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Hans Holbein -Portraitist of the Renaissance
(ハンス・ホルバイン -ルネッサンスの肖像画家)


虚像と実像のあいだの肖像
文● 成田 華代
Kayo Narita 一橋大学大学院修士課程 (投稿)

展覧会会場の外観写真

会場 Mauritshuis, Den Haag, The Netherlans,
マウリッツハイス王立美術館(オランダ、ハーグ)
会期 2003年8月16日〜11月16日


  画家は一度に幾つものイメージを思い描く。心に、紙に、カンヴァスに、幾重にも投射されたイメージの中から、とある一つの像が選びだされ造形が与えられる。創作とはすなわち選択すること、無限の広がりから選ばれた線や色や平面は絵筆になぞられ、とある瞬間ひとつのタブローが生を享ける。画家の選択肢は「現実」と「虚構」の狭間に広がっている。「現実」とは画家の目に映る像であり、光学的・物理的に計測された事実ではない。写真技術に慣れすぎた私たちの忘れかけている、あのセザンヌが見た歪んだ林檎の「現実」である。「虚構」とはこの「現実」からの乖離、画家の主張や遊び心が盛りこまれる振れ幅であり、あまりに度を越すと絵画をただの悪戯描きに貶めてしまう。
 ルネサンス以降繰り広げられてきた「現実」に関する議論は、線遠近法で再現される「現実」を始めとして、光学を追究したインプレッショ二ストの「現実」、キュビストの見た立体的な「現実」、あるいは「超現実」という言葉さえ生みだしたシュールレアリスティストたちの「現実」と、さまざまな基準を私たちに提示してきた。ある絵が「現実的である」とか「抽象的である」と判断される際、その基準が明確にされなければ意味をなさないのはそのためで、例えばレオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』もパブロ・ピカソの『泣く女』も、それら各々の見た「現実」に照らし合わせる限り、どちらも等しく「現実的」な作品ということになる。時代やジャンルを超えた比較が興味深くなるのは従って、その「現実」からのズレが見極められるときであり、時の美学に左右されない美の在り処が明らかになる。「現実」と「虚構」とのバランス、つまりスタイルやイズムといった主旋律を奏でながらも、僅かな振れ幅に個性や情熱を響かせることのできる画家の技量や才能、その巧みさを見たときに鑑賞者は言い知れないアウラを感じるものである。
 小ハンス・ホルバイン(Hans Holbein the Younger, 1497/98-1543, 以下ホルバイン)が生きたのは、ルネサンスという主旋律が奏でられる15、16世紀のヨーロッパであった。線遠近法に基づく合理的な空間表現、古典主義的要素を備えた独特の尊厳を持った人間像、それらが当時の画家に課された「現実」であり、雇われ画家が個性を盛り込める「現実」と「虚構」との境目は僅かなものでしかなかった。時のイギリス国王ヘンリ8世のもとで宮廷画家を勤めていたことからも明らかなように、ホルバインは優れた「現実的な」絵画を描くことのできる画家であった。作品批評にはしばしば「生き写しの」「遥か過去の人物が蘇るような」「人文主義者の内面の偉大さまで描ききる」といった叙述がみられ、彼の「現実」に即した人物描写の才能を物語っている。依頼された肖像画を発注者の期待通り完成させる、彼は模範的な宮廷画家であった。しかしながらその一方で、ホルバインの作品には自由奔放さがある。「現実」の型に無理矢理はめこまれた像ではなく、その型を保ちながらも自由に変形し彩りを変える境界がそこには存在する。「現実的」でありながら曖昧な非現実の世界が見え隠れする、つまり決定的な何かが鑑者に委ねられ、その像は見るたびに雰囲気や印象を変えていく。「現実」と「虚構」の狭間、その僅少な境目で巧みに選択された線、色、形。冒険的な画家の筆致が画面全体の主旋律と共鳴するとき、作品は単に「現実的な」肖像画の世界からより精緻な芸術の空間へと昇華する。
  マウリッツハイス(Mauritshuis)で催された『ハンス・ホルバイン』展には、「現実」と「虚構」の間で葛藤し、あるいはその自由な空間を享受する画家の精神が再現されていた。英国王室コレクションの協賛を得てデン・ハーグに集められた作品は、油彩、素描、そしてミニアチュールを合わせて40点以上。エラスムスやトマス・モアの肖像画など、400年の時を越えた名作の数々が威光を放つなか、とりわけ人々の関心を集めていたのは5対の油彩と素描であった。完成作品としての油彩と予備段階で描かれた素描、この「前後」の対の展示に、人々は二つのタブロー間を行ったり来たりすることになる。私も例外ではなく、それらの肖像画を根気よく見比べてみたのだが、僅かに認識できる「前後」の差異に、ふとホルバインの遊び心を垣間見た気がした。
 素描が一つの作品として認められるようになったのは、わずか18世紀後半のことであるから、ホルバインにとっての素描は予備的なメモ程度のものでしかなかった。モデルを目の前にして描く素描、その情報のみを手がかりにアトリエで制作される油彩、こうしたホルバインの制作過程を考えれば、余白に走り書きされた色の覚え書きにも納得がいく。素描はすなわち、「現実」をありのままに書き留める記録媒体でしかなく、一方で油彩は、画家の作為により「現実」と「虚構」の間に引きあげられた、より精神的な像ということになる。ホルバインはその「現実」と「虚構」の狭間で、何を選択し何を切り捨て最後の像を描き出していったのか、画家本人しか知りえないその創造の過程を、1対の「前後」の肖像画に焦点を当て探ってみた。
 展覧会も後半に差しかかり巡り会った『リチャード・サウスウェル卿の肖像』。一見したところ素描に忠実に再現されたかのように思われる油彩ではあるが、そこには僅かながらもズレがあり、その意図的なズレこそが鑑賞者を魅了する仕掛けとなっている。ただしここで述べるズレとは、決して顕著に見出される造形的な差異のことではない。例えば素描にはないサウスウェル卿の手が油彩には描かれているだとか、顔のパーツの長さや肩幅が違うだとか、そうした訂正箇所を指摘するだけなら、この「前後」の鑑賞はただの間違い探しゲームに終わってしまう。私たちを魅了するズレとは、素描と油彩の間にある精神的なズレ、つまりホルバインによって巧みに吹き込まれた画家の鼓動や情熱による振動である。「現実」の型にはめこまれた無機質な素描、それを「虚構」に陥らない程度の振れ幅で振動させることで、ホルバインは自らの芸術表現を実現している。展示会場の解説を聞いていると、「前後」の対の物理的なズレが一つ一つ丁寧に説明されていたが、私が心を奪われたのはこの精神的なズレの方だった。素描と油彩の差異は、眺めれば眺めるほど明らかになる。素描は「現実」を複写する文書であり、油彩は画家により創造された主観的な像である。
 サウスウェル卿を見つめていると、470年前にちょうどこの絵の前で、目を細めながらこの像に見入ったホルバインのまなざしが重なってくる。生き写しの肖像画を難なく描ける才能のあったホルバインは、それを口にすることはなかったにせよ、さらに別の次元で肖像画を楽しんでいたのではないだろうか。前景も背景もなく二次元の空間に刻まれるリズム、暗色と明色のコントラストに鏤められた小物たちのアクセント、こうして「虚構」の美の世界へ意識を移していくとき、サウスウェル卿の指輪やボタンはまるで生き物のように愛らしく踊り出し、額や頸部のアザさえもがその重苦しさを取り払って踊りの列に誘われていく。造形にリズムにコンポジション、あるいは色彩や陰影といった美的要素が頭の中に広がり、その戯れのなかから、とある一つの線、色、形が選択されていく。こうして純粋に美を楽しむということ、つまり創作の真髄は、ジャンルや時を越えて普遍的に存在するものではないだろうか。画家だけが入り込むことのできる、「現実」と「虚構」の間の美的空間、そこで繰り広げられる遊戯の証を刻むように、画家は像にズレを与えていく。「単なる資料としての絵画を描くつもりはない」、そうしたホルバインの美的スタンスはすなわち美的欲求の表明でもあったといえる。かつて結婚を控えたヘンリ8世に、「現実」と一寸違わぬ妻の肖像画を描いて欲しいと依頼されたホルバインは、その際にもこのズレを巧みに利用した。画家の遊戯は線や色に触れ幅を与え、その生きた輪郭によって描き出された像は鑑賞者が目にするたびに変化する。こうして各々の鑑賞者に解釈のスペースを与えるやり方を知っていたホルバインは、王を満足させつつ、同時に自らの美的欲求をも満たすことができたのである。
 国も時代も、そして芸術のジャンルさえ異なっているが、最後に、日本元禄三大文豪として名高い浄瑠璃・歌舞伎作者近松門左衛門の演劇論を挙げておきたいと思う。『虚実皮膜論』の名で知られる彼の「虚」と「実」の哲学は、あらゆる芸術家が遭遇する創作の繊細な空間を見事に言い表しているように思われる。彼もまた、「虚」と「実」との微妙な境目に芸の奥深さがあり、そこにこそ観客が魅了されるのだということを承知した芸術家の一人であった。
 「芸といふものは実と虚との皮膜の間にあるもの也。・・・虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰みが有るもの也」 2000 尾州ネット「アートオブギャラリー」掲載
 
 William Reskimer, c. 1532/33, Black, white and colored chalks, metalpoint on pink prepared paper, 290 x 210mm, British Royal Collection

:William Reskimer, c. 1532/33, Panel, 464 x 337mm, British Royal Collection

Richard Southwell, c.1536, Black and colored chalks, pen and brush and black ink, metalpoint, on pink prepared paper, 366 x 277mm, British Royal Collection

:Richard Southwell, 1536, Panel, 475 x 380mm, British Royal Collection

Lady Elizabeth Audley, c. 1538, Balck and colored chalks, pen and black ink, metalpoint on pink prepared paper, 292 x 207mm, British Royal Collection

Lady Elizabeth Audley, c. 1538, Watercolor and body color on vellum on a piece of a playing card, diam. 56mm, British Royal Collection

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