web展評
今回は投稿原稿を2点紹介します。(2.10)
 EXPOSE2002 夢の彼方へ ヤノベケンジ×磯崎新

サイモン・クラーメル 個展


絵画と画家と、その背景
文●成田華代 KayoNarita 一橋大学大学院修士課程
(投稿)
 

2002年10月27日〜11月16日
JUFFERMANS FINE ART,
Telingstraat 2a Utrecht, The Netherlands
ユフェルマンス・ファイン・アート ギャラリー
 (オランダ、ユトレヒト)
 「・・・8、9、10!さあ次のポーズ、1、2、3・・・」
木曜の午後、リズミカルなサイモンの声が響き渡る。ワッカース美術アカデミー の23教室、窓から降りそそぐ秋の陽射しが、モデルの脚や胸元で無邪気に舞い踊る。長時間のデッサンに慣れた私たち生徒にとって、10秒毎に変わるポーズは難しいというより寧ろ笑いを誘う。「感じたままに手を動かしてごらん」木炭を手にとり、大胆な曲線を描いてみせるサイモン。緻密な模写を教えるのではなく、私たちの心や手を軽やに解き放ってくれる、それが彼のクラスだ。「数百万もする訳じゃない。たった数十セントの紙じゃないか」あまりにも臆病に描く私たちに、ある日彼はろう蝋の欠片を手渡した。透明なろう蝋で「描く」のだという。「見えないから、見なくていい。ただ、踊ればいいんだよ」半信半疑で始められた「ダンス」がおわると、彼は上から墨をぬり、露になった白線を見せながら微笑んだ。「この方が、ずっと自由で綺麗じゃないか」
『ニュー・アムステル橋』2001 油彩 70×85

 10月の始めに個展の知らせが届いた。彼の、自由で衝動的な美を一目見たくてユトレヒトまで足を運び、そして、心打たれた。力強い線、極限まで簡略化されたフォーム、それらが爽快に飛び込んでくる。タイのビーチからオランダの花々まで、風景、静物、モデルと、彼は主題を選ばない。躍動的な筆致、ダイナミックな平面と色彩はドイツ表現主義を髣髴とさせ、人は彼を現代の表現主義者と呼ぶ。
「気に入るまで描きなおすよ」ニュー・アムステル橋を描いた作品 の前でサイモンが語りだす。「次の日に見て、違っていたら全部消してしまうんだ。そしてまた塗る、そしてまた消す」その繰り返しから、一枚の絵が生まれるのだという。「消すことによって新しい世界が見えてくる」それは彼が、アカデミーでも常に口にする哲学だ。生徒が完成に近づけたデッサンでも、彼は惜しみなくその全てを、パン、パンッ、と羽箒で叩き落としてしまう。多くの生徒は未だ、彼の「消す」ことの意味が分からない。

「個展はどうだった?」コーヒーを片手にするサイモンの横顔が、夕暮れの陽射しに照らしだされる。雲の切れ間から、柔らかな夕陽がアトリエに降りそそぎ始めた。あのニュー・アムステル橋も今頃、同じ夕焼けの中に佇んでいるのだろうか。「ああ、あの橋は毎日渡るんだよ」そう彼が言った瞬間、ふと、「消す」ことの意味が分かった気がした。全てを跡形もなく消してしまうコンピューターの「Delete」のようなものではなく、何か「消せないもの」が仄かに漂うような「白紙」。地平線に消えいる太陽が明日にはまた朝日として昇るように、あるいは空に消えゆく水が雨として再び降りそそぐように、サイモンの線や色、心や表現は、姿形を変えながら彼のカンバスの周りに漂いつづける。恐れることなく、真白な心で彼がカンバスに対峙できるのは、その眼差しや筆を握る手に、消えることのない画家としての熟練や経験が染みこんでいるからであり、また彼が、戸惑うことなく何度も色を消せるのは、その「白紙」の周りに漂いつづける多くの色たちの存在を、まるで旧友のように熟知しているからである。運河や跳ね橋への愛着、旅の記憶や日々の空気、よく使う絵具や気にいっているイーゼル、そして美しいと感じる心や感傷的な眼差し、その全ての「消せないもの」が、彼の絵のそこかしこに鏤められている。
『冬』 2000年 油彩75×60

 ニュー・アムステル橋は、やはりサイモンに描かれたそれとは別に見えた。橋の上で、夕暮れのアムステルダムを眺めながら彼の作品に思いを馳せる。サイモンという画家、人間、そして彼の暮らすこの街や、その空気を知らないまま、それらの絵について語ることは、あまりにも無意味に思われた。完成作品の背景にある「消された」色たちと、「消せない」色たち、それらを理解して初めて本当の風景が見えてくる。表面的な特徴だけを評価して、「現代表現主義」と分類することに、どれだけの意味があるのだろう。サイモンの絵は、もっと人間味をおびた存在として、サイモンと共にこのアムステルダムの一角に暮らしているのだ。

 木曜の午後、今日もまたサイモンの声が響き渡る。全てを消したあと、私には何かが見えるだろうか。彼のクラスで、皆の木炭は魔法にかけられたように踊りだす。「ああ、サイモン?」彼について尋ねられた生徒は皆、サムアップでこう答える。「彼はグレート・ティーチャーだ」

(2003.2.10掲載)
■ サイモン・クラーメル(Simon Kramer)
1940年7月2日:オランダ、アムステルダム生まれ
1957年〜59年:工藝教育インスティテュート(Instituut voor kunstnijverheid Onderwijs)、現リートフェルドアカデミー(Rietveld Academie)
1961年〜63年:ゲリット・ファン・ヘット・ネット氏(Gerrit van 't Net)のもとに師事
舞台美術家を経て、画家に至る。風景画、肖像画、静物に裸婦、そして抽象画、イラストレーションと、多彩な主題やジャンルを手掛ける。オランダ、フランス、ドイツ、ベルギー、日本など、個展・グループ展多数。

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