正 常 な 人 ほ ど 自 殺 を 考 え る


アメリカ在住の哲学者が、

死に急ぐ日本人に贈る

生と死と愛を見つめる哲学小説







「それでも僕は生きてゆく」
著者:野田啓介(哲学者)
                 
 定価: 1940円(税込) 送料300円
 版形: 四六版 320ページ 上製本
 
発行: アートヴィレッジ

        2010年6月

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睡眠薬を飲んでまどろむ"僕"は声を聴く。

その声の主が、僕を旅へといざなう。

傷だらけの修道僧、瀕死のオオカミ、ソクラテスやプラトンに出会って、

僕は生の無意味を訴える。

夢なのか、うつつなのか?

死へ向かう困難で不思議な旅。

これまで見たことも、聞いたこともない物語が

ひも解く"生の秘密"とは!



 <目次>

序章:別れの夜

旅?:死の彼方からの声

旅?:魂の扉を開く

旅?:誰が心に住み、誰の心に住んでいるのか?

旅?:自殺は償いの道なのか?

旅?:生から死へ 死から生へ

終章:新しい朝



                                   本文より


人は真実を求めながら、同時に真実を恐れもし、目をそむけようともしています。


あなたは死を求めているのではない。死が安らぎだと思っているから、死を求めているのです。あなたが求め、望み、欲しているのは、本当は心の真の安らぎではないのですか?


人は言葉の持つ愛の温度によって、真実の深さを計る。


人は、自らの命を絶とうと思った時でも、最期の一本のロープを投げ、それをつかんでくれる人を求めているのだ。その一本の、最後の命綱を握ってくれる人を求め、心は涙と血にまみれながら、声なき声で叫びながら。
あなたは心の血を見たことがあるだろうか? 
傷ついた心は、鮮血を流すのだよ。


人が本当に必要なのは、くだらない屁理屈や命のない言葉だけの説教ではないのだ。何も言わなくてもいいから、黙って一緒に涙してくれる心の友が欲しいのだ。神や仏は、そういう二人のもとを訪れるのだ。


思想というものは、自分の命をかけて語るべきことを語り、語る必要のないことは語らない、そういう、ぎりぎりの事柄ではないでしょうか


偽善にまみれた人間の気休めの言葉は、もうこりごりです。
私は、そして動物たちは、誰かを守る時は命を賭けて守ります。たとえ自分が餌食になってもそうするのです。それが、動物の掟です。すべてが命がけなのです。
しかし、あなた方人間の顔は柔和に微笑み、身体は着飾っているが、その心はどんな獣も軽蔑するほど、残忍で醜い。


オオカミの目はすさまじい光を放ち、牙も光っていた。
「私の姿をよくごらんなさい。あなた達が獣(けだもの)と呼ぶ、私達のこの姿を!
裂けた口と、白く鋭いこの牙と、この爪を。
あなた方人間がたじろぐ私達の、この残忍だという容姿を。
だが、みなさん!
見かけはどんなに残忍そうであっても、私達の心には嘘もなければ虚飾もない。
しかし、あなた方の親切そうな振舞いや善人ぶったその顔が、一つの仮面であることを知ってしまいました。」
(中略)
「力によって不正を隠蔽し、弱者を虐げようとするあらゆる強者ののどもとを食いちぎり、ひきちぎった内臓を、白日のもとにさらけ出してやりたい。ハゲタカや、ハイエナすら顔を背ける腐りきったあなた方人間のその内臓を」


肉体は心の激闘を収める舞台であり、人生の絶壁を登る登山家が打ち込んだくさびではないだろうか? どんなに心が打ち震えても、表情はその感情を覆い、口は激興を飲み込むことができる。人間の外面というものは魂にとって、救いの足がかりであるから、むしろ人間にはなくてはならないものなのだ。
もしも、演じることができなくなったら、表情と言葉に希望を保つことができなくなったら、人は生きられないのかもしれない


希望と理想も自己であり、同時に、直視すべき現実も自己である。しかし、何よりも大切なことは、一方によって他方を見失うことなく、自己を、希望と現実の間に張りめぐらされた綱、希望と絶望の間にかけられた橋だとはっきり自覚することなのです



現代の私達が考える『正常』で『健全』な精神は、実は本来の姿から遠く隔たった奇形なものに成り果てているのではないだろうか?


不真実に生きるより、真実に死んだほうが遥かにましだ


洗練された知識、水晶のような透明の知を求めるギリシャの哲人の知と、玄妙で深遠な知恵を身につけることを目指す東洋の賢者の知恵とは、どこかが違うのかもしれない。しかし、もう一歩深い、知恵の鉱脈を辿って行くと一つの真実に出会うように、私は感じます。



人がたった一人で生きているなどいうのは妄想であって、心はいつも誰かと出会いながら存在しているのだと感じます。そして、心と心がその深いところで出会った時、存在の故郷を感じながら感涙する。


血を流さねばならない時は、流すしかない。真実に生きるということは、心にも身体にも、多くの傷を受け血だらけになりながら生きることです


死ぬより生きる方が、遥かに辛い。だから私は、生きるのですよ。そうでしょう?


嫌悪感で吐き気がしそうな偽りの愛、正真正銘、虚のかけらもない真実の愛との違いは、愛が善とともにあるかどうかということではないでしょうか?
つまり、正しく生きようとすることによって愛がより真実で変わらないものに近づいていく。正しさという指標がなければ、愛は真実の愛にはなれないってことではないでしょうか?そして、善は幸福を真の幸福になしていくのではないでしょうか?


魂を育むことが、地上の生の意味である以上、哲学するということは、いわば生きながらにして、魂を肉体の欲望から解き放つ練習とも言えます。ですから私は、"哲学は死ぬ練習である"と言ったのです


あなたは未だ本当の自分を見たことがないし、出会ったことがない。
死すべきものは死に、枯れるべきものは枯れるしかない。しかし、枯れることもなく、失われることもない、真実正真正銘の自己に出会ったことがない。


自分の命は自分が選んだものではなく、与えられたものである。


良きものも悪しきものも、優れたものも劣ったものも、重荷も恵みも、その全てを背負い、生きてくれるようあなたに託した


人生は、あなた自身の手の中にある。


その人生を、生命を、生きてくれるように、託されたから……。そして、あなたしかその重荷を背負うことはできないから、その重荷があなたに託された


あなたは自分の運命を受け入れ、幼子のように遊び、戯れることを考えなさい。あなたに求められているのは、自分をいたわり、愛すること、自分の全てを受け入れて愛すること、それだけです。


絶望にあえぐ無数の人々、その魂の希望となる鍵を持ったあなたが、その鍵で希望の扉を開けてください。
運命は、希望の鍵ですから


自分の人生というものは、他の人の人生がその大切な部分を作っている
人生というものは、お互いに重なりあい、分かちあいながら成り立っています。言い換えれば、自分以外の多くの人が自分の人生をなしているし、同時に、あなたもまた、他の人の人生のかけがえのない部分なんです。
他の人が消えてしまったら、あなたの人生が無に等しくなるように、あなたをなくしたら、あなたを愛する人達の心に大きな穴があいて、その穴は、あなた以外の誰にも埋められないんです


人は生きている限り、かけがえのない存在になることができる。思いやりというものは、いつでも、どんな苦境の中でもあらわすことのできる美しさなのです。


他の人の小さな思いやりが、あなたの心の中で忘れ難い思い出となり、その人があなたの心に住みはじめるように、あなたの小さな思いやりはその人の心の糧となり、大切な人生の一部となり、その人の心に住みはじめるのです


死にたいから余裕がないのではなくて、心に余裕がないから死にたくなるのです


私はよく知っています。人の助けを必要としている人を。どれだけいるか分からない。
みんな寂しいんですよ、実はね。悲しくて、みじめで、つらいんですよ、誰もがね。
思いやりをもって、小さないいことを一つやってみる。これだけです。



辛いことは悪いことではない。
辛いからこそ、優しい心になることもできるし、悲しいからこそ暖かい心にもなれる。人の心の深さと広さは、痛みと悲しみから生まれることも多い。皮肉なことですが。真理は逆説的ですからね


心は、血を流しながら大きくなる


星がチカチカするのは世界の悲しみが、みんなそこに運ばれて行くからかもしれません。


人の魂は本来、ちょうど熟した果実が木から落ちるように、その果実を持って来世に行くようになっているのです


慈しみ、愛する心が、艱難と苦難に立ち向かわせ、闘いに挑ませる心の秘密に相違ない


僕は「死ねる」と思った。
それは、自分の存在に「意味」が生まれた瞬間であった。


むしろ「無名」であり、誰にも知られないということにすがすがしささえ感じた。風が、あらゆる存在の生を支えながら、その存在すら気づかれず、しかもどんな人の傍にも寄り添っているように


絶対不可能だ。だけど、それが出来ちゃうから不思議なんですよ。
そんなこと絶対にあり得ない。ところが、それがあるんです。
そんな人は、絶対にいない。それが、いるんですよ。
今、この世にあるもので、何一つ、いいですか、何一つ、可能だったものはない。全部、不可能だった。でも、それをやった人がいて、できるようになってしまった。




 「大きな幸せを求めてはいけないよ。幸せというものは、

ごく些細なことの中にひそんでいるのだから。(中略)

不幸の中に、そっとひそんでいることだってある。

涙の中に、もっと深い幸せを感じることもある。

握った泥まみれの手の厚みに幸せを感じることもある。

……幸せは、恥ずかしがりやだから。

だから幸せを呼び出すには、誰にも聞こえない静かな声で、

息をひそめながら呼んでみるといい。


そうすれば、


顔を赤らめた幸せは、微笑みながらそっと顔をのぞかせるだろう。

……幸せは、とても恥ずかしがりやだから」


太陽は、沈む間際の光に託して、そう語った。





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