web展評
new10.30
 web展評 目次

ロシア・アヴァンギャルドの陶芸展
――モダン・デザインの実験


                            
そこにモダンデザインは成立したのか
文●冨田康子 Yasuko Tomita
東京国立近代美術館工芸館客員研究員

岐阜県現代陶芸美術館 2003年4月26日‐7月7日
茨城県陶芸美術館 2003年8月23日‐10月5日
滋賀県立陶芸の森陶芸館 2003年10月21日‐11月30日
 
 ロシア・アヴァンギャルドは、1917年の共産主義革命をはさみつつ、1910年代から1932年までの約20年間、きわめて大規模に、そして精力的に展開された芸術運動であった。アヴァンギャルディストたちの活動――とりわけ革命以後の活動は、絵画、彫刻、建築から演劇、さらには広告、生活用品といった、あらゆる創造領域に及ぶ。本展は、そうしたアヴァンギャルド運動の影響下で制作された、約200点の陶磁器を中心に構成されている。
本展のために岐阜県で製作された、ロドチェンコのデザインによるティーセット    ・
(長谷川善一製作指導)

マレーヴィチやロドチェンコ、カンディンスキーといった著名な作家たちをも巻き込んで展開した、初期ソヴィエトの陶磁器製作は、彼らの芸術思想を考察するうえで、たしかに興味深いものである。だが、それにもまして、これらの陶磁器製作をモダンデザインの問題として捉えなおしてゆくことの意義は、大きいように思われる。従来の、いわば成功者から見たデザインの正史≠ナは捉えきれないデザイン思想の問題を、モダンデザインの傍流というべき社会主義体制下のデザインは、さまざまな刺激とともに照らし出してくれるにちがいないからである。



人びとの生活、人びとの未来――そうした広範な生活の領野こそをモチーフとしたロシア・アヴァンギャルド運動は、現代の分類の目からすると、デザインの領域――特に、プロダクトおよびインダストリアル・デザインの領域へと、きわめて親しく近接していったように感じられる。ゆえに、陶磁器製作もまた、そのようなアヴァンギャルド特有の生活≠ヨの傾きのうちに了解されてしまうかもしれない。じっさい、本展に関するいくつかの紹介記事や新聞評にも、そうした論調が多く目についたし、初期ソヴィエト政権下での陶磁器製作じたいが、そのような側面をもっていたことは否定できない。
だが、旧ソ連およびロシア以外では初の本格的回顧展となる、この「ロシア・アヴァンギャルドの陶芸展」が明らかにしたことの一つは、そのような生活≠ヨの志向性だけでは、これら大量の、しかも高品質な陶磁器の存在を説明することはできないということである。そのことは、ロシア・アヴァンギャルドにおける陶磁器製作の出発点を考えてみれば、明らかである。
本展のために岐阜県で再製作された、
「労働者クラブ」のための
チェステーブル&チェア
(デザイン=アレクサンドル・ロドチェンコ、
制作指導=吉島忠男)

1917年、皇帝所有の陶磁器工場は革命勢力によって没収され、翌年、教育人民委員部の造形芸術・工業芸術部の管轄となった。じつはここから――超高級品を専門とする王立工場から、アヴァンギャルディストたちの陶磁器製作が始まったのである。
注目すべきは、工場に呼び集められたアヴァンギャルドの芸術家たちがまず着手したのが、この旧帝室磁器工場(のちにペトログラード国立磁器工場と改称)に残された在庫品に新しい絵付けをほどこすことだった、という点である。モスクワ・国立歴史博物館のマリアンナ・ブブチコワによれば、1918年から23年までの初期ソヴィエト磁器――その大半は、革命のシンボルを文様化した絵皿の類で、一般に扇動磁器≠ニ呼ぶ――の多くが、帝室磁器工場に残された帝政時代の白磁の胎に絵付けをほどこしたものであるという。
つけ加えれば、旧帝室陶磁器工場が生産していたのは、あくまで宮廷需要の磁器であった。磁器といえば、ただでさえ、やきもの一般の通念においては高級品である。もともと陶磁器製作の技術に関しては後進地域であったヨーロッパの、ましてや辺境の地ロシアにおいて、磁器はいわば「宮廷生活≠フ中のもっともエリート的物質のひとつ」(ブブチコワ)であったのだ。
そう考えると、本展の展示品の主要部分を占める、一連の扇動磁器の造形上の特質も、ある程度までは説明がつくだろう。いっけんしたところ、デザイン的な奇抜さを狙ったかに見える、その大胆かつキッチュな造形――優雅な器形、上質な絵の具の発色、花と飾り文字の縁取りに、鎌やハンマーが組み合わされた斬新な文様など――には、旧体制の遺物を相手にしてこそ高まっていったであろう芸術家の胸のうちが、なみならぬ開放感や自信とともに、ほうふつとしてくるような気がする。
これらは、ときに100点以内の規模で再製作されることがあったにせよ、基本的には作品≠ナあり、同時に輸出用の高級美術品であり、かつソヴィエト政府の広報メディア≠ナもあった。早くも1919年の時点で、これらのいわゆる扇動磁器が、プロパガンダを目的としてペトログラードのショウウインドウに陳列されたと、ブブチコワは指摘している。



本展の展示品の中心をなす扇動磁器は、じつは、その形姿とは裏腹に実用品などではなかった。いうなればそれは、預言の書≠セったのであり、その限りにおいて、これらの器物は、芸術と、人びとの生活とを橋渡しすることができたのである。
ところで興味深いのは、このように、まがりなりにも成功を見た扇動磁器に比して、実用に供されるべき陶磁器製作のほうは、あまり順調ではなかったかに思われることである。
 もちろん、旧帝室磁器工場に集結したアヴァンギャルドの芸術家たちが、絵付けばかりに励んでいたわけではない。プロレタリアートのための食器製作は、当然ながら彼らの主要な使命の一つであったし、またじっさい、製作が試みられてもいる。本展でも、幾何学形態のポットや花瓶、あるいは直線で構成された文様など、いかにも20世紀初頭らしいデザインの器物が、ういういしい魅力を放ちつつ展示されている。
 だが、それらが新しい実用品として、理想どおりの働きを示すことはなかったようだ。ブブチコワによれば、旧帝室磁器工場が、量産向きの設備をそなえていなかったこと、そして、アヴァンギャルディストたちが、使用者すなわちプロレタリアートの需要を製作に反映することができなかったことが、その理由であるという。
 たしかにそうかもしれない。だが、ここで指摘されている問題は、反転させればそのまま、本格的なモダンデザインを始動させるための絶好の契機となりうるはずのものである。なぜ、アヴァンギャルディトたちは、その契機を掴むことができなかったのだろうか。
矢車草文皿「10月25日の勤労者の勝利」R.F.ヴィルテ 1919年 ペトログラード国立磁器工場              ・

 もう一つ、このことと関連して不思議なのは、本展では「新生活とデザイン」というテーマのなかで紹介されている、ロシア・アヴァンギャルド運動後期の実用の器の、何とも粗く大味な感触である。 
1920年代半ばから、芸術統制が開始される1932年まで、ロシア・アヴァンギャルド運動の最後を飾るこの時期は、労働者の食堂などで用いられる実用の食器類が、扇動磁器や旧帝室磁器工場における実験的な実用品などとは異なるコンセプトのもと、ロシア各地で量産された時期でもある。簡素な器形に、転写技法の絵付け。そこに描かれるのは、単純化された労働者の姿、「歯を磨け」、「ラジオで学べ」といった瑣末な標語などである。それはそれで、たしかに興味深い形象ではあるけれども、しかし、ロシア・アヴァンギャルドのあの昂揚した造形と、それらとが、芸術上のつながりをもっているようには思われない。
どうやらここでもアヴァンギャルディストたちは、みずからの理想を、合理性や機能性、あるいは需要といった、モダンデザインの主要コンセプトに接続させることをしなかった――もしくは、できなかった――ものと見える。



ロシア・アヴァンギャルドの芸術運動は、ソヴィエト政府の統制を受け、1934年に完全に葬り去られることとなる。だが、少なくとも陶磁器製作だけを見た場合、その挫折は、けっして外圧≠ノよるものばかりではなく、彼ら自身の芸術家としての在りようにも深くかかわるものであったことがわかる。彼らがモダンデザインの途絶した傍流≠ノ見えてしまうのは、まさにそうした、彼ら自身による夢の封印の結果でもあるのだ。
皿「10月25日の勤労者の勝利
1917-19年」R.F.ヴィルテ    ・
1919年 ペトログラード国立磁器工場

ここで、モダンデザインの成果のうちに生きる私たちは、つぎのような問いを立ててみるべきである。デザインの可能性とは、いったい何なのか、と。あるいは、モダンデザインの先駆者に位置づけられる人びと――ウィリアム・モリス、ヨーゼフ・ホフマン、ヴァン=ド=ヴェルドなど――は、はたしてほんとうに、モダンデザインの成功者だったのか、と。そしてまた、モダンデザインが、産業社会と芸術とがどう関わるべきかについての思想でもあったことに思いを致すのならば、アヴァンギャルディストたちが、その夢の不履行によって示した芸術の不可能性と可能性の問題を、産業社会の終焉を生きる私たち自身がどのように継承し、あるいは解決したのかについて、みずからきびしく検証してみなければならないはずだ。


Copyright (c) 2003 Art Village All rights reserved.