緒にはできない、一点ものの写真も多い、写真を専門にしてきた立場から見れば写真はもちろんそうだが、イラストもデザインも芸術だ、ということ。そして「メディアによって現代美術に仕切りを設けることはできない。メディアごとの歴史性を鑑みることも不可能でもある。ならば、VOCAのアイデンティティを鮮明にすることだ」と、何かしらの態度の表明を訴えた。事務方でもある剱持氏は、実際この問題は、今回に始まったのでなく写真が初めて出品されたときから、実行委員会では論議になっているが、いまだ結論がでていないのが現実。ボーダーレスが主流の社会において、ボーダーを設けること自体が、無理なのであろうか」と述べた。

 酒井氏は「“この作品は平面的だ、平板な絵だ”といえば、それはいい評価をしてないことと思われる。つまり“平面”とはいい意味の言葉ではないのに、平面作品という言葉が成り立つ」と、美術における言葉の難しさを述べた。

 ここで司会でもある高階氏の「それまで日常における記録や記念のためであったものが、美術館の誕生と同時に“絵画”となった。そう考えるとたった200年の歴史しかない。だから表現の可能性は、広がれば広がるほどいいと思う」という発言に、本江氏が「それはVOCAとは別の問題。そのような何でもあり、は会場や予算などの制約の中で実現はできない。だからVOCAには線引きが必要だ」と強く反論。宮崎氏は「境界線を引くと、必ず“あいまいなもの”が出現する。それをどうするか…」という言葉の途中で、本江氏は「だから審査員である有識者の存在価値がでてくる。今回、田中さんの映像作品を認めたのも、その作品がおもしろいからなのだ」と作品の質の重要性を強調した。また、この事に関して剱持氏は「田中さんの推薦委員の方から、実は事前に問い合わせがあったが、事務方としては、出品規定を違反してないのであれば、規制することは無い」と答えたと、舞台裏の実情を付け加えた。

 ここまで聞いていて、VOCAの態度というものは、“何でもあり”はまずいが、単なる作品形態で排除はしない。その作品の質で判断する、と私はとらえた。選考委員のキャリアなどを考えると、この自信にも頷ける。
私自身は、“平面”というものは、欧米の潮流をできるだけ早く咀嚼し作品化、言語化してきた日本の美術が生み出した“休憩所”だと考えている。どんどん手法・形態を変える作品群をさばく余裕がないから、とりあえず壁にかける平べったい作品(少々厚みがあっても)としてまとめてみたのだ。

 “休憩所”の美術家は、いつかは外に出て行かねばならない。“休憩所”とはそういうものだ、学校をいつかは卒業するように。その時に、絵画なのか、写真なのか、映像なのか、もう一度考え直す必要に迫られるだろう。

(3.22掲載)

Copyright (c) 2003 Art Village All rights reserved.