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new11.21 
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─大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2003


消された夢の記憶
文●大倉 宏
Hiroshi Ookura 美術評論家


大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2003


 この夏の大地の芸術祭。
 3年前の第1回に比べて、私の住む新潟市にはそう騒がしい気配が伝わってこなかった。前回見に行った友人たちも、あまり話題にするというふうでもないのに、聞けばみんな出かけていて、雨に降られたとか、町の人の宴会に誘われたとか、アイスクリームが美味しかったとか、それぞれ物語があったようだ。
 妻有の6市町村は、車で走り回ってもとてつもなく広い。バスなどを利用した人は、一週間いても見きれなかっただろう。だから話はみな自分の見た場所や作品の話になり、場合によって、ほとんど重ならない。妻有という同じ名前の、違う場所に旅してきたよう。
 新作157、残留組が67。224作品が中空で砕けた彗星みたいに拡散した。拾って持ち寄っても、同じ星の破片なのか分からず、各自ポケットにいれて歩くだけになったのが、ひっそりした経緯だったかも知れない。
 私は前回同様、3日ほど見た(車で)。8月は天気が不安定で2日目は雨。間を置いて出かけた3日目は曇り。夕刻松之山から十日町方面へ越える峠で豪雨に遭い心細い思いをしたが、麓に下りたらやんでいた。
 一途な恋人のように、かくも息苦しい関係を求める自然から逃げまどう中、ところどころ見つかる避難所のようにも、作品が感じられた。濃密な山や森に対するに、対抗でも賛美でもない、距離を手渡してくれる作品が増えた。作り手たちがフィールドになじんできた感じ。
 
 樹上に茶室を作った「ミーツ」(水内貴英)、山上の展望台の脇にふと開ける眺望の中に、ささやかな花壇を遠望させる「私たちのための庭園」(ステファン・バンツ)は、風景を眺める場所(よく見つけたものだなあと感心)に、佇むきっかけを差し出してくれる。新道ができて車の通らなくなった旧いトンネル内に、詩の朗読テープを流す「トンネル」(ソフィー・リステルフーバー)も同様。橋のたもとの土手にコールテン鋼の路地塀をたて、白や黒の砂利を敷き、自然の中に枯山水の空間をはめ込んだカサグランデ&リンターラ建築事務所の「ポスト・インダストリアル・メディテーション」も、美しいがだらだらした風景に、シンプルな打音を加え空間を活気づかせていた。
 これらは、前回に比べて、作家が催しの意味や可能性を深く把握しはじめたことを物語るが、一方、住人が作家を迎え入れ始めた兆しも方々で見られた(作家との協働は、新潟の新聞などでもオープン前から話題になった。前回かしましかった批判の嵐も、今回は影を潜めたという。初回で作家と住民が直接的なイメージを持ちあえるようになり、作家という人種を面白がる気持ちが普通の人々に広がりだしたのでは、と個人的に想像)。具体的には民家(空き家)の内部を使ったインスタレーションの増加に、それが現れていた。
 十日町の旧滝文という、旧い木造三階建ての建物の各部屋の展示(ワン・ゴンシン「米雪」、袴田京太郎「血族のカーテン」など)はどれも面白かったが、三階の洋室を使った展示(中川幸夫「夢ひらく妻有」)では、作品自体より、開け放たれた窓の外が闇の空洞であることに、びっくり。狭い露台に上がってのぞき込んで分かったのは、そこが四角い井戸のような内庭だったということで、庭全部に建物の上から屋根が被されているのだった。
 要するに、雪のない地方の建築をそのまま建てたところ、中庭が雪の器となったため、後で屋根が架けられ巨大な死に空間ができたのだろう。大正か昭和初期の普請だろうか。政治文化の中央集権化とともに、地域の気候風土を無視した画一的普請が広まった結果生じた珍現象と思われるが、外から分からない闇の空所が、こうしたイベントで開かれたのが印象的だった。
 十日町ではレンタサイクルに乗った(無料)。前回の印象が低調だったので1時間ほどで回るつもりが、結構方々で引っかかり、結局半日いた。「ホワイト・リムジン・屋台」(筑波大学芸術学系貝島研究室+アトリエ・ワン)、「フィクセーション・トラック」(北川貴好)、「3年後に向けた伝言ゲーム2003(10年プラン)手作り見張り塔でずいっ?と十日町」(磯崎道佳)は笑えたし、民家や空き店舗を使った映像作品も、シチュエーション作りの効果もあって、かなりの時間見た(調理場の情景を延々と移し続ける田中功起「どれもこれも」は30分以上。調理が微細で膨大な作業の集積であることに感動)。
 今回の十日町は、町の隙間(空き店舗、空き地、空き家など)をうまく活用したものが多く、前回のビュレンヌのように町の風景に力ずくで変容を迫る強引さが避けられていた(工学院大学藤木研究室「十日町に服を着せようプロジェクト」はその類だが、電柱という街景の隙間的物体を使うゲリラ戦法が、それなりに功を奏していた)。
 今回も課題の残ったのが、松代町商店街だろう。3年前新潟の作家たちに割り当てられた地区に、方々の大学の研究室やゼミのグループが入り込み、さながら美術系大学の発表会場と化した。前回も感じたのだが、近代化(平準化)してしまった十日町の目抜き通りと異なり、ここでは強い歴史的個性の残る町並みを、活気づかせるものが求められているのではないか。十日町の隙間空間に展開した学生作品が生き生きと見えたのに対し、松代ではどれも文化祭展示を見るような感じで、それなりの力作はあったけれど、町の個性に抗するほどの作用は感じられなかった。
 駅の背後の城山周辺には、今回もかなりの作品が集積された。さながら大地の芸術祭公園という風で、箱根の彫刻の森を連想したが、それは作品過密の気配を感じるということでもある。松代は作品「誘致」に一番熱心な自治体という印象を受けるが、その熱心がやや息苦しい。この芸術祭は作品間の距離の大きさに魅力があるのだという点から、全体方針を再考したほうがいいのではないかと思う。
 川西町のナカゴグリーンパークにも、立地の問題を感じた。一本の木が魅力的なのは、時間の中で形成されたものだからだ。場所も木のように膨大な時間を吸い込んで在る。宅地造成はその時間を消去する行為だが、作品展示場を宅地のように造成した結果、壁のない展覧会場のようなつまらない場所になってしまった。その先の「光の館」は向かう途中で雨に降られたこともあり、引き返してしまったが、やはり前回の造成地のマイナス印象が、気分に作用していたと思う。中里のミオンなかさとに残る前回の作品も、土手の公衆便所(「河岸の燈籠」)を除いて惨めだった。作品のためにわざわざ場所を開けたケースの失敗が、3年たってくっきり見える。
 対照的に、前回の衝撃が少しも色あせなかったのが「夢の家」。新しい魅力を加えたのが「ドラゴン現代美術館」だろう。山中の登り窯は草が生え、ところどころ煉瓦がくずれて場所になじんでいた。私の行った朝は雨で、ぬかるむ小道を上っていくと、窯内の段々にまだらな闇と光を呼吸してすわる少女たち(「小休止」キキ・スミス)がいた。うつろな目が、窯の土や煉瓦に吸い込まれる雨音から捻り出されたように冷たく、やわらかい。
 「夢の家」はこの3年で、集落の人々にいい感じで受け入れられたようだ。所々に置かれた、さりげない手作り表示板が素敵。棺型のベッドにはめ込まれた「夢の本」に、様々な夢がたまっていた。自分の夢に会いに遠方から来る人々を、静かに迎える空気が周囲にあふれている(一方「光の館」の宿泊客は、タレルの空間だけに会って帰っていくのではないか)。近くのもう一つの空き民家を使って作られたインスタレーション(「収穫の家」ローレン・バーコヴィッツ、「米との対話」ロビン・バッケン)も、「夢の家」集落に相応しい品と幻想感のある美しいもので、場所と交感する作品が集積しだしたようだ。6市町村のなかでは、この上湯地区を含む松之山が、場所と作品設置が一番バランス良く進行しているように思われた。

 今回、もう一つ大きな話題になったのは、芸術祭の一環として大きな建造物(公共建築)が十日町(「越後妻有交流館・キナーレ」原広司+アトリエ・ファイ研究所)、松代(「まつだい雪国農耕文化村センター」MVRDV)、松之山(「越後松之山『森の学校』キョロロ」手塚貴晴+由比)に作られたこと。
 いわゆる縦割り(イベント開催費と公共施設建設費)の枠を越えた予算の使用がなされたわけで、総体の結果は良かったと思う。各市町村の役場が、旧滝文のように、全国画一の規範のなかで多少の粉飾を凝らした建物であるのに比べれば、それぞれ発想が独創的で、立地場所がよく考慮されていた。いろいろ難癖をつけられる部分はあるけれど、オリジナリティと場所への考慮が、山里の自治体の公共建築で実現された意義は大きい。「場所」の意識の深まった第2回目にあわせて建設されたことも、正解だったと思う。
 個人的には松之山のキョロロが好きだ。川俣正インスタレーション(その後あまり展開がなく、がっかり)の見える大きなガラス窓が、一部厚みが変化して、景色を歪めることでガラス自体の存在を主張していたのが面白い。

 これらから建築と環境というテーマを個人的に意識することになったが、使用済み建物を使った「夏の旅」(クリスチャン・ボルタンスキー+ジャン・カルマン)は、同じテーマを逆方向から照射する傑作だった。
 建物は松之山の廃校となった小学校校舎。木造ではなくRC(鉄筋コンクリート)。昭和3,40年代の建築だろうか。そのころ私は中学生で、在学中の校舎がRCに改築された経験がある。千葉と松之山の校舎がほぼ同じなのは、どちらも全国の標準仕様で建てられたからだ。RCは登場時には「永久建築」と言われたそうだけれど、松之山の学校は50年もたっていないのにコンクリートはぼろぼろ。世界的豪雪地である集落に、屋上広場のある建物を建てたこと自体摩訶不思議だが、そういう時代だったのだ(今も続いている)。
 校舎と校庭全部を使った大がかりなインスタレーションで、使われた素材はチープなものか、現地調達品。入口には来客用のビニールスリッパが紐で吊され、廊下を遮る板壁の穴から覗くと遠くに一台のピアノが見え、唱歌のたどたどしいメロディが聞こえている。上階に上がると、窓という窓に白い木綿のカーテンが下がり、扇風機の風に揺れている。教室には積み上げられた机や椅子や本に、同じ白い布が掛けられ、白い霧がたちこめている。映画の一場面のような気配。理科室に枯れ葉が、音楽室にはなにかの白い破片が敷き詰められ、やはり霧が。段になった音楽室の天井、バッハやベートーベンの顔写真に既視感が漂う。違う土地で、同じ型のレプリカの中で少年時代を送った世代の記憶が揺れる。
 夏草の生えた校庭では、鳥追いの目くらましテープがゆれ、光のたわむれる海面のよう。中央に小さな舞台があって、小電球を結わえた紐が転がっていた。光る海に分け入りながら、またしてもノスタルジックな夢に入り込んだ気分に襲われる。
 場所を無視した標準仕様の学校。性急な近代化とモダニズム(機能主義)の混血児は、木造校舎の時代にはまだあった建築内の夢想を吹き払い、奇妙な明るさで消毒した場所だった。高度成長期人へと培養されていった子供たちの影が消え、用だけのために建てられた器が用済みとなり、朽ちない壁が朽ちだしたとき、消された夢たちの記憶が突然溢れる。作家の置いた柔らかな網にからまり、掬われて、それらは無音のつむじ風のように私のまわりを、なかをめぐり始める。
 場所への暴力であったモダニズムを、こんなにも優しく、いとおしく見つめる批評的視線があり得るということに震えた。
 2000 尾州ネット「アートオブギャラリー」掲載
 
 ローレン・バーコヴィッツ「収穫の家」

袴田京太朗「血族のカーテン」

キキ・スミス「小休止」

クリスチャン・ボルタンスキー+ジャン・カルマン「夏の旅」

カーサグランデ&リンターラ建築事務所「ポスト・インダストリアル・メディテーション」
全写真撮影:天野一夫

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