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<life/art'02>


造形する意思の孤独
――「life/art'02」展における田中信行の作品について
文●冨田康子
Yasuko Tomita 東京国立近代美術館工芸館客員研究員
■<life/art'02>展
2002年11月26日〜2003年1月26日
資生堂ギャラリー
中央区銀座8−8−3
電話03−3572−3901

 いうまでもなく工芸とは、まずはその展延性において特徴づけられる造形分野である。

 それは、産業を志向することでデザインを侵食し、また、純粋美術/応用美術という枠組みにおいて美術に被覆する。あるいは工芸は、技術を媒介として物質と、有用性において生活と、さらには伝統というレトリックにおいて、過去と接続する。――数えあげていけば際限がない。いずれにせよ工芸は、このような複合的、境界的性格を強く帯びている。

 ところで、複合性に対置されるのは純粋性ないし統合性である。そしてこの純粋性、統合性こそが近代性の要諦にほかならず、またこれこそが、わが美術の主要な前提であった。ならば近代社会の最終局面にある現在、もはや過去に葬られつつある近代美術という価値領域を相対化する契機として、複合性を身上とする工芸が批評の場に要請されるのは、なるほど理に適っているのかもしれない。この場合の工芸とは、むろん単なる造形ジャンルなどではなく、いわば一つの座標軸であり、何がしかのモデル概念なのである。そして、上記のような文脈において、最も過激な論理を展開する批評家の筆頭に、北澤憲昭があげられる。


北澤は近年、工芸をテーマに幾つかの展覧会を企画しているが、資生堂ギャラリーで2001年に始まった<life/art>展もその一つである。今村源、金沢健一、須田悦弘、田中信行、中村政人の5名からなる年1回のグループ展を、5年のあいだ継続するのだという。

田中信行 「触生の記憶3」 110×87×29
 乾漆 2002 撮影:桜井ただひさ
 初回は確か、ごくごく標準的なグループ展であったように記憶しているが、2回目となる2002年展では、中村がギャラリー内にプレハブ住宅を運び入れて、これを『nIALL_東日本ハウスv1.3』という名で作品化し、他の出品者がその内外にインスタレーションを行うという、いっぷう変わった手法が採用された。空間構成としては明らかに均衡を欠くこのアイデアにいかに応じるべきか、他の出品者はだいぶ混乱したらしい。そして、この「中村」対「他の出品者」という構図こそが、今回展最大の見どころでもあった。

 さて、5名の表現の不均衡ということで考えてみると、じつはもう一つ、私の興味をひいた構図がある。それは、表現の手法に即していえば「引用ないし置換」対「造形」、というふうにも説明でき、あるいは作家名に即して「中村・今村・金沢・須田」対「田中」といってもいい。

 すなわち前者4名は、何らかの既存の事物から表現の契機を見出し、それを直接に提示し共有しようとする態度、その提示の場を「作品」とする態度において、強い共通性がある。家の展示を発案した中村はもちろん、繊細な木彫によって現代の建築空間にパラサイト的に接近する須田、変形した家具で現代生活をパロディ化する今田、あるいは、音という美術のモチーフとしては不適切な要素を持ち込むことで、逆説的に美術の現在を示して見せる金沢――。程度の差こそあれ、これらの仕事は、同時代に属する何らかのものごとを想定させずにおかない。すなわちそれは、現代への帰属を明らかにすること、現代という時代に対する自らの妥当性を確保することに、まずもって重きを置く表現なのだ。

 それにひきかえ田中の場合――。

田中信行 「触生の記憶3」 110×87×29
 乾漆 2002 撮影:桜井ただひさ
田中の作品は、プレハブ住宅の中の最も奇妙な空間――2畳ばかりの畳敷きのロフトで展示された。そもそもなぜ、こんな中途半端なところに茶室まがいの空間が設けられてあるのかは不明なのだが、ともあれ注目すべきは、この無用の空間こそが、田中の表現の、今回展における宙ぶらりんの位置を見事にあらわしていたということだ。


 なぜ田中の作品は、家の奥深くにひっそりと、あたかも心の通わない同居人のごとく隔離されてあったのか。

 思うにこの作品は、<life/art>展においてただ一つ、造形のオリジナリティ≠志向する仕事、ひらたくいえば、ゼロから自分の形をつくり上げようとした仕事だったからである。そしてそのことと、田中の仕事が、乾漆技法という古代からの造形技法によって制作された、その意味では工芸の強い影響下にある造形だということとは、無関係ではない。

 もしも、工芸が、田中にとって積極的な意味を持つとすれば、それは工芸が、造形技術のストックとしての役割を担っているからだ。過去から継承されてきた造形技術の蓄積は、おそらく現在、工芸とよばれる括りのなかにこそ、かろうじて命脈を保っているのである。

 田中ひとりに限らない。造形技術のアーカイブ≠ニしての工芸は、オリジナリティを志向する造形家にとって、いまだ金脈にも等しい輝きを放っているにちがいないのである。

 とはいえ、ここで決定的に惜しむらくは、新しい形、唯一の自分の形といったものへの希求が、現代美術≠ニいう場においては、典型的なアナクロニズムと見なされがちなことだろう。工芸が「かぎりなく時代からずれてゆく運命にある」という北澤の指摘は、そのような意味においても妥当するわけだ。

 にもかかわらず、田中が漆芸=工芸から離れることなく造形し続けるとすれば、それはまさしく、《「工」という字を身に刻んだものの宿命というほかない》。現代の表現空間が抱え込んだ不可避のデッドスペースに、場違いな息づかいをたてて横たわる田中の作品『触生の記憶3』は、いわば見出された主体≠ニしての奇態をもって、そこに自らをつなぎとめるしかなかったのだろう。

 複合性、境界性において特徴づけられる非・モダンの領域を、北澤は「工芸的なるもの」と位置づける。だが、造形技術のストックとしての工芸は、その「工芸的なるもの」の中にさえも定位置がない――と、田中の作品の所在なさを、そのように理解すべきだろうか。それとも、「工芸的なるもの」という仮説からさえも把捉不能な曖昧性の中にこそ、工芸的なるものの本領を見るべきか。

(2003.3.13掲載)


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