橋本直行
 Naoyuki Hashimoto

北の目が見た自然
文●大倉宏 Hiroshi Ohkura 美術評論家
「はさ木」72.7×72.7

 橋本直行の絵は冷たくて、かたい。そのかたさと冷たさが、好きになってきた。
6、7年前の個展には公衆便所の一隅や、病院の大きな機械に囲まれ精密検査を受ける老人などを描いた絵が並んでいた。
 常識で言う「絵」と無縁のモチーフを絵にすることに、どこか絵の世間につっぱっていこうとする姿勢を感じ、興味をそそられた。つっぱる、とは熱いものを守るために冷たい殻をかむることである。その後の絵を展覧会や訪ねた仕事場で見せてもらいながら、たとえば小魚の死骸のからまる漁網や油の浮く海面を精密描写した絵に、このような形でしか表出できないらしい特異な熱さを感じて、さらに心を引かれた。

 今回の個展はデパート会場という規制があったからだろうか、風景を中心とした、どれも絵らしいモチーフばかりになっている。しかし、橋本が描こうとするものは、むしろ明確になってきたようだ。そう感じながら、彼の住む寺泊町周辺(新潟県中部)の自然を描く、さまざまな風景画を見ているうち、思いがけない記憶がよみがえってきた。

 20数年前<ロシア・ソビエト国宝絵画展>という東京のデパートで開かれた展覧会に行った。手元の図録(久しぶりにひっぱり出す)を見ると、帝政ロシア時代の絵数点に革命以後70年代までの「ソビエト絵画」20点ほどを並べた内容である。レーピン、アイバゾフスキーなどトルストイ的なスケールを感じさせる前世紀の絵にも圧倒されたけれど、技量的にはそれほどでないと当時も感じたソビエト絵画も、なぜか一点一点よく覚えている。新潟市美術館に一点あるコンチャロフスキーを除けば、その後一度も目にも耳にもする機会のない画家たちの絵だった。
 これらから受けた心象が、ふと言葉になる。あれは北の絵の感触だったのだ。コルジェフの『朝』の下着姿の女の背に注ぐ陽光、サラホフ描く幼女のロウのような肌、カルニンシの『日没』の冷え冷えした水の色。どれにも、私たちに親しい欧米の絵、日本の近代絵画とは違う温度や手触りがある。岸田劉生や河野通勢の北方ルネサンス風の風景や人物だって、真冬も晴天続きの関東の、橋本や私の住む新潟から見るならまぎれもない南の絵であろう。

 極端に言えば、日本の絵の世間は(現代美術と言われるものまで含め)、こうした南の絵の「常識」で作られてきたのではないだろうか。冷たい、薄い、かたいなどの形容詞が、否定の意味合いを持つのはそのあらわれだ。橋本の近作に私は冷たさ、かたさにこそ感じやすい目に映じる、この国では出会うことの珍しい種類の自然の肖像を発見して、新鮮な心地になる。

 新潟は、この国のなかでもっとも自然の苛酷な場所のひとつだろう。夏の猛暑、異様な降雨(雪)量、止むことのない風、暗く重く長い冬。橋本はこの厳しい(これも南風の擬人的形容詞)自然を、あからさまに描かない。一見静的な、どこか無表情な一画を切り取ってくるのだが、その無表情の光景を、自然の非人的な断面、冷たさやかたさが、通過する。その痛さ。それが、彼の保持してきた熱いものだったのだと感じる。

 一面、橋本の近作は意表衝くモチーフが影をひそめた分、美しく、常識的な目にも分かりやすくなってきた。このことは団体展の画家にならず、現代美術風にも染まらず、けれど絵で(文字通り)生きていこうとする彼のスタンスには、有利に働くだろう。けれど目に見えるなにもかもを擬人化しあたためようとする南的な呪術に、発芽しかけた「北の目」が早くも溶解してしまいかねない危うさが、生じているのでもあるまいか。
 いくつかの絵に現れていた「日本画」風の外貌に覚えた一抹の不安を、橋本の絵のみずみずしい「北さ」に引かれるひとりとして、小さく記しておきたい。

橋本直行油彩展
新潟大和6階ギャラリー
2000年7月20日〜25日
新潟市古町通7
TEL025-228-1111(代表)

□橋本直行 Naoyuki Hashimoto
1962 新潟県主まれ
1988 創形美術学校卒業
1993 東京セントラル美術館油絵大賞展佳作賞
1994 個展(アトリエ我廊・新潟)
1995 個展(アムスなにわギャラリー・大阪)
1997 個展(ギャラリーはせがわ・東京)
1999 寺泊養泉寺本堂壁画制作
他に個展・グループ展多数


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